【感想】学園アイドルマスター「花火、やりませんか……?」(2024/08/01)を読んだ。

手持ち花火を通して「有限性による実存」をテーマとしアイドルの寿命を論じる話。
留学生のリーリヤは花火というと打ち上げ花火しか思い浮かばなかった。
それゆえ、商店街で打ち上げ花火を購入するが遊び方が分からず偶然会った手毬を誘う。
二人だけでの手持ち花火大会。手毬は初心者のリーリヤを貶しながらも二刀流でドヤ顔する。
2人だけでも手持ち花火はあっという間に底を尽き終わってしまい寂寥感を漂わせる。
だがここでリーリヤが死という有限性を意識するからこそ実存を認識できるとか言い出す(大意)。
転じてアイドルもまた賞味期限が短いことが意識され、だからこそ輝きたいんだと意志を高める。

無造作に消費されては捨てられて行くアイドルの諸行無常

リーリヤいじめをする月村手毬

このシナリオ読む前、手毬が手持ち花火を二刀流してドヤ顔決めるシーンだけが切り抜かれ話題となっていた。だが本編を読んでみて、あらビックリ。なんかハイデガーのダスマンのような事を言い出した哲学的なシナリオだった……。序盤までは手持ち花火を購入したものの遊び方が分からない留学生のリーリヤが偶然出会った手毬を誘って、花火をするというオーソドックスな展開。手毬がリーリヤを小馬鹿にしながら二刀流でドヤ顔決めるシーンも勿論ある。だがしかし、その後こそが真骨頂なのである!!!

2人だけでも手持ち花火はあっという間に底をついてしまい終了。寂寥感が漂う中、リーリヤは終わりがあるからこそ尊いんだと、有限性を意識することの大切さを提唱し始めるのである→→リーリヤ「……終わることを知っているから、綺麗だと感じるのかもしれません」。そして本作はアイドルマスターであるため、この「有限性による実存」をアイドルにも適用するのである。アイドルは単なる消費物にしか過ぎない。若い女性の歌と踊りを消費し、年老いれば飽きられて捨てられ(女優などに転向す)る。そして大衆はまた新たな若くて新しいアイドルを消費していく。永遠にこれを繰り返すのだ。

人生において若い時期しか活躍できない賞味期限の短い消費物……。それでも覚悟ガンギマリの我らがリーリヤは度胸が違うのである。リーリヤのお家芸「でもそれは前提だから諦める理由にはならない」イズムである。「それでも、わたしたちがやることは変わりません。その一瞬が少しでも長く続くように、走り続けます」とこれまた覚悟ガンギマリな姿を見せるのであった。そうじて手毬がナヨナヨしたことを言うと、リーリヤが払拭していくという構図を取り、リーリヤのメンタリティの強さが強調された。

リーリヤにドヤ顔決める月村手毬
覚悟ガンギマリの葛城リーリヤ
花火、やりませんか……?

学マス感想まとめ