雑録

オスマン帝国における「国民統合」の三層構造

主権国民国家体制に関するはなし。オスマン帝国編。


オスマン帝国の新オスマン人、パン=イスラーム主義、青年トルコ人の区別が良く分からないわ。
この教員、国民統合好きすぎ。


現在の国家体制は主権国民国家体制であるから、主権国家国民国家の成り立ち、またそれが国際システムとして世界に広がっていく過程は重要だと思っているのです。


ふーん。で、オスマン帝国イスラーム国際体制を敷いていたけれど、それが国民国家体制に組み込まれていくのね。だから、オスマン帝国国民国家として生まれ変わらなけばならなくて、その苦しみが19世紀オスマン帝国史の背景となっているのだわね。


分かってるじゃないですか。


そこまでは、いいのだけれど「新オスマン人」「パン=イスラーム主義」「青年トルコ人」がよく分からないのだわ。


まず「新オスマン人」の概念。
東方問題でオスマン帝国が解体の危機に陥るのは分かりますよね?この危機に際して、どのように対応するかが問題になったのです。知識人たちは、「オスマン帝国の臣民は民族・宗教のちがいをこえて一つの集団である」と主張するのです。しかしながら、イスラームが優位性を持つオスマン帝国で、臣民が一体化することなどできないわけですよ。ではどうすれば、民族・宗教の違いを乗り越えらえると思いますか?


・・・憲法による統治かしらね?オスマン帝国の住民に平等な権利を認めるの。だから「新オスマン人」と称する人々は自由主義的立憲運動を行ったのだし、これを背景にミドハト憲法が制定され、議会が開設されたのだわ・・・(♪効果音ピコーン)分かったわ!!つまりは憲法による多民族の平等により国民統合を図ろうとするのが新オスマン人の考え方なのだわ。


そうだね。ここでアブデュル=ハミト2世の立場を考えてみれば、この人物がパン=イスラーム主義を掲げたことが分かる。


パン=イスラーム主義はアフガーニーだったわよね。その思想をアブデュル=ハミト2世が利用するのね?アブデュル=ハミト2世にとっては立憲制になって専制体制が崩されるのは面白くないことだと思うわ。


ゆえに、露土戦争が起こるとミドハト憲法を停止してしまうんだね。そしてオスマン帝国の皇帝のもとでイスラーム教徒の団結をはかるためにパン=イスラーム主義を利用したんだね。


けど、この「列強が帝国内のトルコ人以外のイスラーム教徒を支援して介入してくることを警戒した」っていう表現がどういうことだか不明なのだわ。


ホレ、オスマン帝国イスラーム教徒といってもトルコだけでなく、アラブやエジプトとか色々ありますよね。エジプト、アラブ、トルコといった諸民族をイスラームでまとめあげようとしたのです。他宗教は除外してイスラームによる国民統合をはかったと捉えることができるわけですね。


そうすると、「新オスマン人」が「憲法にもとづくオスマン帝国臣民としての国民統合」であるのに対し、パン=イスラーム主義の利用は「宗教にもとづくイスラーム教徒としての国民統合」と考えられるのね。じゃあ、青年トルコ人はトルコ民族主義なのかしら?


その通りでございます。露土戦争の結果、オスマン帝国バルカン半島の領土を失ってしまいますよね。本来帝国は多民族・多宗教の国家だったのですが、帝国が縮小するなかで帝国の住民の多数派であったトルコ人の間に「トルコ人意識」が高まってきます。こうして「トルコ人国民国家」にふさわしい政体が求められるようになっていったのです。


これが青年トルコ革命につながるのね。日露戦争専制政治よりも立憲政治の方が優位であると解釈されると、オスマン帝国でも憲法を復活させようという動きが高まったのね。政権を奪取した青年トルコ人は立憲政治を敷いたわ。


青年トルコ人の新政権は、トルコ人意識にもとづく国民統合をはかるのだけど、ここで国民国家が内包する問題が出現してしまう。


民族意識」なんてものは創られたものであるから、一つの民族としてまとめようとすると、包摂と排除の原理が働き、少数民族が現れてしまうのね。「パン=トルコ主義」を唱えて、トルコ人でまとまろうとしたら、オスマン帝国にいるトルコ人じゃない人たちはどうなっちゃうの?


と、いうわけで、オスマン帝国内のトルコ人ではない人々の反発を招いてしまい国内は混乱。さらに、この混乱を列強に利用されてしまう。


まさにフルボッコ状態!!オスマン帝国涙目!!!という展開になるのだわ。ブルガリアは独立しちゃうし、オーストリアの管理下に置かれていたボスニアヘルツェゴビナはついに併合されちゃったし、伊土戦争でトリポリキレナイカとられちゃうし、バルカン戦争まで起こされるという泣きっ面に蜂状態。


この危機に対し、青年トルコの政権はドイツに接近して乗り越えようとするのです。


なぜドイツなの?


ベルリン・ビザンティウムバグダードビザンティウムバグダードオスマン帝国。3B政策を展開していたドイツと密接な関係があったんだね。


この時の接近が、第一次世界大戦におけるオスマン帝国の同盟国参戦要因となるのね。