【ニンテンドウカップ2000】第4回ポケモンリーグ~最強55ケンタロス(ビクトリー)率いる熊本代表中村彰くん(高2)を、宮城代表佐藤祐希くん(高3)がむし!(ヘラクロス)のこらきし戦法で3縦してミラクル大逆転した思い出~

今でこそポケモン対戦はメジャーなものとなり、世界大会が行われe-sportsの名の下に極光を浴びるようになった。だがゲームボーイや64時代はまだまだ環境も未整備で、手探りながら、研究が進められていたのである。そのためテレ東の夕方に渡辺徹がやってたマリオクラブでは、日に日に新しい戦法が生み出され、当時の小学生たちは熱狂したものである。

ポケモン対戦黎明期

当時は渡辺徹司会のテレ東の番組を見てポケモンバトルを研究したものであった

当時は種族値だの努力値だのがハッキリとは明らかにされていなかったし、技の威力や仕様も謎であった。だが次第に対戦が行われる中で、戦術は洗練されていった。初代は命中90威力120凍結3割の「ふぶき」が猛威を振るい、相手を倒せば破壊光線に反動が無く、すばやさ依存の環境であり、だいばくはつの威力は340(相手の防御を半分にしてダメージ計算)で、エスパーにはほぼほぼ弱点が無かった。故に、まさこ(ルージュラ)、ぎゅうた(ケンタロス)、おまる(マルマイン)、ラプラス、スターミー、フーディン、ゲンガー、ダグトリオ等に収斂されていった。特にケンタロスはどのプレイヤーも手持ちに入れており、吹雪・破壊光線・地震(圧し掛かり)・影分身の技構成で人気を博したものであった。初代は特殊が特攻と特防に分かれていなかったし、3世代までは個別の技が物理と特殊に分かれるのではなくタイプ全体で物理か特殊が決まっていた(水や炎や草なら全部特殊、ノーマルや飛行や地面なら全部物理だった)のでケンタロス人気は高かったのである。

第4回ポケモンリーグ「ニンテンドウカップ2000」の歴史的名シーン

最強55ケンタロスの中村彰VSこらきしヘラクロスの佐藤祐希

金銀になってからもケンタロスが使われることは多く、第4回ポケモンリーグ公式大会では熊本代表中村彰くん(高2)がケンタロス(ビクトリー)を引き連れ、まさに最強を示そうとしていたのであった。そのような中で、ミラクルを起こしたのが、宮城代表佐藤祐希くん(高3)。決勝戦ではバトルの展開的に、誰もが55ケンタロスの勝利を疑わなかった。そのような中で、むし!(ヘラクロス)のこらきし戦法が炸裂したのである!

バトルの流れとしては、中村彰くんがハッサムを繰り出し、バフ技でATK2段階上昇の剣舞を2回決めると、能力上昇を次のポケモンに引き継げるバトンタッチで55ケンタロスに交代。ケンタロスは「捨て身タックル」により佐藤祐希くんのサンダーやガルーラを一撃で葬っていった。この時、誰もが中村彰くんの優勝を確信したに違いない。

剣舞×2→バトンタッチ→最強55ケンタロス

佐藤祐希くんが最後に繰り出したのは「むし!」という名のヘラクロス。彼にも捨て身タックルが襲い掛かるが「こらえる」によってHP1で踏みとどまった。「こらえる」をした上で、HPが低いほど威力が増す「きしかいせい」を使用するパターンは「こらきし戦法」として当時も広く普及していた。だがこの戦法を使うには自ポケモンが相手ポケモンより素早くなければ次ターンに先行され沈められるので意味が無いのである。55ケンタロスの「ビクトリー」は「むし!」よりも速かった。中村彰くんは満を持してケンタロスを先行させ捨て身タックルを放ち、優勝を決めた!!……かに見えた。だがここで「むし!」は「きあいのハチマキ」を発動させ、またもやHP1で耐えきったのだ。「きあいのハチマキ」の発動条件は10%である。まさにミラクル!「むし!」は次々と「きしかいせい」を決め、ケンタロスカビゴンハッサムを3縦して優勝した。

こらえる→きあいのハチマキ→きしかいせい

ケンタロス最強を示さんとした中村彰くんはまさに奇跡的展開で、佐藤祐希くんに敗れたのであった。しかし当時の高校生は、今の高校生とは異なり、顔つき的にも精神的にも成熟していた。中村彰くんは精悍なイケメンなのだが、負けてもきちんと敗北を受け止め、名言を残すのである。「きあいのハチマキ…って、なんか良く分かんないけど、確率じゃないっすね。っぱ根性で残るんですね」。このセリフは佐藤祐希くんを称えるものであり、爽やかな幕引きとなった。

当時の高校生って成熟して大人びているよね。顔つき的にも精神的にも