茨木智志「「社会科世界史」はどのようにして始まったか」『歴史学研究』859号 青木書店 2009年 182-191頁

はじめに

  • 本報告の課題
    • 1949年4月に実施された「社会科世界史」がどのように始まったのかを現時点で確認できる範囲で提示し、その特徴を考察すること
  • 世界史教育追求しているのは高校「世界史」のみ
    • 小学校
      • 1881年以来、世界史(外国史)を排除して日本史のみに限定
    • 中学校
      • 戦後の中学校社会科:「社会」と「国史(日本史)」で始まる
      • 「歴史的分野」として日本史と世界史を分けない形の歴史教育が目ざされる
      • 1969年学習指導要領以来、世界史は「背景」とされ日本史化が進む
    • 小学校・中学校の世界史の内容は自国史のなかの外国史教材
  • 「社会科世界史」の成立過程の特殊性
    • 新科目であったが実施されてから検討が始まる
    • 「世界史」実施のときには「社会科東洋史」「社会科西洋史」がすでに成立していた

Ⅰ 戦後の外国史教育の改変

1 旧学制下の外国史教育
  • 占領軍と文部省の外国史教育認識
    • 米国
      • 戦争終結前から外国史教育を偏狭な「国史」に対置するものとしてみなす
      • 1944年7月国務省の文書では教練・終身・国史の排除と同時に、数学や自然科学、「他の国々の文化と歴史」の教育の推進を述べる
      • 1945年9月の「降伏後における米国の初期対日方針」では「米国および他の民主主義諸国の歴史、制度、文化およびその成果」の教育の推進を述べる
    • 文部省
      • 敗戦直後の文部大臣・前田多門、外国史教育の必要性を主張
      • これまでの外国史教育の偏りを是正する必要と成年学徒が外国のことを学ぶ必要性を訴える
      • 根本的な再検討には進まず、外国史教育を偏狭な「国史」教育に対置するという認識はなく、戦争中の「国史」教育の問題は「軍国主義と極端狭隘なる国家主義」による歪みと認識
  • 国史教育の継続
    • 1945年12月「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」では、外国史は停止されず
      • 社会科教育史研究では一般的にこの三教科の停止指令を戦前の社会科的教科の崩壊ととらえ、社会科成立の前提になるものと位置づけている
    • 国史教育の継続は占領軍の既定方針
      • 国史であるがゆえに残された
      • 国定教科書の削除修正による発行が可能と判断、米国含む連合国の歴史の教育を禁止できない、義務教育段階で実施されていないため軽視
  • 教科書改訂作業
    • 1945年10月に教科書局を設置、削除教材に検討に着手。計画では1946年度用に暫定教科書を作成し、1947年度用に新教科書を用意するはずだったが挫折
    • 1945年11月「国史教育ノ方針(案)」を省議で決定するも皇国史観を残し、1945年12月歴史科専門委員会が暫定教科書の検討を始める
    • 1946年5月、『暫定初等科国史』は神話の記述をめぐり占領軍に拒否され、文部省外の執筆者により『くにのあゆみ』などが作成される
    • 国史の暫定教科書
      • 国定教科書『中等歴史一』での戦時中に加えられた部分を削除修正
      • 『暫定中等歴史一』(東洋史:1946年4月・9月)
      • 『暫定中等歴史二』(西洋史:1946年5月・11月)
      • 暫定外国史教科書は比較的すんなり発行され、東洋史西洋史という枠組みでの歴史教科書が戦時から平時への転換を果たしたのみで存続された。
  • 旧制高校における新しい外国史教育の検討
    • 1946年2月 修業年限を急遽3年に戻す
    • 同年5月  「歴史科」を含めた新しい学科課程を発表
    • 同年12月 教授要綱の検討が「高等学校高等科教授要綱草案(案)」として簡潔な形で発表される
    • 内容:西洋文明を主軸に据えた西欧中心の西洋通史に米国、ソ連を加えて現在までの状況を示した西洋史と、中国の通史に近代以降の東アジアの情勢を加えた東洋史とで構成
      • 戦中の広範な地域を対象とした外国史教育を削除という形で戦時教育の内容から脱却
      • 「教授方針」としては世界史的な視野に立ち、文化や社会を含めた幅広い科学的な歴史の教育が強調されている
      • 敗戦後に主張された歴史研究、歴史教育のあり方を取り入れた新しい外国史教育の樹立が想定されていた
2 新学制の外国史教育の導入と展開
  • 新学制の教科課程(教育課程)に外国史教育が導入されたことの意味
    • 東洋史」・「西洋史」の導入の決定(1946年9月下旬)
      • 東洋史」「西洋史」がいかなる経緯で決定されたかは不明
      • ある特定の時期の外国史教育に回帰したものはないので、導入された外国史教育は単なる戦前の学科目の継承でななかった
      • 世界史的な視野に立ち、科学的な新しい東洋史学・西洋史学に立脚した「東洋史」「西洋史」科目による外国史教育の導入が、世界史学が存在しない「世界史」科目による世界史教育を考慮の対象外に追いやった
  • 国史の学習指導要領と教科書の作成について
    • 国史教育の導入決定直後から学習指導要領と教科書の作成が始まり、高校社会科選択科目(11学年〜12学年:東洋史西洋史、人文地理)は中等学校教科書株会社に移管(1946年10月)した。
    • 学習指導要領刊行
      • 1947年7月『学習指導要領東洋史編(試案)―昭和二十二年度』
      • 1947年10月『学習指導要領西洋史編(試案)―昭和二十二年度』
      • 従来の歴史学習のあり方を批判し、単元による構成をとって生徒による様々な活動を中心とした学習の例を多数提示
    • 教科書発行
      • 1947年8月『西洋の歴史(1)』が発行するもキリスト教の記述が問題視され、『西洋の歴史(2)』、『東洋の歴史(1)(2)』は許可されず
      • 西洋史教科書の内容構成:「古代東方」、「古典文明」、中世、近代、「民主主義と国民主義」、第一次世界大戦第二次世界大戦、戦後にいたる。典型的な西洋通史、「西洋文明」を主軸に据え、戦後までを記述する戦後の西洋史教科書の基本
      • 東洋史教科書の内容構成:中国歴代王朝史を中心に構成、インド、中央アジアを挟み込み、「ヨーロッパ諸国東漸」以後の東洋の衰退と成長
  • 国史教育の展開
    • 授業は外国史の教師により継続、新制高校は旧制中学が移行したものであるため、「東洋史」「西洋史」の授業もそのまま継続したと考えられるが、社会科の科目としてどのような授業が行われていたかの判断は難しい
    • 国史の各種参考書等が発行された
    • 文部省と占領軍は『西洋の歴史(2)』と『東洋の歴史(1)(2)』の発行に努めたが、実現しなかった
3 教科教育としての戦後の外国史教育の確立
  • 制度決定:新学制下での高校社会科選択科目に導入
  • 授業開始:新制高校発足時に従来からの継続の形で授業が行われていた
  • 教科書、副教材、学習書の存在:正式な教科書に代わるような多くの書籍が発行
  • 科目の理念・内容・方法の提示:社会科東洋史、社会科西洋史の学習指導要領が発行
  • 教師の存在:東洋史西洋史の教師が揃っていた
  • 学問的背景、教育学的背景の存在:新しい東洋史学・西洋史学の研究が進められ、外国史教育の検討や授業実践の検討も始められた

Ⅱ 「世界史の設置」と文部省・占領軍の「世界史」への対応

1 新制高校の教科課程改訂の中の「世界史」の設置
  • 「社会科世界史」の始まり
    • 1948年10月11日の通達「新制高等学校教科課程の改正について」(発学第448号)で翌年4月からの教科課程の一部を改めることが発表
    • 東洋史」「西洋史」が消えて「国史」「世界史」
  • 「世界史」を設置した新制高校の教科課程の改訂
    • 1947年4月発表の新制高校教科課程には不備、改訂は発足前後から着手
      • 新制高校の教科課程が一元化していない
    • 1948年4月「新制高等学校教科課程研究委員会」(委員長・児玉省)設置
      • 職業科の教育内容を新制高校の制度・理念に合致させ、新たな学校のするための専門教科の再編成等
  • 教科課程改訂のなかの「世界史」の設置
    • 「世界史」の導入決定は1948年5月18日
    • 高校社会科への国史教育導入の先行
      • 高校社会科の歴史教育は「東洋史」「西洋史」で日本史はなかった
      • 文部省の上層部による日本史の通史学習の主張の妥協の結果、新制中学校2〜3学年に「国史」設置→重複を避けるため高校社会科の選択科目に「国史」を入れなかった
      • 実際には「国史」の授業は途切れることなく継続していたと推測される:旧制中等学校で「国史」を学んでいない生徒には「社会科中の一教科(ママ)として適宜国史の授業を選択履修させる指示されたい」(「中等学校第四・第五学年における国史教授について」発学第359号 1947年10月10日)
      • 1948年4月の「新制高等学校教科課程研究委員会」設置の前に高校社会科選択科目に「国史」を導入することが文部省内で決まっていた
  • 世界史と国史の設置
    • いかなる経緯で世界史があらわれたのかは不明、史料的な根拠なし
    • 1992年8月における当時の文部省にいた箭内健次の回想
      • 「日本史を加えることになったら歴史の科目が一つはみ出しちゃうんです。それで西洋史東洋史のどちらかを削ることになったんです。それで、急遽世界史という構想を出したんです。」(箭内健次・沼田次郎、聞き手:田中健夫・加藤榮一「近世対外関係史研究の軌跡(下)」『日本歴史』555 1994年8月号 46頁)
    • 東洋史西洋史でない「世界史」による教育を後押しする動きあるいは背景
      • 「中国研究所歴史教育懇談会」では「社会科と東洋歴史教育」をテーマ。世界史を含めたさまざまな案の発言。(「研究会報告 その1 社会科と東洋歴史教育『新しい教室』2-12 1947年12月)
      • 文部事務官・角田一郎『新制高等学校の理論と実際』(興文社 1948年12月):東洋史西洋史を結合して世界史にしたことに関して上原專祿『歴史的省察の新対象』(弘文堂1948年2月)の歴史学の三区分への批判と世界史的観察方法の採択の必要性を説いた部分を引用し、「世界史」批判に対する反論とした。
      • 占領軍:米国のWorld History教科書を日本側に提示していた。
  • 新制高校における「世界史」設置の位置づけ
    • 「国民の共通の教養」
    • 共通必修教科目の選択科目のひとつ
    • 「外国史」と「世界史」
      • 戦前は東洋史西洋史を合わせた1冊本の実業学校用などの検定教科書を「外国史」と称する
      • 「世界史」ができたゆえに「国史」を実施前に「日本史」と改称
      • 「外国史」のような旧来の内容構成を拒否する意識をもたらす
    • 「世界史」のあり方が十分に検討されたうえでの設置の決定ではなかった
2 文部省・占領軍の「世界史」への対応
  • 文部省による「世界史」実施に際しての留意点(「高等学校社会科日本史、世界史の学習指導について」発学第247号、1949年4月12日)
    • 新しい歴史教育の在り方を示すが、何の準備も無く「世界史」を始めた状況も
    • 「社会科歴史学習の目標」として9項目をあげる
    • 「戦争、王朝、政治事件の年代史であってはならない」と提示、学習形態は一般社会科に準拠した単元学習、「概説の学習におちいらぬよう」に注意
    • 文部省にいた渡辺是と文部省での中学「国史」教科書編集に関わる高橋磌一とが相談して書いたと言われる
    • 学習指導要領:「東洋史」「西洋史」のものを「一応参考としてもかまわない」
    • 教科書について:「現在刊行されているのは、西洋の歴史(上)(ママ)のみであるから他は教授者によって適当に考慮されたい」
      • 一種検定教科書である『西洋の歴史(2)』と『東洋の歴史(1)(2)』の学校が許可されなかった
      • 教師は何でも使える状況にあった
  • 「世界史」の教科書検定基準
    • 最初の「教科用図書検定基準」は「世界史」設置発表後にもかかわらず、「東洋史」「西洋史」で発表された(文部省告示第12号 1949年2月9日)
    • 1948年10月の「世界史」設置発表後に「世界史」の教科書検定基準の作成が始まり、1949年1月に教科用図書委員会の承認を受けたが、すでに間に合わなかった
    • 「世界史」の教科書検定基準は1949年3月に追加の形で初めて発表された(1949年3月22日「教科用図書検定基準の一部改正」〔文部省告示第20号〕のなかの「別表第2の補遺」)
      • 2月告示の検定基準における社会科の他の科目と大いに異なる:「絶対条件」として調査すべき「世界史の指導目標」13項目、「必要条件」として調査すべき「世界史の教科書の要件」である重点項目、最低限度の内容などを示す
    • 1950年3月にはなぜか「世界史」の教科書検定基準がなくなり「東洋史」「西洋史」の教科書検定基準が掲載(『昭和二十五年三月教科用図書関係法令集』文部省調査普及局刊行課)
    • 1951年9月には「世界史」の教科書検定基準は、一般的な基準になる(『昭和二十六年教科用図書検定基準』文部省、1951年9月20日)。ここでの記載がほぼそのままの形で1952年10月30日に文部省告示第88号として正式な検定基準に
  • 文部省・占領軍による東洋史西洋史教科書発行の努力
    • 結果的に「世界史」実施後においても正式発行されていたのは『西洋の歴史(1)』のみ
    • 高校社会科「日本史」教科書は旧制中学用に作成された『日本の歴史』を重版供給(1949年7月の発調第60号の通達)
    • 中学校社会科「国史」教書は1947年11月以降文部省で編纂されるも発行されず
  • 文部省・占領軍による「世界史」学習指導要領の作成
    • 1947年版の学習指導要領を改訂する作業が48年に着手され49年に本格的に開始、1950年度使用に向けて
    • 1950年9月22日、中間発表として「高等学校社会科世界史の学習について」 後の学習指導要領の約3分の1の部分
    • 1952年3月「世界史」の学習指導要領が発行(『中学校高等学校 学習指導要領社会科編?(a)日本史(b)世界史〔試案〕―昭和26年〔1951〕改訂版』1952年3月20日)
      • はじめての「世界史」学習指導要領、「世界史」授業実施後から3年後であった
      • 「世界史の特殊目標」を説明、時代を「近代以前の社会」「近代社会」「現代社会」と分け、それぞれの「参考内容」を提示し、そして「世界史の参考単元例」「導入」「参考資料表」を掲載。
      • 社会科としての世界史学習のあり方を様々な例示とともに示す
3 「世界史」設置と教育行政による対応
  • 「世界史」教育の実際はすべて教師に任される状態が続く
    • 学習指導要領そのものは1952年3月まで発行することができなかった
    • 正式な意味での教科書も『西洋の歴史(1)』のみの発行にとどまった

Ⅲ 教師・研究者の「世界史」への対応と高校生

1 世界史についての論議
  • 尾鍋輝彦編『世界史の可能性―理論と教育』(東京大学協同組合出版部、1950年3月)
    • 1949年夏の座談会(13人)の記録と八つの論説
    • 世界史の記述を如何に構成するかという実際問題は論じられず
    • 教育として世界史の言及に乏しい
  • 橘高信「社会科世界史の理論と学習活動の指導について」
    • 生徒の班別活動による学習活動の指導の方法を解説、社会科世界史の具体像を示す
      • 「社会科世界史は知識の学問である以上に実践への学であるとされないだろうか」
      • 歴史学者に『社会発展の当為の学としての世界史』の学問的研究を要請したいのである」
  • この当時における世界史の論議全体の問題と意義
    • 世界史のさまざまな構想が語られているにもかかわらず、教育(授業)に関してはさほど論議の対象となっていない
    • 「社会科世界史」の授業のあるべき具体像を模索して提示した教師、また世界史の理念・構想を討議して主張する研究者が「世界史」の出発点において現れた。
      • その後の学習指導要領、教科書などの「世界史」は単なる外国史ではなく、本当の意味での世界史であるかが常に問われることに。
2 「世界史」準教科書の登場
  • 正式な教科書『西洋の歴史(1)』のみ(1947年8月)
  • 検定「世界史」教科書の正式な使用は1952年4月から(5種のみ、1953年度用は7種、1954年度用は10種)
  • 「世界史」授業用に作成された図書が数多く発行された →ここでは準教科書と呼ぶ
    • 注目すべきは世界史をなぜ、どのように学ぶかを序文で力説しているものが多い点
    • 改訂版を発行し続けられたのは一部にとどまり、多くの「世界史」準教科書が検定教科書となることなく消えていった
  • 学習指導要領にもとづく検定教科書制度の本格的な実施にともなって「世界史」教科書はある意味で整備されつつ多様性を失う。
3 教師の苦悩と生徒の期待そして大学受験
  • 「世界史」と教師
    • 世界史学習のあり方を具体的に追求した教育実践
      • 世界史研究会(1952年6月〜、熊本大学・酒井三郎『世界史研究』創刊号、同年11月)
      • 歴史教育者協議会世界史部会(1952年6月〜)
      • 上原專祿監修『高校世界史』実況出版の編集開始(1952年〜)
      • 歴史教育研究所(1954年2月〜、吉岡力『季刊歴史教育研究』1、1956年9月)
    • 西洋史東洋史の発想での「世界史授業」
  • 「世界史」と高校生
    • 「世界史」は高校生に非常に歓迎された
      • 千葉県での1949年4月入学制の卒業時までに選択した科目の調査では社会科は「世界史」「日本史」「人文地理」「時事問題」の順で、「世界史」は7割近くが履修(『中等教育資料』1-3、1952年4月)
  • 「世界史」と大学入試
    • 一番すんなりと「東洋史」「西洋史」から「世界史」に移行したのが大学入試
    • 文部省により問題の形式を従来の旧制大学での「論文テスト」から「客観的テストの方式」が望ましいとされたが、国立大学では実際には併用された
    • 1949年度の新制大学の入試の社会科は「一般社会」「時事問題」「国史」「東洋史」「西洋史」「人文地理」から一つ選択し、さらに共通する問題が出題された
    • 1950年度入試から「世界史」も入るが、「東洋史」「西洋史」もしばらく残された
    • 「世界史」が設置されたと同時に大学の入試科目に位置づけられ、検定教科書や学習指導要領よりも早くその存在を高校教師や高校生に印象づけた。
    • 「世界史」は出発時から大学入試と不可分な存在となり、新たな基準となる現実があった
4 「世界史」と教師・研究者・高校生
  • 「世界史」は十分な準備も無く実施が開始。文部省も占領軍も「世界史」の具体的な内容を示せず
  • 一部の歴史研究者による世界史をめぐる論議 → 本当の意味での「世界史」とは何かを出発点において求めたことに意義
  • 「社会科世界史」としての授業を検討した一部の高校教師
  • 荒削りながらも多種多様な準教科書
  • やりにくいと感じながら「世界史」を教えた教師と期待をもって選択した多くの生徒
  • 入試「世界史」はいち早く独自の地位を占めていく
  • 出発点の「世界史」の背景
    • 1950年前後の世界と国内情勢
    • 当時の「世界史」にかかわる論文、教育実践報告から準教科書・検定教科書、受験参考書まで、世界史を学ぶことが自分たちの進むべき道に直結した課題だと認識されている

おわりに

  • 敗戦後「東洋史」「西洋史」による歴史教育は戦時教育から脱却し、社会科の科目としての導入を果たして戦後の外国史教育として実施しつづけるだけの体制を整えていた
  • 「世界史」が設置されるが、詳しい経緯は明らかではないが、時代の要請に応えたものとして受け止められた。
  • 東洋史西洋史がすべてを覆い尽くしている状況下で教育行政も明確な「世界史」の構想を示すことができないまま開始され、そこから真の「世界史」への模索が始まる
  • 「世界史」の難しさに苦悩し、入試の現実に直面しながらも当時の日本におけるその重要性が共有され、生徒の期待を受けての出発だった。
  • 現在以上に多くの課題を抱えながら、「世界史」は始められた。