各時代における富裕階層の富の集積

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日本史をやっていて面白いところは異なる時代でも共通の構造が見出せることだわ。
いくつかあるけど「富裕階層が富の集積を行う」様子はグッとくるわね!!
資本蓄積して大量に生産すればするほど利潤が増大する的なアレ。スケールメリット


思いつくのを適当に挙げてってみよう。

  • 古代
    • 7世紀に公地公民の原則が打ち出されるけど税負担が重くて浮浪と逃亡。口分田不足により8世紀には土地私有をある程度認める墾田永年私財法。これにより9世紀には農民層の分解が進んで有力農民「田堵」が台頭していく。10世紀になると国司が徴税請負人化し、班田制に変わって負名体制が敷かれ、人心課税から土地課税へと移行していく。有力農民は土地の開発を進め開発領主となり寄進地系荘園が誕生する。こうして富裕階層に土地が集積していくという流れ!
  • 近世
    • 江戸幕府は当初、自作農による小経営を基盤としていた。故に田畑永代売買の禁止令を出して農民を土地に緊縛し、田畑勝手作の禁によって貨幣経済に巻き込まれないようにした。しかし貨幣経済から隔離されるのなんて無理。農村にも貨幣経済は浸透し商品作物が栽培されるようになっていく。ここで吉宗時代に出されたのが質流れ禁令(質流し禁令)。土地の売買は禁止されていたが、質流れという形式で売買されるようになっていたので防ごうとしたのだ。しかし吉宗は防ぐことが出来ず、質流れ禁令は撤回される。これは事実上、質流れの形式によってではあれ、田畑売買が黙認されたことなのだ。こうして質地地主が登場し、質地を集積して地主かしていった。まさに富裕階層に土地が集積していくという流れ!
  • 近代
    • 地租改正により土地所有権が明確化された。ここで松方デフレが発動。地租は定額金納であったので、農民の負担は著しく重くなり、自作農が土地を手放して小作農に転落。地主は所有地を小作人に貸し付け高率の現物小作料をゲット。さらに地主はかたわらに貸金業や酒屋を営んで、貸金のかたに土地集積。そして寄生地主化。まさに富裕階層に土地が集積していくという流れ!


人々がフツーに生活していても欲望が発動し、競争が起こる。競争が起こると必ず勝ち組と負け組が生じる。競争が悪いのではない。競争がなければ生産効率は悪くなり技術革新は起こらない。社会が固定化してしまう。正常な競争の結果なら勝ち負けは当然である。しかし、ほっとくと次第に勝ち組はずっと勝ち続けるようになり、社会システムのサイドに立つ。すると個人の努力ではどうしようもできなくなり、ここでもまた社会の固定化が生じる。一部の特権階層と多数の被支配者という構図のできあがりというわけね。


古代でも近世でも近代でも、富裕階層が土地集積を行った結果どうなったかはみんなもう知ってるよね?どうにもできなくなった人々の閉塞感が漂い、社会的不満の高まりが、社会秩序を崩壊に導いていく。古代では武士が登場して中世に突入し、近世では幕藩体制が動揺し、近代では寄生地主性が軍国主義に繋がっていった。


だから第二次世界大戦後には「福祉国家」が登場したのね。資本主義ではスケールメリットが働き寡占市場となって格差社会化してしまうし、社会主義とって平等にすると労働意欲が下がって能率が悪くなる。政府が経済に介入して富の再分配を行って社会に還元することが求められていったのね。ここで重要なのは、富裕階層のみなさんが、競争の結果自分が負けていたかもしれない社会をイメージできるかにかかっていると思うのよね。よく勝ち組の皆さんは自分が勝ったのは努力した結果であり故に社会的弱者のために負担を増やされたくないと言っているわよね。けれども努力や才覚がコネや時流に負けることもよくあるはなしで、富裕階層の方々がいまそこの地位にいられるのは必然ではないということなの。しかも富の再分配を行うことは社会秩序のためなので最終的には自分たちの既得権益を保持することにも繋がるの。


だが「福祉国家」は手間がかかる。企業とかに法人税とか高くしちゃったり環境とかのために規制とかしちゃったりすると外に逃げだし国内産業の空洞化。そのため新自由主義経済が展開され、一部の特権階層の利益保護に動いていく。上を伸ばして下を引っ張るという方向だ。特権階層がブーストかけて発展すれば、そのおこぼれが社会的下位層にもまわるという考えだ。しかしここで思い出して欲しいのが歴史的にみて富裕階層に富が集積されると負け組は常に負け組であり個人の努力では社会固定化されていく。人件費をおさえるために非正規雇用労働者と定年後の再雇用労働者と女性のパート労働。社会的不満が高まり時代の閉塞感が漂っていく。これに応える勢力として現在台頭しているのが右傾化勢力と宗教原理主義。EUではナショナリズムが高まっているし、西アジアではイスラム国とかできてる。