青い空のカミュ(製品版)の感想・レビュー

「不条理」な世界に投げ出された二人の少女の道中記を描きながら「実存」に迫る百合ゲー。
カミュ=サルトル論争。完璧な自由と完璧な正義は両立しえるかどうか。
そのメタファーとして仮託されていたのがサトくんでありヒヒとイヌに分裂してしまう。
不条理な世界には必然などなく、生きていることに目的もなく、価値すら存在しない。
しかしそんな不条理な世界で、蛍は燐との百合友情に生きる意味を見出すのだ!!!
だが、銀河鉄道の夜をモチーフにしているので、オチはジョバンニ・カンパネルラの別離エンド。
ラストは量子力学。肉体が死滅した後も情報は残るよ展開となり象徴として紙飛行機が残る。

「世界はさ、なにも考えていなんだと思うの。悪意とか、善意とか、そういうのはきっとないんだ。でも、ただ通り過ぎるだけで、わたしたちはそれに振り回される。」

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  • 「不条理」の体現者である燐
    • 本作品のテーマである「不条理」を背負ってキャラクター造形されたヒロインが燐。燐は自分のことを「妥協が出来ない」と自己分析しており人間関係で傷ついていきます。まず家庭では両親が離婚調停中なのですが、母親に対してうまく振る舞えないのです。離婚の原因は父親が別の家庭を持ったからなのですが、燐はまだ父親を好いていました。自動販売機のシーンで語られる父親の飲み物や鉄道路線図の話は憐憫を誘います。それ故、おそらく燐を引き取るであろう母親が父の事を悪し様に貶すことに同調できないため、母親の苛立ちをかってしまうのでした。部活関係もそうであり、ホッケーのチームに所属しているのですが、些細な人間関係のトラブルを深く引き摺ってしまうのです。
    • ここまでは体験版でも語られてきましたが、製品版で燐のしこりとなっている大きな問題が明かされます。それは敬愛していた従兄との関係でした。燐は従兄のお兄ちゃんであるサトくんに淡い恋情慕情を抱いていました。下ろしたてのシューズを見せたくてトレッキングで靴擦れを起こし、おんぶしてもらう場面は憧憬を感じさせるいいシーンです。しかしながら燐はサトくんに求められたくて肉体的に迫ってしまうのです。その時サトくんは理性により性行為をなんとか拒否するのですが、それでも燐に対して女肉を求める血走った眼を向けてしまい、燐を恐怖に晒してしまうのです。燐は自分から求めたにも関わらず人間の二面性に直面し、これまでサトくんに抱いていた無条件の信頼が崩れてしまうのでした。
    • 以上のような人間関係の闇を抱えている燐でしたが、これらは決して特別ではない自然災害のような偶然の産物であることを思い知ります。両親の離婚なんて珍しくもなく、燐の家庭以外にもそこら中に転がっている不幸だと。誰しも部活や友人の人間関係に悩むのだと。サトくんに対しても男性への淡い初恋が散っただけなのだと。しかし、燐は傷つきやすく、よくある不条理でも耐えきることができなかったのです。小さな小さなひっかき傷であっても、大切なものが傷つくことに耐性の無い燐は傷だらけになってしまうのですね。それ故、燐は新しい世界に行くことはなく、量子力学的な情報に昇華したのでした。蛍が最後に拾い上げる紙飛行機。それが燐の残滓なのではないでしょうか?燐に対して生きる意味を見つけた蛍が、最終的に燐と別れることになるのも、不条理を体現していると言えるのかもしれません。



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  • 蛍と世界設定編「突如崩壊する世界~座敷童と伝統の創出」
    • 本作品は文学や民俗学もモチーフとなっていますが、それを担うのが蛍というキャラクターです。ここではなぜ世界が崩壊したのかという理由が説明されます。蛍は人間ではなく座敷童の末裔でした。「童」というからには、子どもでなければならず、成長するごとに幸福の効果は薄れてきます。ローカル線の終着点である鄙びた山村が企業の誘致に成功し産業に恵まれ発展を遂げているのも座敷童効果だったのです。そして村内の男が座敷童を孕ませると権益を主張するようになるので、竿役は外部から遣って来たマレビト様に頼み込むという儀式を創り上げていくことになりました。このようにして山村は繁栄していたのですが、無理やりに幸福を集めるという事は他から幸福を奪うという事でもあり、その地域にのみ幸福が集まり続けたことで歪みが折り重なっていったのです。
    • この歪みがついに耐えきれなくなり、世界崩壊を起こした結果がホラー的怪異現象の発生だと判明します。無理やりに歪められた世界が、世界の修正力により戻ろうとしていたのです。世界の崩壊が起こったのが偶々燐と蛍の世代だった、というのも不条理を表わしています。そして蛍は世界を「切り換える」ことになります。そのモチーフとなっていたのが汽車の方向転換をする転車台であり、それを回すことにより、世界を修復したのでした。「蛍たちの地域が発展している」と既に外部から観測されていたため修正も微々たるものでは済まず、現実世界ではダムの決壊により村が沈没したという結果になっています。
    • そしてサトくんと座敷童の関係性について。蛍も既に初潮を迎え大人となりつつあったので、蛍を孕ませるためのマレビトが必要とされていました。それがなんと風車建設のための測量にやってきたサトくんだったのです。サトくんは村人から軟禁されるのですが、ここで蛍の祖先の思念によりオオモト様の過去を知るのでした。オオモト様の青春時代は昭和戦前期で、東京から民俗学の調査にやってきた青年がマレビトとして選ばれます。その青年はオオモト様によくしてくれたので満更でもなかったのですが、青年はオオモト様を抱くのを拒否。空襲警報の混乱の中、逃げ出すのでした。オオモト様はそのことが心残りだったのでしょう。その後、オオモト様は復員兵により子孫を残すのですが、その幼き日の思いが残滓として残り、炉利ver.のオオモト様はサトくんと体を重ねるのでした。



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  • 完璧な自由と完璧な正義は両立するか~サトくん問題deカミュサルトル論争~
    • カミュ=サルトル論争をノベルゲーに落とし込む存在として機能するのがサトくんです。そもそもカミュ=サルトル論争とは何か?それは「完璧な自由と完璧な正義は両立するか否か」です。サルトルは両立すると言います。サルトルの主張は誤解を恐れずに述べれば以下の様な感じ。資本主義下において労働者は自発的盲従を強いられるので、隷属するか死ぬしかありません。それ故サルトルは、暴力革命により既存の秩序を崩壊させることを肯定します。労働者たちによる政治により自由になり、平等という正義が実現されると唱えるのです。
    • 一方でカミュは暴力革命を否定し、完璧な自由と完璧な正義は両立し得ないと言います。カミュは自由を絶対的なものではなく相対的なものとしてとらえていました。そのため自由を求めるからといって、暴力革命に訴えるのは絶対主義であり、自由をも破壊してしまうというのでした。
    • で、この「完璧な自由」のメタファーが「燐を肉欲の対象として貪ろうとしてしまうサトくん」であり、ヒヒの形をとって燐と蛍に襲い掛かります。一方で「完璧な正義」のメタファーは「燐を慈しみ大切にしたいというサトくん」であり、イヌの形を以て顕現するのです。このイヌのサトくんとヒヒのサトくんの戦いは、この作品のタイトルでカミュってる通り、相矛盾して両者が相打ちとなって倒れます。完璧な自由と完璧な正義は両立し得ないのでした。



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  • 不条理に対する抵抗と幸福論
    • 本作品では理不尽な世界の修復に巻き込まれ、襲い掛かってくるゾンビから逃れようとするホラー要素が不条理な世界として場面装置になっています。この不条理な世界に対して、燐も蛍も諦めるのではなく抵抗し、無限の労苦の中から幸せを見出すのです。おそらく『シーシュポスの神話』をモチーフにしているのではないでしょうか。蛍が百合友情に幸せを見出し、どんな過酷な状況、不条理の中でも、燐と一緒にいられることが幸せだという持論を展開するところが最大のハイライト。所謂、過酷な中での幸せというやつですね。
    • そんな蛍が最終的に自らの生き甲斐に見出した燐と別れなければならなくなります。『銀河鉄道の夜』展開でジョバンニとカンパネルラ。「どこまでもどこまでも一緒に行こう」とカンパネルラと行動を共にすることに幸せを見出したジョバンニだが、現実世界ではカンパネルラは死んでいたよ展開ですね。座敷童の末裔であることから、空虚で空っぽだった蛍が、不条理世界での燐との道中を通して生きる意味を発見し、そして燐が居なくなった後も、自らの足で歩いていくと解釈できるかと思います。プレイヤーの皆さまはどのように思いましたか?

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