『満支旅行年鑑』に見る「非常時下」における観光事業の正統化について

『満支旅行年鑑』は昭和14年版から昭和19年版まで刊行された。
次第に激しくなる戦局において、観光事業を正当化するために様々な理由付けが行われている。
ここでは『満支旅行年鑑』がどのような論理で旅行及び観光事を正当化したのかを見ていくこととする。

「観光事業の意義」(『満支旅行年鑑 昭和14年奉天 : ジャパン・ツーリスト・ビューロー満州支部 、1939年、14-18頁)

観光の意義

  • 観光の国際的意義
    • 「世は挙げて非常時である。その非常時下に「観光」を語ることは凡そ時局に応はしくない問題であると考へるかもしれない。然しこれは「観光」といふ事を単に逸楽、安堕なものと考へる事に依つて、そこに物心両方面の総動員運動と背馳する何ものかを想像するからであつて、元来この「観光」といふ言葉の意味は「一国の燦然たる文物制度を普く中外に知らしめる」ことを謂ふのである。即ち単に風光を観るばかりでなく、その国、その地方の文化、制度、産業等凡有る自国の優れた点を内外に顕揚し以て内外旅行を招致する事である。之を簡単に云へば、観光の「観」は古くは「しめす」と読まれたもので、国際的に見れば「国の光を示す」事になるのである。」(14頁)
  • 観光の国内的意義
    • 「今之を国内的に見ても国土の愛護、心身の鍛錬、乃至は志操の向上等に益する事が多く、又此の倫理的な使命と共に社会の安全弁としての素質も多分に持ち〔……〕観光消費が唯に産業界のみならず、例へば都会と田舎との相互観に財の流通をさへ促して、民力の涵養に資することに思ひ至れば、観光事業は立派に現下の時局に於ける国民運動の線に沿ふものとして存在し得るのである。」(14頁)

観光の社会的効果

  • 観光の社会的効果
    • 「要するに観光事業とは結局旅行を奨励する仕事或は旅客を誘致する仕事に外ならないのである。然らばこれが社会的に如何なる効果を齎すであらうか。先づ「旅」をすれば一般に限界が広くなり、自身の生活内容を豊富にする事が出来る。即ち我々は他地方を旅行する事に依つて見聞を広め、知識を積み、修養にも資する事が出来る。旅に出て異なつた人情、風味に接し、大自然に抱かれ、未知の文化に接して新しい知識を吸収する事は、勉学や修養の上からは言ふまでもなく、この時局下に提唱される体位の向上、保健の上にも大なる意義があるのである。之を大にして云へば旅は我々をして国家社会の一員たる自覚を深からしめる事も可能なのである。」(14頁)

観光の経済的効果

  • 波及的効果が期待される
    • 経済的利益と云ふのは直接この事業に関係する業者たちが旅客から得る利益のみを指すのではない。例えば之を国内的に見れば旅行に依つて金が分散される結果、金融の助けとなつてゐる」(15頁)
    • 「各種の観光事業勃興の為めにも多額の資本が流れる」(15頁)
    • 「国際関係から之を見れば、外客の落とす金は「無形の輸出」」(15頁)
    • 「渡来外人の増加に比例して物産紹介の機会も多くなり、延いては輸出増加の一因ともなる」(15頁)

観光資源とは何か

  • その国その地方の「特有」性、他国又は他地方の人たちにとっての希少性
    • 「観光資源とは観光の対象たるべき事物を指すのであつて、これはその国又は地方の有する特有の天然又は人工の風物を意味し、凡て他国又は他地方の人たちにとつて之を視察し、研究し又は経験する事が珍しく有益な事であれば、皆観光資源となるのである。」(15頁)
    • 「〔……〕その土地又は国に培はれた特有の文化、即ち古蹟、名所、芸術、風俗、習慣、年中行事等も観光資源として主要視すべきものであり、その他各種の文化施設、政治教育の実情、特殊な産業の状態等も亦観光資源の一と数ふべきである。」(15頁)

各種施設の整備

  • 観光と博物館
    • 「観光客が天然の風光を賞し、又その土地固有の文化を研究せんとする場合、充分にその目的を達せしめねばならない。即ち風光鑑賞の場合は、その見学に必要な交通の設備を整へ、又文化研究の為めには或は博物館を設け、或は各種の社会状況を知らしめる便利な途を開くことに心掛けねばならぬ。」(16頁)

接客態度と宣伝

  • 斡旋・案内機関
    • 「〔……〕充分に観光施設が整った暁には、大いに之を天下に紹介宣伝せねばならない。而してこの紹介宣伝に依つて誘致される遊心を巧みに捉へ、之を目的の観光地に誘致するのであるが、更にこの観光客と観光資源との間に立つて、斡旋案内役目を引き受ける機関が必要となつてくる。各種旅行案内所、観光協会、ツーリスト・ビューロー等は皆この斡旋案内機関である。」(16頁)
  • 客に媚び諂うのではない
    • 「〔……〕客を迎へると云つても決して徒らに客の意を迎へ、その機嫌を取り、自らを卑しくして只管その地に金の落ちる事を願ふやうなものであつてはならぬ。「例へば友あり遠方より来る」といふやうな態度で客を迎ふべき」(17頁)
  • その土地に親しみを持ってもらう
    • 「観光資源の提供に当つて宣伝の必要な事は云ふまでも無い。而してその方法は各機関各地に依つて枚挙に遑ない程であるのであるが、特に忽に出来ないものは口から伝わる宣伝である。その第一の要件は前述の通り来遊客に充分な満足を与へる事であつて、若し観光客をしてその土地に親しみを持たせ得ればこの宣伝は成功である。」(17頁)

満洲国の観光国策

  • 「観光委員会」と「満洲観光連盟」
    • 満洲国に於ては先に観光事業の重要性に鑑み「観光委員会」を満洲国政府内に設け、その下に之が実行機関として「満洲観光連盟」を鉄道総局内に設置し、全満の各地観光協会の指導統制に当たらしめてゐる。満洲観光連盟を始め各地の観光協会は、この一貫した統制の下に内外旅行者の便益を計ると共に、満洲国宣伝の方面から国策遂行の一部門を受け持つてゐる」(17頁)

満洲再認識

  • 旅行目的は「満洲再認識」
    • 満洲国内に於ける観光事業発展の膳立ては今日既に完了し、「満洲再認識」の積極的行動に乗り出さんとしてゐるのである」(18頁)
    • 満洲の再認識は日本人目下の急務であり、旅行の齎す効果と併せて、満洲旅行は正に一石二鳥であると云はねばならぬ」(18頁)

「国民厚生旅行会結成」(『満支旅行年鑑【昭和18年】』東亜旅行社奉天支社 、1942年、15-17頁)

  • 戦時下国民の厚生問題と旅行
    • 大東亜戦争を勝ち抜くためには第一線の招聘の心を心とし、銃後も一人残らず総力をあげて生産力拡充といふ長期の職場戦線に耐え得る逞しい体躯が必要である反面、此の体躯へ明日に備へる弾力を與へるためには適当な休養が必要である。従つて戦時下国民の厚生問題が取り上げられ、物心二面から各種の健民施設が漸次整備されつつあるが、国民厚生の重要な要素である旅行がいはゆる昔の物見遊山的な旧い性格を揚棄して、積極的な休養と健全な娯楽をとり入れた厚生旅行を全満洲の国民に與ふるは喫緊の急務である。」(15頁)
    • 「本旅行協会は国民厚生と云ふ国家的な目的を持つので、出来得るならば国民全部を会員たらしめ、地域、職場、職能分会を連繁的に結成して強力なる旅行機関とし、中央の指示、計画に基いて常に健全なる旅行を実施し明朗闊達大協和の建国精神を振作せむとする〔……〕」(15頁)
【趣意書】

国家総力戦二処スベキ高度国防国家ノ建設ハ、其ノ前提必須条件トシテ、単二政治、社会、経済、産業、文化等ノ各部門二亘ツテノ機構ノ整備ヤ組織二拡充ノミヲ以テ、事足レリトスルモノデナク、一方コレト並行シテ、国民全体二亘ル人間的改造、即チ精神的及ビ肉体的浄化ト錬成ガ伴ハナケレバ、到底円満ニシテ鞏固ナル結実を期待シ得ラレナイノデアリマス。


満洲国民厚生旅行会ハ敍上ノ必要二基キ一般大衆就中勤労階級ノ適当ナル余暇善用ノ方法ヲ講ジ、アラユル旅行ヲ通ジテ健康ノ増進、体力ノ向上、情操ノ陶冶ヲ計リ、溌剌清新豊富ナル生活方式ヲ与ヘ、心身ノ復活、精力ノ再創造ヲ図リ以テ明朗闊達大協和ノ建国精神ヲ振作スルノ目的ヲ以テ茲二発足致シマシタ。


即チ明朗ナル太陽、新鮮ナル空気、清冽ナル水ヲ求メ、或ハ都会ヨリ農村ヘ、農村ヨリ都会ヘ常二変化スル興味ノ対象ヲ追ツテ日常ノ生活圏カラ解放サレ、以テ明日ヘノ生産活動力ヲ培養セムトスル旅行厚生運動ノ実践機関デアリマス。


今ヤ世界ハ挙ゲテ動乱ノ禍中二アリ、各国家、各民族ハ其ノ好ムト好マザルト二拘ラズ、画期的一大転換期二際会セル今日、最後ノ勝利ヲ確保スル途ハ一ニカカツテ国民ノ旺盛ナル発展的士気ト、健全ナル体力ノ如何ニアルト謂フモ強チ過言デハナイト思ヒマス。


而シテ大東亜戦時下二於ケル生産部門ノ増強拡充ハ、必至的二満洲二於テモ勤労大衆ノ厚生問題二関シ、適切ナル対策ヲ要請シテ居リマスガ、旅行文化ヲ通ズルコノ国民厚生運動ノ促進コソハ、最モ効果的ナル施策実践ナリト確信致シマス。


本会会則ハ左記ノ通リデアリマス。希クハ各位齊しく本運動二賛同サレ、相携ヘ奮ツテ御入会ヲ切望スル次第デアリマス。



康徳九年八月

満洲国民厚生旅行会
事務所 東亜旅行社新京駐在事務所内