(1)ロシア革命とシベリア出兵
(1)-1日蘇関係史の研究
- 概要
- 小林幸男『日ソ政治外交史』
- 1925年における日ソ国交樹立と治安維持法の関係を明確化
- 日本国内の研究者は日本の史料しか見ていない。
- 語学力の問題など
- 日本史は日本史でロシア史ではロシア史でというセクト化している
(1)-2.シベリア出兵
- ロシアは連合国
- シベリア出兵の兵力
- シベリア出兵の目的
- なぜ日本はシベリアから撤兵しなかったのか?
- 革命が成功した後も日本は軍隊を置き続ける
- ここで事件が起こる!!!
(1)-3.ニコライエフスク事件 尼港事件
- 1920年3月編
- 日本による北樺太の「保障占領」について
- 日本軍は北樺太を占領。「保障占領」という。ニコライエフスク事件の報復として占領(1920.5〜1925)
- シベリアからは撤兵するが、北樺太の占領は続ける 1922年6月24日、日本政府はシベリア撤兵を声明(10月末 徹底完了)
(2)日ソ国交回復
(2)-1.外交交渉
- 芳沢謙吉・カラハン会談
- ポーツマス条約の効力存続を確認 →基本条約案第6条は新しくソ連から日本に提供(ニコライエフスク事件の賠償的な意味)
- 基本条約案第6条はソ連における鉱山森林その他の富源の開発に関わる利権を日本に供与するとしている。
- ポーツマス条約の効力存続を確認 →基本条約案第6条は新しくソ連から日本に提供(ニコライエフスク事件の賠償的な意味)
まとめ
- ☆シベリア出兵で問題があったが 利害関係が一致して 有効な関係となった。