雑録

世界史教育の2017年までの現状と課題

日本の歴史教育は戦後最大の改編期を迎えている。結局2017年中には高等学校の新しい学習指導要領は告示されなかったが、2022年の高1から年次進行で実施されることになっている。高等学校の新しい学習指導要領において地理歴史科の場合、教科編成論では「総合・探究科目の登場」、内容構成論・教科指導法では「通史学習の終焉」・「主体的で対話的な深い学び」・「歴史リテラシー」・「生徒の文脈に沿った題材」が議論の対象となっている。そして歴史教員は教科教育者としての指導力・教科内容に関する深い専門性・歴史学者としての思考作法が求められるようになっている。ここではそれらの問題について整理する。

教科編成論「総合・探究科目の登場」

  • 2022年高1より年次進行で実施される地理歴史科編成について
    • 地理歴史科の科目編成として、従来の世界史A・世界史B・日本史A・日本史B・地理A・地理Bといった区分は解体されることになっている。新しく世界史と日本史の近現代史を融合させた「歴史総合」(2単位)が必履修科目として誕生する。地理も必修となり「地理総合」(2単位)が新設される。この総合系2科目4単位が必履修となる。そして選択科目として探究型(3単位)の「世界史探究」・「日本史探究」・「地理探究」が設置されることになった。
  • 従来の地理歴史科
    • 平成元年版学習指導要領により社会科は解体され地理歴史科と公民科に分れた。地理歴史科は世界史A・世界史B・日本史A・日本史B・地理A・地理Bと6科目で編成され、必履修としては世界史Aまたは世界史Bのどちらかを必ず選択し、その他の選択必修として日本史A・日本史B・地理A・地理Bの4科目の中から一つ選べば良かった。A科目とB科目の違いは単位数であり、A科目が2単位、B科目が4単位である。1単位が週1時間で合計35時間計算である。
  • 従来のカリキュラムパターン
    • 従来のカリキュラムパターンでは、高1もしくは高2で世界史の必履修を満たし、高2もしくは高3の文理分けにより、文系は日本史選択、理系は地理選択となることがセオリーであった(勿論例外はある)。これは受験校の場合はセンター地歴の選択からも窺うことができる。世界史Bの受験者は日本史Bの受験者の約半分である。受験生のうちの文系の大半は日本史をメインウェポンとし、理系の場合はセンターで地理か公民を選ぶというのが定石であった。受験校でない場合も、カリキュラムを作る教員の出身母体は受験校出身であることから、必修世界史に文系日本史、理系地理というパターンとなりうる。実業高校の場合は負担の少ないA科目となる。
  • 日本史が「選択」必修であったことへの批判とそれへの対応
    • 従来の履修方法では、高校で日本史を学ばない理系や、地理を学ばない文系が発生していた。日本史が必履修でないことに対しては、右よりの立場の人たちからはナショナリズム的な愛国心を醸成するためにも日本史を必修化せよとの批判が生じていた。
    • 日本史を選択しないという問題については、論点がぼやかされた。日本史と世界史の近現代史を融合させる「歴史総合」の新設である。一見すると日本史も大切しますよという感じもするがそうではない。日本史と世界史の融合であれば、地域的には世界における北東アジアの国際関係史という位置づけとなるであろう。時代的には近現代史であり、北東アジアの近現代史といえば、冊封システムが西洋近代の主権-国民国家体制に呑みこまれる中で、アジアの国際体制が再編されていく過程となる。これは「近代化に成功した唯一のアジア国家日本!」ということで右派を満足させるかもしれないが、背景には国民国家史観を相対化させるグローバルヒストリーや日本を北東アジア地域でとらえる視点が導入されている。その点で、ナショナリズム的な立場で日本史が必修でないことを批判していた人々への要求では何ら答えていないのであるが、答えているようにも見せかけているので、論点をぼやかしたといえる。
  • 「地理総合」と地理教員問題について
    • 東日本大震災の影響により自然災害の多い日本において地理が軽視されていることへの批判から「地理総合」が新設され、地理が単独で必修となった。しかし地理は自然地理と人文地理で随分と分野の質が異なるし、さらに次の学習指導要領からは最新のICT技能を用いた地理学習が求められている。
    • 従来の科目編成では地理は長年理系が選択する科目であった。そのため高校時代に地理を履修してこなかった教員も多い。大学時代に地理を専門としていれば別だが、地理に関する講義をいくつか受けただけで地理歴史科の免許を取った教員が片手間で地理を担当することもあった。
    • よって地理教育の専門的訓練を積み、自然地理と人文地理の専門性を備え、なおかつ最新のICT技能を習得した地理教員は稀有な存在となっており、教員養成において人材の供給が問題となっている。
    • そして、「地理総合」は必修となったが、「探究」科目は理系は履修しないことを考えると、文系で「地理探究」を選択する層がどれだけいるのかというのも問題になり得る。

内容構成論・教科指導法

これまでの問題点の整理
  • 学校現場の授業風景
    • 従来学校の歴史の授業では、内容としては教科書をまとめたものを、教材としては板書orオリジナルのプリントor教科書対応ワークを、方法としては教員による解説、というのがオーソドックスなものであった。
    • しかしながら日本史も世界史も4単位では絶対にB科目は受験に使えるところまでは育たない。世界史では前近代から始めるにしろ近現代から始めるにしろ、受験選択者以外を見捨てて尻切れトンボで終わり、受験で選択した人々だけが続きを学ぶという形式であった。これを世界史尻切れトンボ問題といい、世界史の全体像・時代の特徴や展開・大きな枠組みと流れを習得することはなかなか難しかったのである。また日本史にしろ世界史にしろ全体像の流れを扱うことが重要視され、実践として細かな用語の暗記よりも流れを中心に扱う取り組みも行われてきたが、教科書に書かれているゴチック体の用語を覚えることが歴史学習だと思い込んでいる教員や生徒から反発もまた生まれたのである。
  • 平成21(2009)年版学習指導要領に基づく世界史B教科書の内容構成原理について
    • 特に世界史の教科書は、その内容構成原理に習熟していないと使いこなせない。世界史といっても世界の歴史の全てを扱うことはできず、「日本の高校生が身につけるべき」世界史として内容構成がなされている。この内容構成原理についても西洋中心主義批判や文化圏学習、主題学習構成など様々な歴史的展開があった。教科書はもちろん現行の学習指導要領に内容構成を規定されているのであり、その世界史像は「諸地域世界と世界の一体化」というものである。ウォーラーステイン世界システム論と平成元年版以前の文化圏学習を混ぜたものであり、前近代の世界においては諸地域世界が独自に各々の地域を形成していったが、その後接触交流が起こり次第に一体化していくという世界観なのである。学習指導要領を読みこみ、内容構成原理を理解している教員は教科書を使いこなすことができる。だが、それを分かっていないと、教科書の内容をのんべんだらりと説明し、ある程度時間軸が進んだところでブツ切りになって別の地域に飛ぶというスタイルになってしまい、全体像が分からなくなってしまうのである。
  • 世界史教育の従来の問題点まとめ
    • 以上により、世界史は、受験で使用するB科目は絶対に4単位で終わらず、そのため受験生以外は世界史の全体像を描くことはできず、そして教科書の太字をただ覚えるだけという断片的な知識の羅列に始終することとなってしまったのである。
    • このような状況を打破するため、用語を覚えることが歴史学習ではないことを力説し、4単位で世界史の通史の全体像を描き出す必要があったのである。
平成34(2022)年高1より年次進行で実施される予定の学習指導要領による議論
  • 「主体的で対話的な深い学び」
    • 教員が一方的に解説するだけであり、尚且つ、内容の全体像を提示できずにブツ切りの知識で尻切れトンボに終わるというのが従来の歴史学習であった(特に世界史)。この状況を転換させるのが「主体的で対話的な深い学び」、すなわちアクティブラーニングの導入である。歴史学習の場合、体系的・系統的・全体的な歴史像の習得よりも、歴史学習を通して生徒主体で活動させ、生徒の歴史的思考力や歴史リテラシーを伸ばそうではないかという議論である。
    • ただこのアクティブラーニングは初期社会科の時に懸念されたように、ただ活動して終わるという状況を生んでおり、「這い回る社会科」の再来という危惧もなされている。育成を目指す「歴史能力」がきちんと提示され、その能力を獲得する手段がアクティブラーニングであり、アクティブラーニングを行った結果、きちんと能力が育成されたのかを検証しなければならないのである。
    • ただアクティブラーニングを目指して身につけるべき歴史リテラシー・歴史能力・歴史的思考力とはいったい何なのか、どうやって身に付いたと判断できるのか。これが明確ではない。
  • 歴史リテラシーについて
    • 歴史を通して身につける事ができる能力/身につけるべき能力、それは一体何か。これには国際バカロレアのディプロマプログラム及び大阪大学歴史教育が参考になる。
    • 国際バカロレアのディプロマプログラムでは、通史学習という形態をとっていない。歴史を通して身につけるべき能力を原因・結果・変化・連続・意義・視点の6つに分類し、それらを身につけさせるためのテーマを用意しており、それらのテーマの学習を通して、歴史リテラシーを身につける。全体像の把握などは元より問題にしていない。
    • 阪大史学の場合は、「歴史を学ぶ6つの意義と効用」を掲げ、「積み重ね」・「繰り返し」・「長期的で広い視野」・「異文化理解」・「情報リテラシー」・「娯楽」の6つを歴史教育の根幹としている。また、歴史を通して身につける事の出来る能力の具体的事例を挙げ、『歴史の基本公式100選』の作成を提唱している。阪大史学の場合は、教員各自がある一定の体系を持った内容構成をカリキュラムで組んで、一つの歴史像を提示すれば良いとのこと。
  • 児童・生徒の「文脈」に沿った題材
    • 全国社会科教育学会におけるアメリカの歴史教育の紹介例では、ワインバーグ、レヴステイク&バートン、ヴァンスレッドライトが挙げられている。彼らはそれぞれ、歴史学の思考作法の習得・参加型民主主義・探究アプローチの授業を提唱している。
    • これらの歴史教育者にも関連することだが、2017年度の全社学で特に強調されていたのが、児童・生徒の「文脈」に即した内容とすることについてである。つまりは児童・生徒たちが現在切実な自分の問題だと共感できる題材を扱いということ。そしてそれを用いて異文化理解や他者理解、資史料解釈などのリテラシーを育成する。つまり大切なのは生徒の興味関心切実性であり、扱う内容はその時、その時で題材が異なるのであり、統一した授業内容は重視されない。
通史学習の終焉
  • これからの歴史教育で求められるもの。
    • これからの歴史教育において、従来のような教科書に書いてある内容を通史的にただ解説する/覚えさせるという授業形式は終焉するだろう。ではどのような歴史学習が想定されるかというと、以下のようなものが考えられる。
    • 能力育成
      • 「歴史を通して身につけることのできる能力」を育成する能力主義。これまでは全高校生に中央集権的に学ぶべき歴史像が提示されていた。しかしこれからは内容の提示ではなく、「身につけるべき能力」が提示されることになり、それらの能力をどのように教員が育成するかが課題となる。
    • 事例研究
      • 能力主義とも関係することだが、統一した網羅的全体的な歴史像というものはなくなる。よって、提示された能力を身につけるためにはどのような題材が挙げられるかが焦点となる。そのため、個別具体的な事例研究が中心となるであろう。しかしそれでは恣意的になってしまうため、いくつかのグループの中から事例を選択するなかで、その学習を統合させる/価値づける最終的な狙いが必要となる。具体的には○○の事例を学んでいくと、最終的に△△の全体像・視野を持てますよという展開。
    • 生徒の背景(文脈)
      • 生徒が抱えている問題は地域や個別性により異なる。例えば地域性については、都市形成の変遷などは東京23区の子どもたちにとっては身近な課題であるが地方や田舎や離島の児童生徒にとっては切実ではないであろう。逆に、限界集落や過疎化の問題は地方にとっては深刻だが、都市の児童生徒にとってはイメージしにくいであろう。個別性については児童生徒の出身階層などが挙げられる。富裕層の子弟は労働問題は身近ではないし、貧困層にノビレスオブリージュを説くのも同様であろう。生徒を本当に育成するのだとしたら、学校教育と生徒自身の世界との連続性が必要となる。学校の勉強はどこか遠い世界のところで自分たちとは無縁であるという意識を転換させなければならないのであろう。
  • 最低限の知識について
    • 能力育成型の事例研究系の授業が行われると必ず出てくる批判が知識不足である。統一された歴史像や知識がないと世界観の共有ができないという批判である。また、議論するにしても学問的知識がないので議論が深まらないといった批判もある。
    • まず前者の統一された歴史像についてだが、これは現在学習指導要領により提示される歴史像があってもその全体像を習得している人間はごく一部であるということ。現在の段階でおいてすら、受験で選択した科目以外は断片的な知識の羅列しかないのである。
    • そして議論するにしても学問的知識がないので議論が深まらないという問題について。これについては映像授業などの反転学習が既にもう行われている。教員が人間である以上、授業の上手い下手は出てくるものであるし、その時の気分や調子によって教員のパフォーマンスも変わってくる。よってわざわざ教室という空間に集まって何十人も集まって下手くそな教員のやる気のない授業を年間何百時間も聴くことに意味を見出せなくなってきているのである。だからこそ教員の役割は知識の伝達ではなく、議論の進行役であるファシリテーターであることが求められているのである。知識の習得については、教えるのが上手いとされる授業者の映像をとって動画共有サイトに掲載していつでも誰でもどこででも見られるようにしておくのが結局は効果的であると考えられる。
  • これからの歴史教育の一例
    • 歴史教育の授業は「知識の習得」と「探究学習」と「発表・議論」の時間に分けられる。
    • 「知識の習得の時間」では、映像授業で各々が学ぶ。教員は生徒の学習状況を把握・管理・助言する。
    • 「探究学習」の授業では、「知識の習得」の時間で身につけた内容を前提にして、教員が「なぜ」形式のテーマをこしらえ、資史料に基づきながら、その問いを解明していき、最終的に生徒が自分の言葉で問いに関する答えを記述する。
    • 「発表・議論」では、「探究学習」における「なぜ」の「問い」に関する答えを検討する。教員は予め生徒の答えをピックアップしておき、それらを全体の前で検討する。また対立する答えがあればそれを題材にして、なぜその立場をとるのかを議論させる。これを行うには普段からの意識付けが必要である。授業では自分の意見を発表するものである・自分の意見を表明することで評価される・授業は教員ではなく生徒が発言するものであるという認識を育てていかねばならない。
    • そして歴史教員は教科教育者としての指導力・教科内容に関する深い専門性・歴史学者としての思考作法を身につけていなければならないのである。