- この本の趣旨
- 19世紀後半から20世紀終わりまでを「長い20世紀」と設定し「帝国の成立と解体」という視点で叙述する。
以下個人的メモ
- 19世紀後半のアフリカ情勢について
- 植民地支配を受けることになったアフリカは「暗黒大陸」ではなかった。
- アフリカ人歴史家ボアヘンの指摘→「経済面で、太平洋、地中海、インド洋へとそれぞれつながる三つの交易システムが発展を遂げていた」「政治面で、中央集権的な政治体の形成が進むとともに、各地で近代化への動きが見られ立憲制への試みが進展していた」「社会面でも教区の広がりに示されるようにダイナミックな動きが見られた」
- 国民国家と近代グローバリゼーション
- 第一次世界大戦
- 帝国世界周縁の戦争から中心の戦争へ
- 植民地獲得戦争 → 結局のところ第一次世界大戦は、帝国主義の時代における植民地獲得競争の延長線上に位置づけられる戦争としての性格が強かった。
- 日本軍による捕虜処遇
- 収容者が丁寧に扱われ、盛んな文化活動 → 帝国世界のなかで、日本が支配する側の一員「文明国」の一つとして国際的な認知を得るためには、ヨーロッパ列強によって作られた国際法を遵守する姿勢を示す必要があり、捕虜処遇はその良い例となった。
- 総力戦
- 総力戦とは → 軍事力のみならず、国の経済力、技術力などすべての力が戦争遂行のためにあまねく動員され、そのような動員を可能にするような国内の政治的結集、国内の政治的教導が実施されていく戦争
- 帝国の総力戦 → 主要な交戦国はそれぞれの帝国領域の拡大をこの戦争によって行うことを目指したが、そうした戦争を遂行するためには、既存の帝国内の人的・物的資源をできる限り動員していくことが必要となる。帝国世界の下での支配−被支配構造の広がりの帰結として、この大戦では帝国の総力戦が大規模に展開した。
- 戦争と社会契約 → 帝国の総力戦のなかでの宗主国のための戦闘で大きな犠牲を払うことによって、宗主国からの自立意識、国としての独立意識が一段と深化した。
- 第二次世界大戦
- 独ソ不可侵条約(1929.8.23) → ドイツに対抗するためにイギリスやフランスと協力関係を構築することを望みながら、英仏の冷淡な姿勢の前でそれに奏功しなかったソ連が逆にドイツと結び、世界を唖然とさせた。
- 第二次大戦の始まり(1929.9.1) → ドイツ軍がポーランドに侵攻し、英仏が対独宣戦布告を行う。
- 第二次体制の本質
- 大東亜共栄圏の実態
- 帝国の総力戦の大規模化と弛緩
- 第二次大戦では第一次大戦よりも総力戦が大規模化したが、その分乱れた。帝国内部において総力戦に反抗の姿勢を示すばかりでなく、敵側への積極的協力姿勢を示す民族運動家も公然とあらわれた。また各国が占領した地域における抵抗運動が戦争体制を揺さぶった。
- 戦後
- 植民地の独立と帝国の解体
- 脱植民地化によって登場した国家については、それまで奪われてきた主権を、限界はあるにせよ、まがりなりにも獲得した点を何よりも重視すべき。
- 新たに独立した国々は、国連への加盟をを認められることによって主権国家としての位置を確保していったが、そのような加盟国の増大は植民地独立を推進する国連の姿勢の強化につながっていった。
- パレスチナ問題
- 独立後の旧被支配地域
- 政治的独立が真の自立と繁栄につながることを夢見ていたが、実際には多くの地域でその夢が破れる
- 国家の枠組みがアフリカ分割の過程において、多様な民族集団を無理矢理まとめあげる形で人為的に引いた国境線によるもの。「国民国家」を創り上げていくための国民的一体性を涵養する条件が乏しい。
- 権威主義的な政治体制と腐敗……民族運動の組織的惰性(=民主的討議はしばしば運動の効率的遂行の障碍物として見なされた) →民主的手続きをバイパスして権威主義的な手法に訴えていく。
- 経済発展に必要な経済戦略とそれぞ実現していくに足る優れたリーダーシップの欠如 → 民族解放運動の強力な指導者が独立後の有能なリーダーになるとは限らなかった。
- 脱植民地化によって主権を獲得しながらそれを有効に行使し得なかった新国家の指導者たちの責任回避
- 冷戦と帝国性
- アメリカに有利な国際システムの構築
- 社会主義
- 植民地近代化論の欺瞞
- NIESなどの発展は、旧植民地諸国の政治的独立後の国際環境と、そのなかでの経済戦略・開発戦略の問題。
- 植民地の独立と帝国の解体