雑録

ケネス・ルオフ/木村剛久訳『紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム』(朝日新聞出版、2010年)、「序章」(〜54頁)

日本の読者に向けて

  • 日本の一般的な太平洋戦争に対するイメージ(醬頁)
    • 「少なくとも戦況が日本に不利になるまでは、多くの日本人が生活を享受し、また帝国陸海軍の成功に誇りを抱いていたことを知った。戦後になって日本では、ある神話が定着するようになる。戦争末期から戦後占領期にかけての悲惨な時期の記憶が、それ以前のz気にもそのままあてはめられ、戦時はずっと暗い谷間の時代だったと記述されるようになったのである。さらに、日本を戦争の暗い谷間へとひきずりこんだとして、漠然としたごく少数の「軍国主義者」を非難することが通例となった。しかし、国民の支持がなければ、全面戦争の遂行などできるわけがないのだから、これは奇妙な言い草だったといえる。」
  • 戦前日本の観光のピークは1940年(ⅻ頁)
    • 「実際、戦前の日本では、観光は1940年、つまり紀元二千六百年にピークを迎えていたのである。私が1940年に日本人は何百万人もが日本全国を旅し、何十万人もが旅順などの外地を訪れていたというと、戦時日本の歴史を専攻する研究者−学者ではないが、その時期に興味をもつ日本人や、米国の大学を拠点とする日本史の専門家を含めた世界中の人々−は、ごく少数の例外を除いて、まったく信じられないという顔をする。「だって、戦争が続いていたじゃないか」と驚くのだ。
  • 実は戦時中(敗戦前を除く)は消費主義が加速していた。(ⅻ頁)
    • 「率直に言って、多くの日本人がアジア太平洋戦争中もいつも通り暮らしていたという見方、あるいはナチ政権が非道な犯罪に手を染めていたときもドイツ人が国内旅行を楽しんでいたという見方は、日本人やドイツ人がこの暗い時期にずっと苦しんでいたというとらえ方に比べて、不愉快かもしれないし、そんなことがあっていいのかと思えるかもしれない。同じように、アジア太平洋戦争が消費主義を抑えるのではなく、それを加速し、消費主義がナショナリズム感情をあおり、ナショナリズム感情が日本人にいっそうの消費を促すといったフィードバック関係が生じていたという事実も、当惑をもたらすかもしれない。だからといって、「戦時の暗い谷間」において、日本では消費主義は押さえつけられ、人々は観光旅行を計画するどころではなく、ぎりぎりの生活を強いられていたという神話を受け入れれば、それで満足するというものではないのである。」

序章

  • 祝典を分析する意義(14頁)
    • 「創出されたかどうかはともかく、建国の時期はさまざまな国史に強い印象を刻むとみてよい。建国の祝典は人々に忘れがたい機会を与えることになるだろう。記憶が個人の自覚をかたどるように、国民の記憶は国民の自覚をかたちづくる。国が祝典を催すのは、国家共同体の一体感を維持するのに欠かせない集合的な記憶を強化するためだといってもよい。祝典を分析すれば、その国がどういう国なのかを知ることができるのは、そのためである。」
  • 国家の起源に見る、イタリア・ドイツと日本の違い(16頁)
    • 「イタリアのファシストとドイツのナチは、1922年と33年を国家再生の時として、誇らしげに描くことができた。それは空想郷へと向かう歴史の段階の始まりだった。しかし、彼らが過去の政治体制をくり返し中傷するのは、ナチやファシストの側からすると、新体制以前の記憶がドイツ人やイタリア人のあいだに、まだしみついているためだった。これに対し、昭和天皇(1901-89)は、二千六百年にわたる大日本帝国の祝典をとりおこなっていた。どれほど想像上の物語であったにせよ、日本の国体が古代的性格をもち、基本的に持続しているというのが、二千六百年記念行事の主要テーマにはちがいなかった。「万邦無比の国体」という言い回しには、国体の根幹をなす万世一系という考え方だけでなく、日本独自とされる道徳的で古代的な価値が含まれていた。国体という漠たる概念は、ほとんど明確に規定されないまま、帝国日本が偉大で独自であるゆえんをそれとなく指し示していたのである。」
  • 定刻儀礼(19頁)
    • 「〔……〕記念事業への参加と消費という問題に焦点をあてる。1937年から45年にかけ、日本政府は全帝国臣民に、国家をたたえる定時の儀式に参加するよう求めるのを常としていた。帝国全域にちらばる1億500万の臣民は、1分間ほどの国家的大衆行事に加わらねばならなかった。」
  • 勤労奉仕隊(20頁)
    • 「二千六百年記念行事への参加を促すもうひとつの手段が勤労奉仕隊だった。それはまさしく手作業による奉仕となった。その一例を挙げれば、二千六百年に先立つ二年間に、120万人以上が勤労奉仕のために、天皇陵や神社などの多くある奈良県を訪れ、皇室関連の場所の拡張や清掃に従事している。さほど手慣れていない人々を延べ百万時間も動員するこうした運動に、経済的要素がなかったわけではない。しかし、勤労奉仕運動はそれよりも実施による国民養成という面が強かったのである。結局、国民に建国の重要性を認識させる手だてとしては、みずからの手で神武天皇陵への道路や小道を整備させるのが有効だったのではないだろうか。こうした勤労奉仕が、経済的というよりむしろ精神的な効果をねらったものであることは、参加者の多くが普段の仕事を休んで、この活動に従事した点をみても明らかである。多くの人は、聖蹟への勤労奉仕だけで切り上げるのではなく、同時に近くの名所旧跡を見て回った、こうした勤労奉仕は、ナチス・ドイツの「帝国労働奉仕団(RAD)」や米国の「民間保全団(CCC)」などの活動とちがい、制度化されたことはない。しかし、教育的側面をもつという点では、帝国労働奉仕団と似ていたといえるだろう」
  • 鉄道会社と帝国観光(20-21頁)
    • 「〔……〕鉄道会社は起源二千六百年にあたって、私のなづける「帝国観光」を推進するうえでかなりの役割を果たした。帝国観光は、皇国の歴史をさらに光輝あるものにするために、日本内地の史跡めぐりにとどまらなかった。近代になって大日本帝国の統治下に入った植民地へ旅行することも含んでいたのである。」
  • 経済統制下のなかでも旅行は奨励される(25-26頁)
    • 「内地の皇室ゆかりの地をめぐる旅は、公民の儀礼として商業化されていた。同じように、植民地への旅行も商業化されていたが、それは愛国的な日本人に植民地事業の重要性をより理解させ、さらに日本の「大陸政策」、すなわち対満洲・中国政策の正しさを認識させることを目的としていた。支那事変の発生後、広く質素倹約が奨励されるなかで、旅行だけは国家の使命に沿うものとして認められていたのである。内閣情報部の発行する『写真週報』のほとんどの記事が、質素倹約の手本を大きく取り上げ、必要以上のものを欲しがる日本人は愛国心に欠けると決めつけていた。それでもこの一年を通して、この雑誌には愛国心をかきたてる近くの場所だけではなく、海外の植民地への旅行を勧める広告が常に掲載されている。たとえば、南満州鉄道(満鉄)が二月二十一日に出した広告は、ぜひ満洲を訪れて、大陸政策の成果をその目で見て欲しいというものだ(「大陸国策を現地に見よ」『写真週報』104号〔1940年2月21日号〕〔……〕)。」
  • プロパガンダ映画(33-34頁)
    • 「紀元二千六百年記念行事を主に組織したのは、内閣の紀元二千六百年祝典記念事務局(1935年設立)と半官半民の財団、紀元二千六百年法祝会(37年設立)で、この行事が永遠に記録される国家的祝典になることを目指していた。記念行事の中心となったのは、細部にわたる祝典の公式記録集を編纂することだった。〔……〕紀元二千六百年祝典事務局と紀元二千六百年奉祝会は、日本映画社に委託して、当時の最先端メディアである映画によって、一年間にわたるさまざまな行事の様子を記録させていた。日本映画社が製作した一時間もの映像記録『天業奉頌』(1941)は、ナチのニュルンベルク党大会を撮影し、最高の映像記録となったレニ・リーフェンシュタール(1902-2003)監督のナチ映画『意志の勝利』(1935)を連想させる。」
  • 帝国日本の消費主義(52頁)
    • 「〔……〕37年七月に中国大陸で全面戦争が勃発してからも、重要な消費部門はほとんど悪影響を受けなかった。観光や出版、小売業(たとえば百貨店)の景気がもっとも良くなったのは、紀元二千六百年の年である。中国大陸での戦争が始まってから三年が経過していた。基本的な生活レベルを超える消費主義というかたちが崩れるのは、42年半ば以降に戦況が悪化してからである。問題は戦争自体ではなかった。これは重要なちがいである。日本の近代消費部門は、ナショナリズムとその神秘的レトリックに取って代わられるどころか、愛国主義的な雰囲気に包まれ、それにせきたてられていたのである。」
  • 帝国観光と国民の戦時日本の形成(52-53頁)
    • 「観光は政治参加の形態として論じられることは少ないが、戦時日本における帝国史跡観光(それに国内の史跡巡りのすべて)が政治的色彩を帯びていたことも見過ごすわけにいかない。ある論者は、神武天皇ゆかりの史跡訪問は「国民の義務」とさえ主張していた。国の関与の大きい定時の大衆儀式とちがい、帝国観光は国民性を養成する機会とされ、自分で裁量できる余地がじゅうぶんにあった。日本の戦時国家がかなりの、そしてしばしば破壊的な権力をもっていたことを否定する歴史学者はいないだろうが、しかし国民(社会)もまた戦時日本をかたちづくるうえで重要な役割を果たしていたのである。」