雑録

2018年1月13日実施 センター試験「国語」の概要をざっくりと紹介する。

今年は、評論は「文化心理学の重要性」、小説は「夫婦論〜妻の視点〜」、古文は「恋と情の和歌論」、漢文は「君臣関係を題材にした統治論」がテーマとなっていました。ここでは2018センター国語の概要をざっくりと紹介していきます。今年のセンターってどうなの?という大まかな内容を知りたい人向けです。本当に詳細が知りたい人は予備校のサイトを見ましょうね。

  • 入試国語で問われているのは、「テクストを読んだ自分とは異なる他者がどういう思考方式でその解釈を導きだしたのかを類推する能力」
    • 毎年書いていることですが、受験国語では「三つの磁場」の存在を忘れてはいけません。それは「テクスト」・「出題者の解釈」・「受験生(自分)」の三つです。普段の日常で(入試とは関係のない場面で)、私たちが読解を行う場合は、テクストをどのように解釈しても構いません。一つのテクストから複数の解釈が生まれるのは普通のことです。それ故、学校の授業や大学のゼミなどで行われているのは「自分がどのように読んだか(解釈したか)を他者と共有する」という作業なのですね。しかし大学受験の場合は「解釈」が一つになります。これはどういうことかというと、「出題者」が「テクスト」をどのように「解釈」したのかを、「受験生(自分)」が「再解釈」することが求められているのです。つまり、「テクストを読んだ自分とは異なる他者がどういう思考方式でその解釈を導きだしたのかを類推する能力」を問われているわけです。こう考えると、学校の授業とは教員の解釈を覚えるのではなく、この教員はこのような論理でこのように解釈したのかという思考方式を踏む訓練なのですね。
    • 以上により、あくまでも入試の場合は出題者がどう読んだかが問われているのです。往々にしてマスメディアに「筆者」が現れて「そのような意図では書いていない」と発言して話題になることがよくありますが、入試国語に関してはそういうものではないことは皆さまもうお分かりのはずです。

評論 有元典文・岡部大介『デザインド・リアリティ――集合的達成の心理学』

  • 概要
    • 既存の心理学を批判し、「文化心理学」が必要であるということを唱えるという文章。そのため題材としては「デザイン」を用い、評論形式としては「個別具体事例を用いて抽象度を上げていく」というパターンをとっている。
  • 大まかな内容
    • 「解釈の多義性」を枕にしてデザイン論の話を始め、デザインとは「対象に異なる秩序を与えること」と定義する。そして私たちが住まう現実はもう既にデザインされた現実であり、文化的意味に価値づけられた世界なのだと説明する。つまりは、私たちの行為には、元となる始原の行為など存在せず、一見すると原行為に見える行為も文化歴史的に規定されている。だが、現在の心理学は原行為があるものと無自覚に想定している。すなわち「原心理」があると想定しているのである。それゆえ「原心理」など存在せず、文化歴史的条件と不可分であることを認識しなければならない。それが「文化心理学」である。

小説 井上荒野「キュウリいろいろ」

  • 概要
    • 夫婦論。妻視点描写。息子を亡くした後、夫婦間で色々とあり、妻は夫を憎んだこともあった。だが夫が亡くなった後、亡夫の軌跡を辿ることで、夫を憎みながらも想っていたのだと夫婦間の時間の積み重ねが再認識される。
  • 大まかな内容
    • 3つのパートに分れており、それぞれ仏壇パート、電車移動パート、夫の地元パートの3場面である。「夫に対する心情描写の変化を読み取っていく」作業が問われている。仏壇編では酒を飲みながら遺影の前で亡夫に対する複雑な感情が紹介される。特にお盆の「帰りの牛を作らない」という行為が破壊力抜群であり、「そのままずっとわたしのそばにいればいい」という妄執がすごい。続いて電車移動パート。ここでは妊娠時における夫からの気遣いの想起と、写真による客観的な視点の提示が行われる。電車で席を譲られたことから、妊娠時にも席を譲られた経験を思い出す。ボテ腹でなくても妊婦と判断されたのは、妊婦の外見ではなく妊婦に対する夫の振る舞いであったことを思い出し、自分が如何に夫から愛されていたのかを噛みしめる。また息子を亡くしたことでふさぎ込んでいたと思っていたが、写真を見返すと幸せそうに笑う夫と自分の姿を見出し、夫婦間の関係を再確認することになる。そしてラストの夫の地元パートでは、話しに聞いていただけで時間軸的に実際には見ることもできなかった夫の若い頃の姿について、夫が若いころに過ごしていた街並みや学校を見ることで、自分内イメージ像が想起され湧き上がる。これにより、自分が如何に夫のなにげない思いや記憶を受け止めて自己の中に刻み込んできていたのかを再認識する。いさかいがあったが、積み重ねてきた夫婦間の時間は確かであり、その時間がもたらした夫に対する感情は、複雑ではあるが確かなものであった。

古文『石上私淑言』

  • 概要
    • 和歌論。本居宣長の和歌に関する価値観が提示されている。「恋」の和歌が多いことに関して「情」と「欲」の観点からアプローチし、本居宣長が「情」をハラショーしているのを読み取れば良い。
  • 大まかな内容
    • 問答形式をとり、本居宣長が二つの質問に答える。一つ目は「恋の歌が多いのはなぜか」。二つ目は「色恋よりも欲望の方が抑えがたいのに詠まれないのはなぜか」。一つ目に関しては、人の感情の中でも恋は切実なものであり、上代から中心的なテーマとなっていたと答える。二つ目の問いに関しては、まず「情」と「欲」を分ける。「情」は誰かをいとしく思う身に染みる細やかな思い。「欲」とは何かを願い求めること。「恋」は「情」と「欲」にの双方に関わるがやはり「情」にウェイトが置かれる。二つ目の質問で「欲望>色恋」と発言されたが、後世において「情」が心弱いものとして恥じられるようになり表に出さなくなったから。和歌では「情」は恥じない。そして「歌」は「物のあはれ」から生まれるのであって、「欲」を題材とする「詩」とは大きく異なる。

李蝱『続資治通鑑長編』

  • 概要
    • 統治論。漢文お馴染みの例え話として故事を挙げながらうまいこと言うとパターンである。とりあえず余計な部分は捨象すると、「君臣関係が良好であることが大事」ということを言いたいだけである。それを納得させるため説得力を増させるために、故事を挙げてうまいこと言う人を文章中のキャラクターとして登場させて、やり取りをさせる。出題内容はこのやり取りを追うことだが、「君臣関係が大事ということをイイタイのだな」ということをおさえておけば解ける。
  • 大まかな内容
    • 登場キャラは嘉祐と寇準の二人。嘉祐はバカキャラ担当なのだが、寇準は嘉祐が愚かではないことを知っていた。それは寇準が開封府の知事だったときの以下のエピソードによる。寇準は自己に対する評判について嘉祐に質問した。嘉祐が質問に答えるには、世間ではすぐに寇準が宰相職に就くと言われているが、嘉祐の考えではすぐには宰相にならないほうがよいとのこと。それに対して何故と質問する寇準。ここでセンター漢文パターンに入り故事の事例紹介が行われて説教展開となる。魚に水が必要なように皇帝と宰相の関係が良好であることが必要だけど、寇準はKOUTEIとDOUNANO?人々は寇準に天下太平を求めますが、皇帝の好感度足りないと太平は実現できないので、民衆の期待をそこねてしまいますよと。これを聞いた寇準は嘉祐はバカキャラじゃないと見識の高さを評価する。嘉祐は君臣関係の在り方を理解している上に、寇準と皇帝の好感度も分かってて、寇準の進退を的確に進言してるじゃん。嘉祐のパパは文章で有名だけど、見識の高さについては嘉祐のパパも嘉祐にはかなわないじゃん!と褒める。