はじめに
- 本報告の課題
- 1949年4月に実施された「社会科世界史」がどのように始まったのかを現時点で確認できる範囲で提示し、その特徴を考察すること
- 世界史教育追求しているのは高校「世界史」のみ
Ⅰ 戦後の外国史教育の改変
1 旧学制下の外国史教育
- 占領軍と文部省の外国史教育認識
- 米国
- 文部省
- 外国史教育の継続
- 教科書改訂作業
Ⅱ 「世界史の設置」と文部省・占領軍の「世界史」への対応
1 新制高校の教科課程改訂の中の「世界史」の設置
- 「社会科世界史」の始まり
- 「世界史」を設置した新制高校の教科課程の改訂
- 1947年4月発表の新制高校教科課程には不備、改訂は発足前後から着手
- 新制高校の教科課程が一元化していない
- 1948年4月「新制高等学校教科課程研究委員会」(委員長・児玉省)設置
- 職業科の教育内容を新制高校の制度・理念に合致させ、新たな学校のするための専門教科の再編成等
- 1947年4月発表の新制高校教科課程には不備、改訂は発足前後から着手
- 教科課程改訂のなかの「世界史」の設置
- 「世界史」の導入決定は1948年5月18日
- 高校社会科への国史教育導入の先行
- 高校社会科の歴史教育は「東洋史」「西洋史」で日本史はなかった
- 文部省の上層部による日本史の通史学習の主張の妥協の結果、新制中学校2〜3学年に「国史」設置→重複を避けるため高校社会科の選択科目に「国史」を入れなかった
- 実際には「国史」の授業は途切れることなく継続していたと推測される:旧制中等学校で「国史」を学んでいない生徒には「社会科中の一教科(ママ)として適宜国史の授業を選択履修させる指示されたい」(「中等学校第四・第五学年における国史教授について」発学第359号 1947年10月10日)
- 1948年4月の「新制高等学校教科課程研究委員会」設置の前に高校社会科選択科目に「国史」を導入することが文部省内で決まっていた
2 文部省・占領軍の「世界史」への対応
- 文部省による「世界史」実施に際しての留意点(「高等学校社会科日本史、世界史の学習指導について」発学第247号、1949年4月12日)
- 新しい歴史教育の在り方を示すが、何の準備も無く「世界史」を始めた状況も
- 「社会科歴史学習の目標」として9項目をあげる
- 「戦争、王朝、政治事件の年代史であってはならない」と提示、学習形態は一般社会科に準拠した単元学習、「概説の学習におちいらぬよう」に注意
- 文部省にいた渡辺是と文部省での中学「国史」教科書編集に関わる高橋磌一とが相談して書いたと言われる
- 学習指導要領:「東洋史」「西洋史」のものを「一応参考としてもかまわない」
- 教科書について:「現在刊行されているのは、西洋の歴史(上)(ママ)のみであるから他は教授者によって適当に考慮されたい」
- 一種検定教科書である『西洋の歴史(2)』と『東洋の歴史(1)(2)』の学校が許可されなかった
- 教師は何でも使える状況にあった
- 「世界史」の教科書検定基準
- 最初の「教科用図書検定基準」は「世界史」設置発表後にもかかわらず、「東洋史」「西洋史」で発表された(文部省告示第12号 1949年2月9日)
- 1948年10月の「世界史」設置発表後に「世界史」の教科書検定基準の作成が始まり、1949年1月に教科用図書委員会の承認を受けたが、すでに間に合わなかった
- 「世界史」の教科書検定基準は1949年3月に追加の形で初めて発表された(1949年3月22日「教科用図書検定基準の一部改正」〔文部省告示第20号〕のなかの「別表第2の補遺」)
- 2月告示の検定基準における社会科の他の科目と大いに異なる:「絶対条件」として調査すべき「世界史の指導目標」13項目、「必要条件」として調査すべき「世界史の教科書の要件」である重点項目、最低限度の内容などを示す
- 1950年3月にはなぜか「世界史」の教科書検定基準がなくなり「東洋史」「西洋史」の教科書検定基準が掲載(『昭和二十五年三月教科用図書関係法令集』文部省調査普及局刊行課)
- 1951年9月には「世界史」の教科書検定基準は、一般的な基準になる(『昭和二十六年教科用図書検定基準』文部省、1951年9月20日)。ここでの記載がほぼそのままの形で1952年10月30日に文部省告示第88号として正式な検定基準に
- 文部省・占領軍による東洋史・西洋史教科書発行の努力
- 結果的に「世界史」実施後においても正式発行されていたのは『西洋の歴史(1)』のみ
- 高校社会科「日本史」教科書は旧制中学用に作成された『日本の歴史』を重版供給(1949年7月の発調第60号の通達)
- 中学校社会科「国史」教書は1947年11月以降文部省で編纂されるも発行されず
- 文部省・占領軍による「世界史」学習指導要領の作成
- 1947年版の学習指導要領を改訂する作業が48年に着手され49年に本格的に開始、1950年度使用に向けて
- 1950年9月22日、中間発表として「高等学校社会科世界史の学習について」 後の学習指導要領の約3分の1の部分
- 1952年3月「世界史」の学習指導要領が発行(『中学校高等学校 学習指導要領社会科編?(a)日本史(b)世界史〔試案〕―昭和26年〔1951〕改訂版』1952年3月20日)
- はじめての「世界史」学習指導要領、「世界史」授業実施後から3年後であった
- 「世界史の特殊目標」を説明、時代を「近代以前の社会」「近代社会」「現代社会」と分け、それぞれの「参考内容」を提示し、そして「世界史の参考単元例」「導入」「参考資料表」を掲載。
- 社会科としての世界史学習のあり方を様々な例示とともに示す
3 「世界史」設置と教育行政による対応
- 「世界史」教育の実際はすべて教師に任される状態が続く
- 学習指導要領そのものは1952年3月まで発行することができなかった
- 正式な意味での教科書も『西洋の歴史(1)』のみの発行にとどまった
Ⅲ 教師・研究者の「世界史」への対応と高校生
1 世界史についての論議
- 尾鍋輝彦編『世界史の可能性―理論と教育』(東京大学協同組合出版部、1950年3月)
- 1949年夏の座談会(13人)の記録と八つの論説
- 世界史の記述を如何に構成するかという実際問題は論じられず
- 教育として世界史の言及に乏しい
- 橘高信「社会科世界史の理論と学習活動の指導について」
- 生徒の班別活動による学習活動の指導の方法を解説、社会科世界史の具体像を示す
- 「社会科世界史は知識の学問である以上に実践への学であるとされないだろうか」
- 「歴史学者に『社会発展の当為の学としての世界史』の学問的研究を要請したいのである」
- 生徒の班別活動による学習活動の指導の方法を解説、社会科世界史の具体像を示す
2 「世界史」準教科書の登場
- 正式な教科書『西洋の歴史(1)』のみ(1947年8月)
- 検定「世界史」教科書の正式な使用は1952年4月から(5種のみ、1953年度用は7種、1954年度用は10種)
- 「世界史」授業用に作成された図書が数多く発行された →ここでは準教科書と呼ぶ
- 注目すべきは世界史をなぜ、どのように学ぶかを序文で力説しているものが多い点
- 改訂版を発行し続けられたのは一部にとどまり、多くの「世界史」準教科書が検定教科書となることなく消えていった
- 学習指導要領にもとづく検定教科書制度の本格的な実施にともなって「世界史」教科書はある意味で整備されつつ多様性を失う。
3 教師の苦悩と生徒の期待そして大学受験
- 「世界史」と高校生
- 「世界史」は高校生に非常に歓迎された
- 千葉県での1949年4月入学制の卒業時までに選択した科目の調査では社会科は「世界史」「日本史」「人文地理」「時事問題」の順で、「世界史」は7割近くが履修(『中等教育資料』1-3、1952年4月)
- 「世界史」は高校生に非常に歓迎された
- 「世界史」と大学入試
- 一番すんなりと「東洋史」「西洋史」から「世界史」に移行したのが大学入試
- 文部省により問題の形式を従来の旧制大学での「論文テスト」から「客観的テストの方式」が望ましいとされたが、国立大学では実際には併用された
- 1949年度の新制大学の入試の社会科は「一般社会」「時事問題」「国史」「東洋史」「西洋史」「人文地理」から一つ選択し、さらに共通する問題が出題された
- 1950年度入試から「世界史」も入るが、「東洋史」「西洋史」もしばらく残された
- 「世界史」が設置されたと同時に大学の入試科目に位置づけられ、検定教科書や学習指導要領よりも早くその存在を高校教師や高校生に印象づけた。
- 「世界史」は出発時から大学入試と不可分な存在となり、新たな基準となる現実があった
4 「世界史」と教師・研究者・高校生
- 「世界史」は十分な準備も無く実施が開始。文部省も占領軍も「世界史」の具体的な内容を示せず
- 一部の歴史研究者による世界史をめぐる論議 → 本当の意味での「世界史」とは何かを出発点において求めたことに意義
- 「社会科世界史」としての授業を検討した一部の高校教師
- 荒削りながらも多種多様な準教科書
- やりにくいと感じながら「世界史」を教えた教師と期待をもって選択した多くの生徒
- 入試「世界史」はいち早く独自の地位を占めていく
- 出発点の「世界史」の背景
- 1950年前後の世界と国内情勢
- 当時の「世界史」にかかわる論文、教育実践報告から準教科書・検定教科書、受験参考書まで、世界史を学ぶことが自分たちの進むべき道に直結した課題だと認識されている