サクラノ刻「Night on Bald Mountain(恩田寧)」シナリオの感想・レビュー

本間心鈴に怨恨を抱えていた恩田寧が逆に心鈴の弟子となることで美のセカイの一端に触れる話。
恩田寧は複雑な家庭環境で育ち本間家への憎悪を滾らせその娘:心鈴に対して怨恨を抱いていた。
寧の母方は美術の名家であったが寧に敷居を跨がせないのに、心鈴を弟子にして優遇していた。
それを許すことが出来ない寧は、四色型色覚を鍛え直し、一度は敗れた心鈴に復讐を誓う。
主人公は一介の教員でありながら、芸術家として寧と心鈴に責任を持ち、その勝負の仲立ちをする。
結果は心鈴の圧倒的勝利となるが、主人公は心鈴を寧の師匠にするというウルトラCを決める。
ここで語られるのは、絵画には哲学と思想が必要ということであり、寧の絵の空虚さが浮き彫りとなる。
そのため寧は哲学・宗教・美学・文学・音楽史を叩きこまれ画家としての素養を身につけていく。
最終的に寧が美のセカイに届いた時、師として真摯に接してくれた心鈴への怨恨は消えていた。
(絶対的な教養に裏付けされた思想・哲学の必要性ってノベルゲームの分野に対する警鐘でもあるよね)

恩田寧の本間心鈴に対する怨恨の解消

本間心鈴に勝つために必死に技量を磨いていた少女:恩田寧
  • 絶対的な教養に裏付けされた思想・哲学の有無
    • 恩田寧は複雑な家庭環境の下に育った。母親である霧乃はダメな男に引っかかり駆け落ちして実家から勘当された挙句、ヒモの男を養うために働きに出た職場では中村章一に強姦されてしまう。霧乃はカネのために何度も抱かれるようヒモ男から指示され、ついには子どもを身ごもってしまう。これを利用してヒモ男はさらに強請ろうするが、中村家の力を甘く見ており、蒸発させられてしまった。この時に霧乃が身ごもった男児が圭であったが、霧乃はさらに別の男と子どもを作っており、圭の異母妹となる存在が寧だったというワケ。さらに寧は小学校に上がる直前、子ども同士の喧嘩ではあるが苛烈な暴力を振るわれて大怪我をし入学が遅れるという事態にもなっていたのだが、寧に暴力を振るった男子が問題であった。その男児は中村章一の妹である麗華が嫁ぎ先の本間家で産んだ長男心佐夫であったのだ。こうして霧乃は中村家・本間家に対してヒステリックになっており、娘の寧はその影響を強く受けて育っていった。
    • 幼少期から寧は死んだ圭の墓参りに何度も訪れており、墓前に備えられていた絵具から美術に興味を持つようになる。寧には天賦の才があり、四色型色覚でセカイを見ており、子ども絵画コンクールで様々な賞を得ていく。だが本間家の長女:心鈴が寧の母方の実家である名門恩田家で絵画を教わっていることが明らかになり、寧は自分も指導を請いに行くが、そこで心鈴に完膚なきまでに実力差を見せつけられてしまう。精神崩壊した寧はこれまでの子ども絵画コンクールなど無意味であったと知り、幼年期が終わりとなる。その後の寧は、村田清彦の指導の下で、さらに四色型色覚を磨き、敗因であった三色型色覚との切り替えを身につけることに成功する。
    • 寧の心鈴に対する妄執は、主人公が心鈴の所属する学校に出向し始めたことにより激しくなる。心鈴との触れ合いにより彼女が美に対して真摯であることを知っていた主人公は何とか寧と心鈴を和解させたいと願い、恩田家の事情に首を突っ込む覚悟を決める。こうして寧と心鈴は再び直接対決をすることになるのだが、寧が心鈴に勝つことなどできなかった。絶望する寧に対して主人公は取った手段とは、なんと寧を心鈴に弟子入りさせることであった。最初こそ寧は心鈴に反発していたのだが、心鈴の美に対する真摯な態度に触れることで、ワダカマリを解消していく。寧に足りていなかったものは、思想・哲学であった。心鈴は四色型色覚の技術に依存し過ぎており、その絵画には中身が何もなかったのである。それ故、「絶対的な教養に裏付けされた思想なり哲学なりがなければならない」ということで、寧には哲学・宗教・美学・文学・音楽史に関する読書が課題として与えられる。毎日睡眠3時間の中、魂を削って美術に取り組んだことにより、ついに寧は美のセカイの一端に触れることができたのであった。こうして主人公の心鈴師匠作戦は功を奏し、寧は心鈴に対する妄執を解消させ、二人の関係は改善されるのであった。
    • この「芸術には思想・哲学が必要」というメッセージは、本作の媒体でもあるノベルゲーにも当てはまるということを示唆している。ノベルゲーのシナリオライターにおいては、ライター自身に表現したいことなど何も無く、既存の作品構造や舞台装置、ウケているテキストを組み合わせただけの作品を出してくるライターも多い。(特に『白昼夢の青写真』というゲームのシナリオは、既存の作品群から面白い部分をパクってきて、それらを組み合わせて作品を作るという制作方法を正当化しており、それが出来るのも「才能」だと作中のシェイクスピアを通して語らせることで、ライターに思想が無いことを開き直っている)。こうしたライターは大衆迎合的には売れるかもしれないが、その精神性は作家とは言えないだろうということを、本作はまざまざと浮き彫りにしているのだ。
最初の対戦で完膚なきまでに心鈴に敗れた寧
二度目の対戦で寧は自身の姿を心鈴に描かれることになる
複雑な家庭環境に気を取られ大切な美術への姿勢を喪失していた寧
芸術作品には哲学・思想が必要
絶対的な教養の裏付け
寧と心鈴の和解

サクラノ詩&サクラノ刻感想セットはコチラ