土田和博「岐路に立つ新自由主義的構造改革と対抗理論」

はじめに

  • この増刊号の企画趣旨
    • 憲法の明文改訂の試みに先行して既に行われてきた日本の「構造改革」をconstitutional change(実質的意義の憲法改定)と把握し、これに批判を加えるとともに、これに代わる対抗的法戦略を提示する
  • 本稿の展開
    • (一)まず新自由主義ないし構造改革の現在を簡単に分析
    • (二)これを前提として筆者の試論的な対抗理論を示す
    • (三)最後に、対抗理論から導かれる財産、財産権、営業の自由に対する規制の一部である経済法制、とくに独占禁止規制のあり方の検討

一 ―新自由主義構造改革の現在

1 選別的市場原理主義
  • 新自由主義に関する最も簡にして要を得た把握の一つ
    • 新自由主義とは…強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの中で個々の企業活動の自由と能力を解放することによって人類の福利が最も増大すると主張する政治経済的実践の理論」
  • 強調されるべきこと
    • 新自由主義市場原理主義では必ずしもなく、グローバリゼーションの進展の中で各国民国家は企業の国際競争力を回復、維持、強化するために介入・干渉をも厭わない
    • 新自由主義とは、より正確には選別的・差別的市場原理主義を本質的要素とする
    • 特定の分野・領域では競争導入・競争促進を強調しながら、別の分野・領域ではこれを拒絶し、企業集中を促進し、国家介入・干渉を行ってきた
    • 具体例:2001年以降の日本の社会経済政策=戦略的分野や独占・寡占的大企業をも市場原理に全面的に委ねてきたわけではない
      • 税金の無駄遣いの典型といわれた公共事業費を削減し、公共工事一般競争入札制度を導入することにより効率的建設業者のみが生き残るよう仕向ける
      • 製造業・サービス業の高コスト体質と称して、アジア諸国の低賃金を側圧として利用しつつ、非正規雇用を生み出す労働市場改革により人件費を劇的に切り下げる
      • 民間企業がビジネスチャンスとみる福祉、医療、教育などを競争に適した分野とする
      • 危機に陥った銀行には公的資金注入
      • 知財立国の名における知的財産権の偏重(知財による競争圧力の排除)
      • 大半の企業結合・企業集中の容認、寡占的市場構造の放置
    • 文字通りの市場原理主義ならば、淘汰されるべき企業に国家が手を差し伸べたり、産業再生やグローバル競争を理由にフェイリングカンパニーの企業結合を促進させたりはせず、市場に1、2社しか存在せず新規参入もない場合には、国家は企業分割を命じてでも競争が働くようにするのが理論的帰結
2 安倍政権以降の政策原理
  • 新自由主義の主導者の変化
  • 安部首相と新保守主義(新保守主義は、新自由主義の矛盾を抑え込むことでこれを補完する役割を果たす)
  • 問題提起「新自由主義はもはや終焉を向かえつつあるか」→NO.
    • そもそも新自由主義構造改革とは旧ソ連・東欧における社会主義の崩壊と新世界秩序=グローバリゼーションの進展の中で、企業が地球規模の競争に巻き込まれたことから、自国企業の競争力を回復、維持、強化するために行う政策の総体をいうのであって、それは規制緩和や民営化の形をとることもあれば、国家介入の形態をとることもある
    • 経済のグローバル化とそれに伴う国際競争圧力が働く限り、国民国家は自国を本拠地とする企業の国際競争力を強化する政策を採り続けざるをえない
    • その形態が新自由主義と呼ばれ続けるか、異なる政策が支配的となって別の名称を冠するかは副次的な問題
  • 選別的・差別的市場原理主義と企業の国際力強化の政策に対する対抗理論
    • 平等や友愛(互酬)を原理とし、その仕組みや過程を根本的に改めた政府による規制と再分配のシステムに向けて真の変革は必要だという立場からの対抗理論

二 ―対抗理論:総論

1 「改革」手続きの変革
  • 諸会議の構成員
    • 諸会議の構成員の多くを経済界出身者が占める
      • 規制改革という極めて重要な社会経済政策を経済界の強い影響下において決定している→社会経済や財政のあり方に改革が必要だとしても、そのような必要性がこのような決定手続きを正当化しえない
    • 目的実現の手段は多様であって、これに関する国民的意見集約の手続(国民の権利や財産に影響する重要政策の決定手続)に第一の問題がある
2 「改革」の実体的変革
  • 日本の構造改革の有力な理論的源流の一つはアメリカの新自由主義的経済学、法学理論にある
  • 特徴?:全面的商品化(universal commodification)
    • 売り手と買い手が合意する限り、あらゆるモノを商品として売買してよいとする傾向であり、政府によって給付されてきた社会的サービスを民間営利企業が商品として供給するように「改革」することを含む
      • ?に対する対抗理論:市場の外延をどのように限定できるか
  • 特徴?:功利主義的最大化原理
    • 市場の構成員全体の利益(効用であれ余剰であれ)の総和が増大するか否かをある制度や行為の評価基準とするものであり、しばしば自由競争が社会全体の富・厚生(welfare)を最大化させると結論づける考え方
      • ?に対する対抗理論:市場内部のさまざまな権利・利益を定性的に把握し、これに基本的な優先順位を設定し、立法府、行政府、裁判所は、原則としてこれを確保するよう行為しなければならないとする(市場の内包の権理論的構造化)
  • 市場内部の権利・権益の優先順位;国は市場参加主体、取引対象たる財、市場の過程、市場の帰結に関して、この辞書的順序において保障を確保しなければならない
    • (a)人間の生命、健康、安全に対する権利(基本的人権
    • (b)人間が人間として生存するための、あるいは人格的自立の前提としての「基本的人権としての財産権」あるいは人格構成的財産関係
    • (c)他人の労働の成果を取得する側面をもつ中小企業家、中小企業法人の財産権
    • (d)資本主義の制度的保障にとどまる資本家の資本としての財産および大規模な株式会社の財産あるいは代替可能財産関係
    • (e)資本主義の敵対物として客観的制度保障の対象にすらならないとされる企業集団、企業系列を構成する大規模な株式会社の財産

三 ―対抗理論:各論

  • 本稿で取り上げる検討
    • 国家による各種の財産、財産権、営業の自由のの規制のより具体的な考察の一例である市場規制ないし独占禁止規制
  • 取り上げる理由
    • 新自由主義が(選別的・差別的な形で)市場競争を強調することから「市場」について議論の錯綜がさまざまなレベルで生じているから
    • 独占禁止法の「本流」化に伴って同法の目的ないし市場競争の機能を専ら資源配分の効率性に求める議論が増大しているから
1 「市場」「市場経済」に関する議論の錯綜
  • 「市場」概念
    • 「市場」概念はさまざまな論者によって多様な意味で用いられている
    • どのような理論的視角からアプローチしようと各論者の自由であるが、いかなる意味で「市場」や「市場経済」概念を用いているのかを明確にすることが重要
  • 2と3の議論
    • 生産手段が私有化されている市場経済を念頭において、典型的な生産物(自動車、パソコン、航空サービス、パン等)の供給者と需要者によって構成される取引の場としての市場において成立するとされる価格メカニズム(市場メカニズム、市場原理ともいう)の意義ないし機能に関するもの
2 現代の市場メカニズム
  • 株式会社
    • 19世紀半ばに急速に普及した株式会社は利潤のための利潤をめぐる競争、成長のための成長をめぐる競争を行う
    • 非人格的株式会社は配当性向や労働分配率を低くして最大利潤の最大割合を投資にまわし、利益を株主や労働者従業員に多く配分しようとする企業を打ち負かす
    • 株式会社が有力な企業形態となった時代の競争は、喉を切り裂くような激烈な経済的抗争(cut-throat competition)となる傾向がある
    • 独禁法は競争のルールを定めているわけであるが、昨今、大企業の市場行動を含めて現実態としての競争過程をそのまま受け容れ、国家の介入を厭う傾向がある
  • 垂直的抑制(取引相手によるチェック)
    • 市場メカニズムが働いている状態では、特定の企業の恣意的行動は競争者による競争行動の集合や取引相手による販売・購買活動の集合によって抑制され、一定の均衡が保たれるという考え
    • このような非人為的な(impersonal)抑制と均衡(check and balance)という機能こそが市場に一定の価値を認めてきた理由
    • こうした市場メカニズムが働くためには市場構造などについて一定の条件が必要であるが、完全競争はもちろん、有効競争(workable competition)の前提条件さえ整っていない市場が少なくない
    • 市場メカニズムに過剰に依拠し期待することは危険である
  • 競争政策
    • 競争政策は構造改革に批判的な一部の論者から目の敵にされる←地方や小零細事業者が多い専業分野にも競争導入、競争促進が進められてきたから
    • 独禁政策について
      • 構造改革の重要なゲネシスのひとつは有力な経済団体であると考えられるから、独禁政策の推進を経済団体が求めているかといえば、全くそのようなことはない
      • 有力な経済団体は、独禁法の強化に反対し緩和をさまざまな手段で試みている
      • 選別的・差別的市場原理主義の一面だけをみて、独禁政策が全く不要であるとするのは誤り
3 現代における独占禁止法規制のあり方
  • 問題提起:一方では予定調和をもたらすとされる市場原理=「見えざる手」(市場の自動調節作用)に過剰に依拠するのではなく、他方では独禁法の執行停止を求めるかのような議論を避けるためには、どのような道があるのか
    • 競争促進原理と反独占原理を区別し、現代型反独占原理に重心をおいて独禁法の運用を行う方向がひとつの選択肢
  • 競争促進原理
    • 経済規制を緩和し、自由放任の結果許された企業行動が「自由競争」であり、市場競争のメリットは非効率的企業が生き残ることにこそあると理解する傾向が生まれた(競争促進原理の誕生)
    • 1989年以降、旧ソ連・東欧における社会主義が崩壊した後の新世界秩序の下で、グローバルな国際競争力を強化し、ナショナルチャンピオンを形成する必要性を増大させているが、効率主義的競争観が受け容れられやすい基盤を提供している
  • 競争の保護
    • 当初、自由な競争を求めたのは小規模事業者(small businessmen)であり、カルテル・トラスト・コンビネーションを取引、すなわち競争を制限するものとして、これを禁止して競争を保護しようとした
  • 故・本間重紀氏の言説
    • 反独占原理・競争促進原理の区別
      • 独占禁止法的競争論は、産業資本主義段階の市民法たる形式的自由平等と対立する実質的自由を目的とする現代法であり、少なくとも理論的思想的にいうかぎり、寡占論的アプローチは現代の独占放任論たる市場メカニズム論的アプローチと明確な対抗関係を持つ、独禁政策の枠内では相対的にラディカルな思想というべきである」
    • 規制緩和論にいう市場競争と独禁法学における市場競争の関係について
      • 規制緩和論の唱導する市場と競争、総じて自由という価値は専ら、少なくとも主として…大企業の放任的自由であって、独禁法的な市場と競争、反独占的自由とも根本的に異なっている」
  • 現代における反独占原理に基づいた独禁法の運用
    • ?独禁法の目的を経済効率(生産上の効率性と資源配分上の効率性)よりも、分散的な私的意思決定(経済的多様性)の確保や経済民主主義に重心を置いて把握し、これに基づいた運用を行う
    • ?具体的な行為類型については、支配型私的独占、取引上の優越的地位の濫用、一般集中規制など水平的競争に直接影響を及ぼさない、あるいは及ぼす可能性の小さい規制は強化されるべきものの筆頭にあげるべき
      • 不当な取引制限→競争入札制度、入札談合があれば独禁法違反として規制すること
      • 排除型私的独占の規制→市場支配的事業者が弱小企業を含めて他の事業者の事業活動を排除することを禁止する
    • ?IT(情報テクノロジー)に関連する知的財産権による独占的行為や情報通信・エネルギー等の公益事業分野の支配的事業者の濫用行為の規制

結びにかえて―国家と市場と社会

  • 「背景となる制度」や「社会」
    • 市場の内部を権理論的に構造化し、これに優先順位を施した独禁法を行っても、なお市場の内外に弊害や悪影響が波及する
    • →防止・緩和するためには、市場の「背景となる制度」や「社会」が重要
  • 国家(制度)が市場の弊害の波及を防止する措置
    • 競争圧力→賃金の低下、長時間労働化、「余剰人員」の解雇など←防止するための政策が必要
      • 労働条件の引下げを制限する規制の強化
      • 解雇制限法理の維持
      • 失業・労災などに備えた社会保障制度の抜本的な拡充
      • →労働法・社会保障法分野と経済法分野の規制強化はセットで考えられる必要がある
  • NPO社会的企業、協同組合などの活動が市場の制御あるいは外部環境整序の機能を果たす
    • 環境保護社会福祉、失業者の再雇用・再訓練、協同原理による事業提供など→営利原理・市場原理の弊害を防止・緩和し、社会的に排除された失業者や身体障害者を包摂する
    • 市場の弊害から人々を救済する機能を果たすと同時に、結果的には市場が機能するために必要な外部環境をも提供する
    • これを無視して社会が衰退し市場が肥大化するのを座視することは、かえって市場の機能不全を結果する