雑録

なぜ「アラフォーおばさんの3Dモデルの演技」がコンテンツとして成り立つのか

 メディアミックス展開において、キャラクターに付与される価値には重層性が生じます。特に小説や漫画が映像化されたり、アニメキャラの声優が現実世界でライブを行ったりする時(2.5次元)などで問題は顕著になります。物語上の人物が好きなのか、それとも、その役を演じている役者が好きなのかで鋭くファンが対立することもあります。

 私は子どもの頃に大河ドラマに嵌っていたのですが、あたかも本物の人物としてそのキャラに魅力を感じていました。しかしクラスメイトはそのキャラを指して俳優の○○さんが演じているから好きと述べたのでした。これはカルチャーショックであり、そうなるともう以前の様には大河ドラマの人物を見ることができず、俳優が演じているキャラとして、どこか客観的に眺めている自分がいることに気が付くのです。まぁ当然の事ながら、キャラクターと役者が完全に同化することなどありえないのですが。

 そのような中で、キャラと俳優/声優の同一化という幻想を完膚なきまでにぶちのめしてくれた声優が桑谷夏子さんという人物でした。彼女はターゲット層がコンテンツ作品のキャラを求めていたのに対し、そんなものは無いと現実を突きつけたのです。具体的には『シスタープリンセス』というコンテンツで「可憐」というキャラを桑谷夏子さんが演じていたのですが、ラジオ放送では可憐としてではなく「桑谷夏子」として振舞ったのです。これには可憐というキャラが好きだったファンの方々にとって大きな衝撃を与えたのでした。

 しかしながら、このことは声優がコンテンツとなることに大きな示唆を与えました。現在ではゲームキャラクターの声優が、キャラのコスプレをして、アイドルのようなライブイベントで歌ったり踊ったりしても、何ら抵抗感などありません。「キャラクター」と「現実世界で声を当てている声優」という複数の価値観を重層的に受け入れているのです。

 現在、Vtuberの波に乗って90年代作品の20周年回顧がブームになっています。若者たちにとっては、Vtuber可憐という「単なる3Dモデルを40過ぎのBBAが演じている」動画に、なぜ老人たちが集まるのか疑問が生じることでしょう。しかしVtuber可憐は、キャラクターとしての可憐とアラフォーおばさん声優という価値観を内在させることに成功しているのです。

 あれはシスプリのラジオ時代を知っている人にとって、かつては可憐というキャラクターの幻影を打ち砕いた桑谷夏子さんが、現在必至で可憐であろうと四苦八苦しながら取り繕うとしている姿(ぜんぜん取り繕えていないが・・・)を楽しむというコンテンツになっているのかもしれません。


 
  
 
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