2018年1月13日実施 センター試験世界史B解説作り

おそらく多くの学校・塾・予備校で高2・高1の生徒にセンター試験を解かせていると思います。しかしただ漠然と解くだけではダメで、どのような知識がどのような方法で出題されるのかを意識させなければ効率は上がりません。そのため毎年私は受け持ちの受講生に解説作りを推奨しています。一方的に受講生にやらせるだけではなく教員も一緒にやっています。そんなわけでレッツ・チャレンジ。

ノリで書いているので、誤字脱字には充分お気を付けください。

第1問 世界史上の帝国や王朝の支配について

  • 【1】支配の仕組みについて(正文判定)
    • 1:(誤文)ビザンツ帝国は皇帝教皇主義。チェザロパピズモ。領邦教会制はドイツ。各諸侯が教会を保護するため個人の信仰が認められず三十年戦争の原因ともなる。ラノベ狼と香辛料』の続編である『狼と羊皮紙』の舞台が初期近世であり主人公が宗教改革を目指しているのを思い出せば解ける。
    • 2:(正文・正答)ウィットフォーゲルの征服王朝とか二重統治体制の議論でお馴染みの金の猛安・謀克。
    • 3:(誤文)マンサブダール制はムガル帝国。軍人・官僚に土地の徴税権を与えず現金で支給する。
    • 4:(誤文)骨品制は新羅。血統による身分制度。高麗は両班制。
  • 【5】人物史。ヘンリ2世について(正文判定)
    • 1(誤文)アングロサクソン七王国統一はエグバート。
    • 2(正文)プランタジネット朝創設はヘンリ2世。ウィリアム征服王の息子ヘンリ1世は男子の後継者を残さず死去したため内乱が発生。「ヘンリ1世の娘マティルダ」VS「ヘンリ1世の甥スティーヴン」で対立する。スティーヴンが優勢だったが、貴族と貴族高位者が権益拡大のため内乱を利用したため、スティーヴンはマティルダの息子アンジュー伯アンリを自身の後継者として指名し、スティーヴン死後、アンリがヘンリ2世として即位しプランタジネット朝を開いた。
    • 3(誤文)マグナ=カルタはジョン王。フィリップ2世に北フランスの領知を没収されたジョンが軍備のために増税したため貴族に叛乱を起こされ出されたのがマグナ=カルタ。
    • 4(誤文)シモン=ド=モンフォールの反乱はヘンリ3世。ヘンリ3世は貴族との取り決めをシカトしたためシモン=ド=モンフォールに反乱を起こされ、シモン=ド=モンフォールがイングランドの事実上の支配者となる。シモン=ド=モンフォールの議会から庶民がはじめて統治に対して発言したので、イギリス議会の起源とされる。
  • 【6】帝国について(正文判定)
  • 【7】アジアにおける王朝や民族の興亡について(正文判定)
    • 1(誤文)ホスロー1世は突厥と組んでエフタルを討つ。世界史頻出フレーズですね。
    • 2(誤文)冒頓単于柔然ではなく匈奴。漢の劉邦にも勝ってますね。
    • 3(誤文)ヴァルダナ朝が支配したのは北インド。ハルシャ=ヴァルダナ1代で終わり、北インドは強力な統一政権がない状況が続いた。
    • 4(正文・正答)ヒヴァ=ハン国はブハラ=ハン国、コーカンド=ハン国とともに19世紀ロシアに征服されたウズベク系3ハン国の一つ。
  • 【8】歴史書(正文判定)
    • 1(誤文)澶淵の盟は北宋と遼の間の同盟。宋が兄、遼が弟とされたが、宋は寮に銀・絹布を納めることとなった。
    • 2(誤文)国家による土地支給と徴税がセットになってるのは均田制・租庸調。両税法では現住地で課税されるようになり資産額に応じて徴収した。
    • 3(正文・正答)春秋の五覇・戦国の七雄。春秋時代は周王室の権威が残っており、諸侯は王ではなく覇者と称し、諸侯の会盟を主催して秩序を守ろうとした。だが、黄河流域(従来の中国史の中心)でない長江流域の楚・呉・越などの勢力は、周王室を中心とした秩序を維持しようとするようなことはせず、王を名乗るようになった。
    • 4(誤文)長江下流域の開発は頻出。下流域開発は宋代で「江浙熟すれば天下足る」。中流域開発が明代で「湖広熟すれば天下足る」。

第2問 宗教や宗教集団について

  • 【14】商業について(誤文判定)
    • 1(誤文・正答)乾隆帝がヨーロッパ船の来航を限定したのは泉州ではなく広州。
    • 2(正文)キャラバンサライは隊商宿。イスラーム世界用語シリーズ。バザールやスークに隣接して建てられた宿泊施設。
    • 3(正文)シャンパーニュ地方はフランス北部の葡萄酒などで有名。遠隔地貿易の商業ルートとして定期市が開かれて繁栄した。ドラクエ3でカンダタを倒すと金の冠がもらえるところ。
    • 4(正文)明は冊封体制を敷き貿易統制を行ったが、琉球朝貢回数が多かった。そのため中国物産の中継貿易地として発展することになった。
  • 【17】宗教について(正文判定)
    • 1(誤文)エフェソスの公会議で異端となったのはネストリウス派ウィクリフボヘミアのフスとともに異端となったのはコンスタンツ公会議
    • 2(誤文)バングラデシュは戦後パキスタンがインドを挟んで東西飛び地になっていた状態から東部がバングラデュとして独立した国家。サレカット=イスラームは英領インド。
    • 3(誤文)白蓮教徒の乱が起こったのは、元と清。元の場合は紅巾の乱、清の場合は嘉慶白蓮教徒の乱。
    • 4(正文・正答)バーブ教徒の乱(1848〜50)はカージャール朝の封建的な体制と英露などの外国勢力への屈従に反対したイラン民衆が起こした反乱。

第3問 世界史上の都市とその建造物について

  • 【21】人物史・ヨーロッパの君主について
    • 1(誤文)カペー朝を建設したのはパリ伯ユーグ=カペー。フィリップ2世は英王ジョンから領土の大半を奪う。
    • 2(誤文)審査法を制定したのは王政復古期。カトリック復興を目論むチャールズ2世に対抗して、国教徒以外を官職につけなくした。よってエリザベス1世の時代ではない。
    • 3(誤文)クローヴィスはフランク王国メロヴィング朝。ヴァンダルはゲルマン人の民族移動で北アフリカまで移動したことで有名な民族。地図問題とかでよく出る。
    • 4(正文・正答)スペイン王カルロス1世は神聖ローマ帝国皇帝に選出された。皇帝としてはカール5世。16世紀前半のドイツという非常に困難な時代でルターの宗教改革とかシュマルカルデン同盟とかオスマン帝国のスレイマン1世とかフランスのフランソワ1世とかに苦しめられた。
  • 【26】宋代の新法について(正文判定)
    • 1(誤文)新法は王安石司馬光はライバルで旧法党で編年体の『資治通鑑』を書いた。
    • 2(正文)青苗法や市易法で地主や大商人の利益を抑えようとした。
    • 3(誤文)北宋を苦しめたのは遼と西夏。西遼は遼が金と北宋に挟撃されて滅んだ後、耶律大石により建国された。その後、北宋は金に違約をせめられ靖康の変で滅亡し臨安に逃れて南宋となった。
    • 4(誤文)東林派・非東林派の争いは明末であり、宋ではない。
  • 【27】中国近代貿易史(グラフ読解)
    • a 第一次世界大戦は1914〜1918年。グラフを見ると1915年の時にアメリカがイギリスを上回っているので正。
    • b 五四運動はヴェルサイユ条約において二十一か条要求破棄要求が通らなかったので発生した民衆運動なので1919年。義和団事件は1900年。1900年は約5万であり1919年は約45万だからどうみても5倍を超えてる。

第4問 人の移動と戦争との関わりについて

  • 【28】人の移動とその影響について(正誤組合せ)
    • a(正文)スペインは新大陸における布教と引き換えに先住民を使役するエンコミエンダ制を実施した。ラス=カサスが批判したのも有名。のち、先住民の人口減少に伴い労働力不足を補うため、アフリカから黒人奴隷が導入された。
    • b(正文)ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘によりアメリカの先住民人口が激減した。スペイン植民地では1000万以上いた先住民の人口が100万まで激減したとされる。
  • 【29】反乱について(正文判定)
    • 1(正文・正答)ベトナムの黎朝は16世紀に衰退して名目上の存在となり、南北で分裂状態となった。そのような中で西山郡からでた3兄弟が反乱を起こし、長男が西山朝を起こして、南北の政権を倒して、ベトナムを統一した。
    • 2(誤文)陳勝呉広の乱は秦の始皇帝死後に起こった農民反乱。漢末期に起こったのは黄巾の乱
    • 3(誤文)ジャックリーの乱が起こったのはイギリスではなくフランス。百年戦争中に起こった反乱としてはイギリスではワット=タイラーの乱。
    • 4(誤文)ハイドゥの乱はモンゴル帝国。インドでの反乱だと何がある?セポイの乱とか?
  • 【30】人物史 エカチェリーナ2世(正文判定)
  • 【31】ルワンダ内戦(年表挿入)
    • ルワンダ内戦は1990〜1994のツチ族フツ族の内戦。諸悪の根源はベルギーの人種分割統治。ベルギーは原住民をツチとフツに分け、少数のツチを優遇してフツを支配させた。ルワンダは1962年に独立したが、今度は多数派のフツがツチを支配した。ツチは隣国のウガンダに逃れて反政府運動を活発化させた。1990年にツチがルワンダに侵攻し、内戦が勃発。フツによるツチのジェノサイドが起こったが、ツチが全土を掌握し、新政権を樹立して内戦は終わった。しかし、フツはコンゴに逃れてツチと戦闘を繰り広げている。
  • 【35】20世紀の中国の歴史(正文判定)
    • 1(正文・正答) 辛亥革命により1921年に孫文を臨時大総統として中華民国の建国建国が宣言された。だが清朝の総理大臣に起用された袁世凱は革命派と取引して宣統帝の退位と引き換えに、孫文に代わり臨時大総統に就任した。
    • 2(誤文)浙江財閥が組んだのは蔣介石。資本主義サイドの浙江財閥中共と組むのか?組まないでしょう。
    • 3(誤文)清朝による鉄道国有化に反対したのは山東ではなく四川暴動。
    • 4(誤文)中華民国の成立が宣言されたのは南京。北京は清朝政府がまだあった。