サツコイ〜悠久なる恋の歌〜の感想・レビュー

サツコイは異種猟奇譚。ヒトを捕食する亜人たちの生き様を描く。
瑠璃シナリオのテーマは「屈折した家族の絆」。
直シナリオは「生きづらい社会でも生き抜け!!」。
悠シナリオは「人生における主体的な意志について」。
各個別は結構短いのでサクッと読める。
主人公くんが「自分の主体的な意志」により妹の為に命を捧げるのがグッとくるね。

各個別シナリオの感想


  • 瑠璃√;「屈折した家族の絆」
    • 愛する弟を捕食したことへのトラウマ
      • 瑠璃はクラスメイトのしっかり系委員長。その実態は人魚の成魚で、正体を隠しながら未だ稚魚である妹を見守っているお姉ちゃん属性です。瑠璃√では「屈折した家族の絆」が描かれていきます。この作品において人魚は男女の双子で生まれてきます。そしてメスは成魚と成る際に双子の兄弟を捕食しなければならないのです。瑠璃は成魚であり、双子の弟「ユタカ」を捕食して成魚となったトラウマを保持しています。過去の苦悩を抱える瑠璃は、せめて妹の「悠」だけは守りたいと願うようになったのです。そして主人公くんこそが、妹と生き別れになっていた双子の兄弟であることが判明します。妹である「悠」に捕食される覚悟があるか否かと問われる主人公くん。ここで捕食される覚悟を見せると瑠璃√に入れます。瑠璃、悠、そして主人公くんと久方ぶりに顔を合わせた兄弟姉妹は、束の間の家族ライフを送ります。しかしながら数場面で幸せの描写は終わり、シナリオは急展開を見せるのです!!
    • 母親との対決
      • 瑠璃シナリオで描かれるのが、瑠璃や悠、主人公くんたちと母親との関係です。なんと瑠璃たちの母は、自ら子どもを産み、その子どもたちを捕食することを繰り返していたのです。その毒牙にかかった悠は、呆気なく捕食され退場します。早いな、オイ!!瀕死の傷を負った瑠璃は、自分の母親を殺すことが目的となっていくのでした。そして母親との決着をつける最終決戦。瑠璃は狂戦士化することで母親を撃退するのですが、理性を失い誰彼構わず捕食しようと一般人を襲います。主人公くんは自らの身を挺してこれを防ぎ、瑠璃を落ち着かせることに成功したのでした。理性の戻った瑠璃はかつて弟である「ユタカ」を捕食した悔恨に加え、今もまた主人公くんを殺そうとしたことに精神的ショックを受けてしまいます。ここで主人公くんのカウンセリングタイムが始まります
    • 歪んでいるけれども家族の絆
      • 主人公くんは孤児であり養父に引き取られてからも虐待を受けていました。主人公くんは親を忌むべき対象だと思い込んでいたのです。しかし怨恨を抱くということは逆に言えばそれだけ意識しているということ。本当に何も感情を抱かなければ無関心であり、そのままフェードアウトしていくだけです。親を嫌いながらも想わずには居られない屈折した愛憎が描かれます。主人公くんの養父も主人公くんを虐待しながら、主人公くんのために生活費を蓄えていました。憎みながら愛するという親子関係ということでCLANNAD展開ですねー。瑠璃たちの母親にしてもそうです。「理性で自分の身体に組み込まれたシステムまで超えられると勘違いしている」、「運命に抱かれて、見事生ききってみな」と言葉を残して去っていきます。こうした一連の家族問題から主人公くんは「殺そうとした相手でも愛することはできる」との悟りを得るのです。この悟りにより、狂戦士化した時に主人公くんを殺そうとしたことを後悔する瑠璃をカウンセリングするのです。こうして主人公くんに受け入れられた瑠璃はハッピーエンドを迎えたのでした。



  • 直ルート;「生きづらいこの社会を生き抜け」
    • 腐った学校生活
      • 直ルートでは現代日本における生きづらい私たちの社会が描かれます。具体的には1年前の主人公くん転入時のおはなし。本来、学校のクラスというものは、担任の教員が責任をもって学級経営を行わなければならないものです。「手を離しても目は離すな」とはよく言ったもので生徒たちが自主的に活動しているように見えても、教員がきちんと管理・育成しているのです。それを踏まえ教員は、生徒たちが社会に出たときにどのような人材ともやっていけるようにグループ活動の構成を考えたり、座席の配置などに気を配らなければ成らないのです。しかしながら、まぁデモシカ教員世代はそういうのテキトー。従って、教員の手が入らない集団には固定化グループやスクールカーストができあがりイジメの温床となるのですね。主人公くんが転入したクラスも教員の学級経営がうまくいっておらず(というか学級経営をするつもりもなく)、色々と嫌がらせを受けるのでした。

どうして世間はこんなにも優しくないのだろう。子供の頃は楽しいことばかりだったのに。いつの間に、こんなに理不尽で残酷な場所に変質してしまったのだろう。嗚呼、あたしのセカイは知らぬ間にヒドイ場所になってしまったよ。

    • グローバル資本主義における敗残者たち
      • 直ルートでは学校生活の息苦しさだけでなく、社会全体の生きづらさをも唱えています。主人公くんの養父は平常時はまともな人間なのですが、職を転々とし、酒を呑んでは主人公くんに暴力を振るいます。そして酔いが覚めると泣きながら謝るのです。また直の家は脱サラして旅館経営を始めたもののうまくいくはずもなく、娘(直)を身売りして融資を受けようとするのです。社会全体が腐っている。定年退職した再雇用の老人と非正規雇用の若者を低賃金長時間重労働に使役して雇用の調整弁としての役割を担わせる。一部の経済エリートと旧世代の正規雇用者が既得権益を独占し、新規はわずかなパイを巡って蹴落とし合う。そんな将来に希望が持てない絶望の世の中だ!!

今は社会全体がブラックなんだ。希望は前の世代が全て食い尽くした。残ったのは絶望だけだ。僕たちの未来は暗いぞ!!ヒャッハー!!

    • 絶望の中でも生き抜くこと
      • 主人公くんは生きるのがしんどい少年ですが、物語を通して生存への執着を取り戻していきます。どんなカタチであれ生きるしかない。当初主人公くんは生存理由を肯定できず、煩悶しています。「“種”としてそうだからといって“個”としてそれに従う必要はあるのか。そうまでして“種”を残す理由は何か。そもそも生き延びるのに値する“種”なのか。一生かかっても、答えは出そうになかった」。もう、種族滅亡しちゃえよーって感じ。しかし、それでもライターさんは生きることを唱え続けるのです。主人公くんに兄を殺された妹に対しては憎しみを持たせることで生きる理由を見出させたり、ヒロインの直さんには例え異種婚で関係を解消せざるを得なくなっても「生き続けろ−」と叫ばせたりとか。安易なご都合主義に走らなかったところは良かったです。



  • 悠ルート;妹の為に死ぬはなし
    • 動画共有サイトに音楽演奏をupするはなし
      • 瑠璃と直を攻略すると最終章に入れます。悠ルートでは捕食は行われず「春になったら一緒に死のう」と死に向かって歩み始めます。そんな二人がこの世の最後に成し遂げようとしたのが、動画共有サイトに音楽演奏をupすること。悠はしばしば自撮の動画をupしては自己満足に浸っていました。インターネットとは恐ろしいもので、悠は動画共有サイトの視聴者たちの間ではそれなりの知名度を獲得していたのです。ある時、悠のファンからメールが届きます。そのファンは難病であり、いつも悠の演奏がupされるのを楽しみにしているとのこと。また手術のために渡米するので、新作を楽しみにしていることも書かれていました。春になったら心中することを決めていた二人はこの世の最後の活動にと、音楽演奏をすることに決めたのでした。これまで悠は一人空しく自撮りの動画を淡々とupするだけでした。しかし、主人公くんを中心に、次第にメンバーが集まっていき、悠の住む世界が広がっていくのです。これを見た主人公くんは、悠と一緒に死ぬのではなく、自分の命を捧げて悠に生き抜いて欲しいと願うようになるのでした。煩悶する主人公くんに対して「主体的な生の在り方を選択させる」きっかけとなる場面が挿入されているのですが、ナカナカ良い感じです。

死にかけている今だからこそ、分かることがある。自分のしたいことをするとか、幸福になるだとか。そんなことは全部些細なことなんだ。自分の人生を見誤るな。お前の人生はお前の胸の中にある。お前にしか分からないんだ。周囲に流されず、感情に囚われず、心の声に耳を傾けろ。俺はそうした。だから俺は笑って死ねる。

貴方の命は貴方のものよ。誰が何と言おうと貴方のものなの。どう生きるのか、どう死ぬのかは貴方が貴方のために決めなさい。それは権利じゃなくて―――義務よ。安易な死も、安易な生も罪よ、生者のために死んだ者達に対する冒涜だわ。簡単に諦めて死ぬことは罪。ただ運命に流されて無為に生きるのも罪。私たちは、私たちの生を全うするわ。生ききってやるわ。

    • 両親問題の解決
      • 死にゆく想い出としての動画撮影は順調に進んでいき、周囲を巻き込んで、それなりな規模のものになります。ですがそこへ主人公くんたちのママンが出現し、春になったら一緒に死のうなんざ、甘っちょろいこといってんじゃねーと襲いかかってきます。主人公くんはママンとタイマンで対決することになり、それを知らない悠は主人公くんと競演せずにボーカルで歌わねばならなくなります。駄々をこねる悠に対してお姉ちゃんから気合い一発びんた。「誰がいようがいまいが、そんなことはお構いなしに人生は進んでいくの。その時、その場所でやれることを全力でやりなさい。それが他者の命を犠牲にして生きながらえた者の義務よ。一生懸命生ききりなさい」と。悠は姉に発破をかけられ歌い始めます。
      • 一方その頃、主人公くんサイド。自分が孕んだ子どもを捕食し続けるママンには理由がありました。それはこれまで愛をしらなかったこと。一般的に主人公くんたちの種族は男女の双子で生まれ、オスがメスを守り最終的に捕食されて餌となります。しかしながらママンの男兄弟は、自分の役割を全うせず裏切り逃げたのです。そのためママンは深く傷つきトラウマを背負ったのでした。そんな寂しがり屋のママンに対し、主人公くんの母への愛が降り注ぎます。こうしてママンは自分が愛されたことを知ったのでした。
      • 最終的に瀕死寸前に追い込まれた主人公くんは撮影ライブには間に合いませんでした。スマホで遺言を悠に残す主人公くん。送信し終わると動画共有サイトの生中継放送を立ち上げ、悠のボーカルに会わせてギターを弾き始めます。そして最後の力を尽くして誰とも知られずに演奏を終え、主人公くんは死に絶えるのでした。主人公くんは自分の命を、主体的な意志のもと、妹の為に捧げたのでした。10年後、主人公くんの亡骸を捕食した悠は今日も街角でギターを弾いています。なかなか良いビターエンドでした。