1.イギリスのインド進出
(1) 商品経済の発展と地方勢力の自立
2.インド帝国の成立
(1)東インド会社の変貌
(2)経済的従属国へ転落
- 【世界に誇るインド産綿布】⇒【英産業革命】⇒【英国機械制綿布】⇒【一次産品輸出・英国製品輸入 】
(3)植民地統治政策
(4)インド社会の変化
- 従来:一つの土地に対して様々な仕事をする人々が権利を持ち、村の総生産の一部を得て生活。
- 新制度:人々の中から1人だけが選ばれて土地所有者とされ、他の人々の権益は無視された。
(5)インド大反乱
3.南アジアにおけるナショナリズムの芽生え
(2)民族運動の開始
(3)インド国民会議ボンベイ大会
- 背景
- インド人の民族的な自覚…西洋教育を受けた知識人層の形成+民族資本の成長
- イギリス本国側の思惑…インド人エリートを植民地支配に利用する
4.二つの世界大戦とインド
(1)第一次世界大戦後のインド
- ①戦争と社会契約
- 1917年、インド相モンタギューは戦争協力を条件に自治を約束。
- 背景:WWⅠで大量のインド兵が戦線に送られ、多数の戦死者を出す。
- 1917年、インド相モンタギューは戦争協力を条件に自治を約束。
- ②民族自決の国際世論のもと、自治を承認。しかし・・・そんなことはなかった!!
- ☆1.1919年インド統治法では州行政の一部をインド人に委ねたものの、中央はイギリスが掌握し続けるものであり、自治とはほど遠い内容。
- ☆2.ローラット法でインド人に対する令状なしの逮捕、裁判抜きの投獄を認める!
- ③アムリットサール事件
- 独立約束の無視とローラット法発布に対するパンジャーブ地方のアムリットサール市での抗議集会に、イギリス軍が発砲し、1000名以上の死傷者を出した事件。インドの反英運動は激化した。
(2)ガンディーの登場
- 1888~1891 ロンドンに留学、弁護士資格を取る。
- 1893~1915 南アフリカで弁護士業。インド人移民労働者への差別に対し、非暴力運動を展開。差別撤廃運動に勝利した。
- 1915 ガンディー帰国。熱狂的な歓迎を受ける。
(3)ガンディーの運動と挫折
- ①非暴力・不服従運動の展開
- 不当な法令への不服従、納税の拒否、公職の放棄、イギリス商品の不買、国産品の使用などをつうじて独立を勝ち取ろうとするもの。
- ☆ガンディーの歴史的意義
- 従来ほぼ都市の知識人層に限られていた民族運動を、一般大衆の参加する全インド的な運動へと高めたこと。
- ②ムスリムとの連携
- ③運動の挫折
- 1922年 農民による警察官殺害事件が発生したため、運動の暴力化を怖れて停止された。
(4)1927~34年のインド
- ①サイモン委員会問題 (1927)
- インド統治法改正のための調査を目的とした憲政改革委員会にインド人が一人も含まれていなかったので反英民族運動が活発化した。
- ②インド国民会議ラホール大会(1929)
- 指導者はネルー。「完全なる独立」の意味である「プールナ=スワラージ」を決議。
- ③第二次非暴力不服従運動(1930~34)
- 塩の行進(1930)…塩の専売法に反対したガンディーが1930年、アフマダバードからダンディの海岸まで360㎞を80人で29日間行進し、自ら塩を作る作業を行った。巡礼を思わせる行進は熱狂的に支持され、反英運動をさらに高めた。
- ④英印円卓会議 (1930~32)
- 独立運動の抱き込みと抑止のために、イギリスがインド側の指導者をロンドンに招いて開催した。1930~32年にかけて3回開催されたが、失敗に終わった。なおガンディーは運動を中断して第2回会議に参加している。