Vtuber可憐を見て~『火の鳥』の作中における「新規コンテンツの創造が停滞し、人々が回顧に走るようになった場面」が想起され、20周年ブームが乱立する状況を見て同じ様に感じる。~

現代のコンテンツ群の形成に大きな影響を与えた作品が、90年代末期~ゼロ年代前半に生まれたため、近年はアチコチで20周年ブームである。

妹が12人いるという狂気の設定を一般化したことで著名な『シスプリ』という作品も、20周年記念ということで、正統派妹であった可憐さんがVtuberとして再臨なされた。当時青春時代を過ごした古参兵の残党たちがyoutubeに集うことになり、さながら老人会のようであった。



幼少の頃シスプリがラジオ番組をやっていた時、数回聞いたことがあるのだが(深夜だったので起きていられなかった)、そのラジオはシスプリのコンテンツではなく中の人が暴れまくる内容であった。つまりは声優さんが可憐として演技をするのではなく、中の人そのままで桑谷さん本人が進行していたのである。なっちゃんもっちーだっけ?(うろ覚え)。その時の衝撃は大きく、キャラクターと声優さんは別のものとは理解していたけれども、子ども心ながらにショックを受けたのであった。それと同時に、リスナーは可憐や花穂を求めているはずなのに平然と声優さんが地を出してもラジオ番組が成り立っていることに関心したものである。
 

その衝撃から20年、まさかVtuber可憐から当時のG'sラジオの話題が出て、全然可憐じゃないとツッコミを食らっていた話をされるとは・・・懐かしさの余り涙が出て来たのであった。一応、Vtuber可憐の中の人である桑谷さんは、可憐を保とうと努力をなさっていましたが、滲み出る中の人くささを拭い去ることは出来ず、Vtuber可憐さんというよりも桑谷さん劇場を見ているようで、しかもみんなそれを受け入れていて、なんだかホッコリしたのでした。

歴史的資料


 
 
 
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