杉山正明・北川誠一『世界の歴史9 大モンゴルの時代』中公文庫 2008

高等学校の地歴科の中の「世界史」という科目における世界観はどのようなものになっているか。そもそも歴史記述というものは、各研究者の歴史観によって成り立ってるので、単一普遍の歴史というものはあるわけがない。どのような観点で歴史を綴るのかというのが重要になってくるわけだが、それを扱うのは歴史哲学の分野である。だが、教科教育の分野からいっても、学習指導要領が提示する歴史観がどのような背景思想をもっているかを把握しておくことは重要だといえよう。

高等学校の平成11年版と平成21年版の学習指導要領において、世界史は諸地域世界という世界観で構成されている。各々の場所で発生した諸地域世界が接触交流を繰り返すことによって「地球世界史」に至るという流れである。このときウォーラステインやブローデルなどの影響もあって16世紀から「地球世界史」が始まるとされてるが、この「地球世界史」が形成される前に、13世紀にモンゴルがユーラシアを結合させたことの重要性もまた説かれている。

前置きが長くなったが、このモンゴルによるユーラシアの結合の背景を説明してくれているのが、この本である。前者の杉山正明パートでは、主にこのモンゴルによるユーラシア結合である「アフロ・ユーラシア」について書かれている。そして、かつての征服王朝史観やモンゴルの中国支配の記述をことごとく批判している。その批判っぷりは記述からもひしひしと感じられる。感じられすぎる。ここでは、学習指導要領の背景となる「ユーラシア世界史」についてメモしておく。

 モンゴル時代は、「ユーラシア世界史」から「地球世界史」へという、人類史の二段階の接点に位置する。陸海を通じたアフロ・ユーラシアの循環交流網、資本主義・重商主義をおもわせる世界規模での経済様相、そしてどの地域をもおしつつむ文化・社会の異様なまでの活況とノン・イデオロギーの共生とでもいうべき枠組みのうすいハイブリッド世界―――。これらはまさに、はるかなる近代の扉を開くものであった。
 つまり「大航海時代」のまえに、「アフロ・ユーラシア」の一体化という世界規模の大現象がまずあった。その意味で「大航海時代」はモンゴル時代を前提とし、その延長線上にある。モンゴル時代には、ユーラシアの西の片隅に、小さく居すくんでいた西欧が、一体化した「アフロ・ユーラシア」から押し出されるように海に出て、アメリカを発見し、西欧世界を海越しに発展させる端緒をえたのである。(296-297頁)

後者の北川誠一パートでは、モンゴル民族とイスラーム教の接合について扱う。支配の正当性の理論的根拠を軸に、ティーム帝国とムガール帝国がどのようにして、チンギス・ハンの血統とイスラームを取り入れていったかを描く。

 モンゴル帝国成立の条件は、ほかのさまざまな原因に増して、チンギス・ハンの世界支配権が神によるとする理念に求めなければならない。しかし、時を経るに従って、この理念はほかの新しい理念の挑戦を受ける。モンゴル人は、チンギス・ハン信仰とは本来あいいれないはずのイスラーム教の信者になったので、チンギス・ハン王権神授説は、イスラーム教と調和するような大きな変更を受けた。その結果、イスラーム教もモンゴル帝国の広がりに沿って拡大することができた。(中略)最後にモンゴル国家は、イスラーム教ともトルコ系伝統とも一致する民族と統治権の理論を作り上げ、国境と民族の枠を越えた意識的広がりを作り上げた。
 私は中央ユーラシアの将来を眺めるとき、ロシア連邦の中のトルコ系住民の動向が重要だと述べた。彼らは、文化的歴史的にはイスラーム教徒である。私が、民族的にはトルコ人からなる大モンゴルを再発見したとき、それは、イスラーム化した大陸であるとわかった。チンギス・ハンの伝統を意識的無意識的に持ちながら、あるいはそれに反発して、この世界は、イスラーム化した。結果としては、イスラーム教はこの広大な広がりの中で、モンゴル人と結びつくことによって、発展することができたのである。(506-507頁)