『甘え方は彼女なりに。』(体験版)の感想・レビュー

「ぼっち」な主人公くんが「アシスト部」なる「お悩み解決式クラブ活動」に参加するはなし。
粗製乱造された同工異曲のキャラゲーラノベの典型的表現技法であり、もうおなかいっぱい。
そもそも、なぜ「ぼっち」は否定されるのでしょうか?個人の時間ってとても大切じゃない?
私は一人で昼飯を摂りたいのです。(切実)
主人公くんが「ぼっち」であることを貫き通す作品が登場することを願います。

概要

  • 近年余りにも粗製乱造っぷり酷い表現技法「お悩み解決式クラブ活動」
    • この作品では冒頭から「ぼっち」であることが否定されます。そしてキャラゲーラノベの典型パターンとして「お悩み解決式クラブ活動」に入会することを強要されるのです。そしてなんだかんだと言って流されるままに参加することになる主人公くん。同工異曲の粗製乱造された表現技法としてお馴染みのパターンですね。「お悩み解決式クラブ活動」が多用されるのは、ヒロインと一緒に問題解決することで好感度蓄積を行うためのイベントを容易に発生しやすいからであり、問題解決において主人公くんの見せ場を作ることができるからです。現実にはこんな「お悩み解決クラブ活動」など存在しようもありません。余りにも多い粗製乱造っぷりに、学生モノでこの表現技法を提示されると「またかお悩み解決モノかよ…」とチープに思えてしょうがないのです。むしろこれを否定するパターンが登場したら面白いと感じそうです(私が思いつくくらいだからそのうち誰か書くでしょう)。私のアンテナが低いだけで、もうすでにあったらぜひ知らせてくださいな。

  • もっとナチュラルに「ぼっち」を肯定する作品があるといいなぁと。(なぜ「ぼっち」は否定されるのか?という問いに対するフーコー的な分析)
    • なんか「ぼっち」を扱っている作品を読むと「ぼっち」を気取っていても、なんだかんだいって友達ができていたり、ヒロインと交流していたりします。「ぼっち」を貫き通すのではなく代替を求めているのです。また「ぼっち」であることがネガティブにとらえられ、自虐的ネタな「ぼっちあるある」が展開され共感を誘うようなモノが多いように感じられます。つまりこの背景には「ぼっち」=「良くない事」という社会規範が存在して人々を支配しており、その社会規範から外れた者は異質な存在として排除されるという事情があるのですね。ゆえに「ぼっち」である人々は自分が属する社会の規範体系に拘束されて息苦しい思いをするのです。だからこそ「ぼっち」=「良くない事」という人間の内面的意識を拘束する社会の規範構造にとらわれた自我を解放することが必要になってきます。それには自由に思考する知性を備えた真の自己を回復することが求められてきます。ゆえに、「個人の時間」というものはとても大切なものなのです。一人で思索に耽ることで権力の統制を拒否する自由な主体を回復できます。以上により、独りで昼飯を摂っていたからといって、それを否定するのは無意識的に権力の奴隷と化しているのですね。マイノリティの価値観を狂気として排除し、社会規範に乗っ取った価値観を取り戻そうとするのではなく、社会で通用している知識や政治への批判の源泉として一定の社会的な位置を認めるような作品が出てきてほしいものだなぁと。