雑録

帝国日本の「人の移動」研究における戦後再入植について

思いついたアレコレを忘れないようにメモ。

「人の移動」

  • 「人の移動」研究 人の移動から「境界」を問う/帝国崩壊と引揚から戦後日本社会に迫る
    • 細谷亨「人の移動」(日本植民地研究会編『日本植民地研究の論点』岩波書店、2018年)において、近年の「人の移動」研究が整理されているが、そこでは「境界」と「帝国崩壊による人の還流」という二つの点が指摘されている。「境界」については「帝国支配を伴う近現代の日本では、日本国内と海外・植民地の双方向的な人の移動が盛んになった点とも関わって、「境界」をめぐる問題が重要」になり「人の移動から境界を問うという論点が浮上することとなった」と分析している。また、「帝国崩壊による人の還流」については、帝国が解体されたことにより従来とは逆に人が日本国内へと還流する現象が起こったことを指摘している。
    • 「引揚」の研究は、冷戦構造に規定された戦後政治の展開により研究が抑制されていた。ソ連の崩壊により、1990年代以降に進んだ新たな研究領域である。そして引揚史研究には、引揚そのものの研究と、引揚者の戦後再入植の研究に分けられる。細谷氏は特に後者を強調しており、「人の還流と戦後日本社会の関係」について、「帝国崩壊という歴史過程と結びついた戦後日本社会像の解明につながる」と唱えている。「これまで十分に問われてこなかった高度経済成長期の日本の貧困と帝国支配の痕跡を浮かび上らせ」る意義があり、「引揚げを含む戦争・植民地経験を、時代や人々のくらし、戦後日本社会の変容過程のなかで問うことが求められている」とまとめている。

大日向村 戦前戦中・引揚・戦後

  • 「大日向村」研究と戦後開拓/戦後再入植について
    • 先日、フィールドワークを行った際に、満蒙開拓平和記念館を訪れた。そこから芋づる式に「大日向村」の研究が進んでいることを知り、旧大日向村があった現在の長野県佐久穂町と、戦後再入植した長野県軽井沢町を訪れた。当初の私の目的は、国策映画『大日向村』にあった。私は当時の日本人に満洲認識を形成させたコンテンツや、満洲国にいざなったコンテンツを研究している。大日向村は日本で最初の分村移民のモデルケースとして直目され、『アサヒグラフ』や『満洲グラフ』でしばしばトピックとなったうえ、和田伝の小説やそれをもとにした舞台、国策映画、国策紙芝居、子どもたちの演劇など様々にメディアミックス展開されていたのである。
    • だが調査を進めるうちに、筑波大学が大日向村をテーマに佐久穂町軽井沢町をフィールドワークしており、ここ2~3の間に満洲移民を対象にするようになり、しかも去年(2018年)に研究書が出されたことを知った(伊藤純郎『満州分村の神話 : 大日向村は、こう描かれた』信濃毎日新聞社, 2018)。早速、手に取って読んだところ、メディアの中に描かれた大日向村が紹介、分析されていた。それ故、戦前・戦中の大日向村は既に先行研究が出されてしまったのであった。
    • この伊藤氏の研究でまだ十分でない点があるとしたら戦後再入植の展開である。再入植までの経緯は『週刊朝日』や『信濃毎日新聞』の記事を引用しながら紹介されているが、天皇巡幸で終わりとなっている。それ故、戦後再入植した軽井沢町の大日向村がどのように開拓を進め、高度経済成長により高騰した再入植地を売り払っていったのかは研究されていない。大日向村をテーマにする場合は、今後戦後再入植した軽井沢町の展開や分村移民を出した佐久穂町の戦後の展開などが新規性のある分野だと思われる。

戦後再入植地の開拓研究

  • 戦後再入植地と群馬県
    • 群馬県出身の満蒙開拓関係者は毎年9月に群馬県長野原町にある群馬満蒙拓魂之塔で拓魂祭を行っている。群馬満蒙拓魂之塔が建設されたのは日中国交正常化により返還された身元不明の遺骨を弔うためであるが、なぜ長野原町なのか疑問に思っていた。しかし、この長野原町は戦後再入植地として満洲からの引揚者が戦後開拓した土地だったのである。おそらくそのために長野原町に作られたのではなかろうか。一応拓魂之塔の碑文の建立の由来においては、開拓関係者の協議によったと述べられている。
    • それで、この長野原の地の戦後開拓を調べてみたら、荒野を開拓するために様々な取り組みを行ったことが分かった。色々なwebサイトを見たが「スズラン牛乳」のサイトが一番分かりやすい(スズラン牛乳(北軽井沢開拓農協) (群馬県))。帝国日本の植民地経験と戦後日本社会の変容を研究する際の良い事例研究になるとともに、群馬県の拓魂祭は年々参加者が少なくなっているということなので、記憶の継承の意義も見込まれる。また長野原町を含む北軽井沢の観光地としての戦後日本の人の移動にも迫ることができるのではないだろうか。