雑録

加藤公明「高校における歴史教育の課題と授業 ―「考える日本史授業」の可能性―」日本社会科教育学会『社会科教育研究』No.74 1996.1  50-59頁

はじめに―楽しく学びがいのある授業を―

  • 生徒の歴史嫌い、歴史離れ
    • 「先生、なんで歴史なんか勉強しなくちゃいけないの。」=生徒たちの現実の歴史教育にたいする否定的な経験や、それにもとづく心情の発露として教師にぶつけられたもの----教師は自分の歴史観や強化観にもとづいてそれぞれに歴史学習の意義や有効性を説明しようとする→言葉だけで納得が得られない
    • 生徒たちの歴史学習観を打破して、生徒にとって楽しく学びがいのある授業を実現し、また彼らの歴史にたいする学習の達成と課題を彼ら自身が確認できるような評価の方法を生みださなければならない

1.生徒の主体性を活かす歴史の授業

  • 生徒の主体的な認識活動を中心とした実践「考える日本史授業」
    • 通常行われているような通史的な概説を教師が一方的に講義していく授業ではない
    • 単元のはじめ:事実をもって生徒の歴史についての通念や常識を否定ないしは動揺→「それじゃあ、ほんとうはどうだったんだ」という疑問を生徒に持たせる問題提起
    • 生徒が各自の問題関心や歴史意識に沿って調査・研究活動をして、各自が自分たちの答えを作る
    • その結果をクラスでの相互批判を中心とした討論によって鍛えあい、それぞれの答えをより科学的で総合的な歴史認識へと発展させる
      • 実践例 貝塚から出土した犬の遺体について推測し説を立て討論する

2.討論が生徒の認識を発達させる

  • 以後に続く班別の協議やクラス討論が彼らの時代像をより歴史の真実に近づく方向で発展させる
    • 批判する方も答える方も、真剣に熱心に討論。みな生徒自身が自分で考え、なにより自分自身が納得できる答えを得ようとする ←彼らにとってかけがえのない自分の歴史認識が討論の対象だから
    • 歴史を考えていく上でなるべく多くの確かな事実を踏まえる事、つまり実証性がいかに大切かを学ぶ
    • 論理的な説明、オリジナルな意見の大切さなども学ぶ
  • 授業の効果
    • 自分自身の作った歴史認識をクラスの討論を通じて、自分自身の手で発展させるという経験を得る
    • どうすれば自分の歴史認識を自分の手で発展させる事ができるのかの方法;つまり実証性、論理性、個性・主体性を内容とする科学的歴史認識の方法について学ぶ
  • 歴史教育歴史認識
    • 生徒の歴史認識そのものの発達と、それによる認識主体としての生徒の成長こそが、歴史教育にとっては肝要
    • それを実現するためには「思わずのめり込んでしまう」ほど主体的に参加できる面白い授業でなければならない
    • 自分の歴史認識は自分で作る積極的な意欲と、それを実現するための科学的な歴史認識の能力が必要
  • 次節
    • 具体的な授業において、生徒の歴史認識がどのように発達し、認識主体としての成長がいかに図られるか。実際に即して考える。

3.蝦夷錦を着たアイヌたち

  • 江戸時代後半の授業;一枚の肖像画を教材として、「鎖国」体制下の近世日本がはたして言われているように閉鎖的な自治経済の社会であったかなどを、生徒に考えさせようとするもの
    • 歴史認識の発達
      • 今まで;貧しい狩猟民で文化程度も低く、日本の文化や経済の発展に寄与する事もなかった寒冷地の少数者としてのアイヌ →授業後;豊かな北方の交易ルートの担い手として活躍し、ともすれば閉鎖的になりがちな「鎖国」体制下の近世日本に国際色豊かな文物をもたらし、庶民文化の発達に大いに貢献した存在として認識されるようなった
      • 今までの貧弱で偏見を含んだアイヌ像をベースに生徒たちが持っていたアイヌへの多分に無自覚な差別的意識も、この新しい豊かなアイヌ像に裏打ちされる形で変容・是正される

4.認識の発達が生徒の意識を高める

  • 歴史認識の発達が生徒のアイヌへ差別の問題への意識を高め、差別のない民主社会の担い手としての人格を育てる
    • アイヌ意識の変容
      • 孤立して貧しい生活をしていたから差別されていたとか、一方的に虐げられ迫害されていたかわいそうな民族といった、多分に否定的なアイヌへの意識 →授業を通じて新たに獲得したアイヌ像に照らして誤りであったことに気付く=生徒が自分の手で改善しようと、その第一歩を踏み出そうとしていることを示す
      • アイヌが近世の日本にはない独自の文化を築き、北海道(アイヌモシリ)の自然の中で、狩猟や交易などによって国際性に富んだ豊かな生活を営んでいた自立性あふれる民族だったと、その存在を肯定的に捉える→以後の歴史はそのようなアイヌ民族を日本人が征服して、土地を奪い文化や社会を圧殺していった過程だったとして、以前には認識できなかった中曽根発言の不当性を強く意識
      • 授業で身に付けた実証性、個性・主体性、論理性といった科学的歴史認識の方法→生徒たちのアイヌ像や江戸時代像に大きな影響と発達をもたらす→アイヌ人の立場に共感し、なぜアイヌへの差別が生じたのか、いかに撤廃できるのかを主体的に考えさせようとする意識を多くの生徒が持つ

5.アイヌ差別と日本人のアイデンティティ形成

  • アイヌ差別の問題
    • その不当性を認識し差別への義憤を共有するになったとしても不十分 ←差別をした日本人としてけっして冤罪されないから
    • 日本人である生徒たちが自己を差別する側から脱却させ、今後アイヌの人々と互いの民族性を尊重して共生の社会を作っていくためには、一体なぜ日本人はアイヌを差別するようになってしまったのかという問題への自覚的な追究が必要
  • 日本型華夷秩序
    • 幕府と外交権と貿易権を独占する海禁政策と、自らを将軍の「武威」と聖なる天皇を根拠として優れた存在(華)で、外交の相手を劣った(夷)とする位階制的な礼秩序 →「鎖国」とよばれる江戸時代の対外制度の本質
    • 近世になって幕府権力が導入したこの日本的華夷秩序こそが、アイヌを夷として野蛮未開な下等な民族、日本人を華として文明的な先進の民族、という分断的で差別的な民族意識を、日本人がもつに至った理由
    • 日本人の民族としてのアイデンティティ形成史における問題点を具体的に認識 →今日まで続く日本人のエスノセントリズム(自国・自民族優越主義)的な民族意識を自覚し、相対化していく事ができる →異質な相手の存在を認め、民族としての主体性を尊重して共生する事に価値を置く、今日のあるべき民族意識を模索しはじめる
    • 授業を通じて、生徒の歴史認識の発達が、認識主体としての成長を実現するとは、このような事を言う。

6.生徒の主体的学習活動と社会科=歴史教育

  • 生徒が主体的に歴史を考え、歴史認識を発達させるとともに歴史に対する思考力の向上をはかる授業
    • 歴史学研究』122号 1946年6月 国史教育検討座談会報告
      • 「これからは歴史学者の立場からの歴史教育論が起こらねばならぬ。歴史学者は自ら歴史教育者としての自覚と責任を持たねばならない。」 ←国家が国定教科書などによって教授内容を決定し、教師の歴史観などの自主性が認められず、歴史研究者は歴史教育に無関心であったという戦前の歴史教育の在り方を批判・反省
      • 「従来の教科書が多くの史実をただ断片的に羅列し、そのため歴史の勉強とは暗記することだと誤り考えられているが人類の歴史における進歩概念をもって内的関連を教え、歴史を考える学問とすべきだ。」 →ここには明白に網羅主義、暗記主義の歴史教育への訣別と概念的で構造的な歴史認識を主体的に探究するという、まさしく学問的な研究活動を生徒の学習として取り入れるべきだという方向性が示されている
      • 「教授方法さえ適切であれば、生徒のみならず児童さえ非常に高度な学問的成果をも理解することが出来るし、事実彼等はそれに対する十分な興味をも示している。」 →子どもたちの伸びようとしている理性や旺盛な好奇心への信頼を表明
    • 背景
      • 日本を民主的な社会として発展させる担い手を育てる役割を果たす歴史教育にしなければならない、という決意が歴史研究者の積極的な関与と科学的で探究的な歴史教育の実現を提言させた
    • 実際
      • 歴史学の学問的成果=社会構成を基礎とした時代区分論といった社会経済史の新しい定説的な学説 →非科学的で国家主義的な内容に替えて、それら「厳密な科学的な歴史」を教えればいいのだと考えられていた →歴史研究の科学的な方法・子どもに自分たちの歴史認識を創造させること・子ども達に互いの認識を実証性や論理性などをめぐって討論させて発展させようとする考えが、あってしかるべき
  • 初期社会科における歴史教育
    • 生徒の主体的な歴史認識の活動、つまり歴史を考える事が歴史教育のあるべき方向性として主張された
      • 新しい歴史教育=「民主的社会人として望ましい態度・能力・技能などを育成することを目的とした」、「現代社会をいっそうよい社会に形成させるに必要な知識や態度・能力を養うことがその最大目的である」社会科という新設の教科の一環 →絶対平和や主権在民など民主主義の理念にあふれた日本国憲法の精神を主体的に身に付けた人間を育成すべく、その役割を与えられた
    • 1951年改訂『中学校・高等学校学習指導要領 社会科編Ⅲ』
      • 「生徒の自主的活動をじゅうぶんに取り入れるべきであって、かつてのような、教師が生徒に歴史的事実の暗記をおしつけるだけのような学習態度は、当然否定されなければならない。」 →これまでの教師による一方的な教え込みを排す
      • 「生徒自身が自己の思索と、合理的方法をもって、できるだけ正しい推論を出すことができるよう指導せねばならず、この意味で、生徒の史観も歴史学習を進めていくうちに、みずからの力で作り育てていくように指導しなければならない」 →生徒の主体認識活動を重視し、その認識主体としての成長を促す指導の必要性を指摘している
      • 「歴史の学習は、現在を知るために歴史を学習するのであって、歴史のために歴史を学ぶのではない」 →問題解決学習としての歴史教育の観点が全面的に展開されており、生徒の歴史認識の全体性や発達への系統性がない →高校日本史の実践大きく発展できず
  • 以後の社会科教育
    • 子どもの主体的認識活動を重視しその認識主体としての成長を促す授業が大きく発展する方向では推移しなかった
    • 事項解説を中心とする一方的な講義式の授業と括弧の中に適当な歴史的名辞を記入させ、その正確さと数だけを評価の対象とする学力観 ←学習指導要領改変、系統学習重視、知識伝達の科目編成、教科書検定、瑣末な知識を問う受験問題
  • 結論
    • 「生徒と歴史教育のこのような疎外現象を解決し、生徒が生き生きと学べる歴史の授業を創造していくには、歴史教育が、その再生のために与えられた本来の役割に立ち返り、生徒の主体的認識活動を重視し、その認識主体としての成長を促す授業を実現していく他はない」