一 ―人権宣言における安全
- 国家と安全
- 1789年フランス人権宣言第2条:「自由、所有、安全および圧制への抵抗」という「自然的な諸権利の保全」が「政治的結合の目的」である
- 安全が近代憲法にとって非常に重要な価値であることは間違いなく、諸個人の安全の確保が、近代国家の一般的責務
- 安全への欲求は、国家による一定の拘束に諸個人が服する理由でもある
- 国家が諸個人に安全を確保する手段
- 1.私人間の戦争状態(犯罪)を終わらせるための諸個人の一定の行為の犯罪化
- 2.国家の刑罰権の恣意的発動の抑制
- 3.犯罪の背景となる貧困などからの自由を諸個人に保障することなど
- 諸個人の側から見た場合
- 国家に対して安全の保障を請求する権利
- 国家権力の恣意的発動からの安全を確保する権利
- 安全の基礎となる安定した生活を国家に要求する権利
- フランス人権宣言と安全
- フランス人権宣言は、一方では「自由とは他人を害しないすべてのことをなしうることにある」(第4条)とした上で、その限界を画するのは「法律」である(第5条)とし、他人を害する行為の法律による犯罪化を明記し、他方では「適正手続きと身体の安全」(第7条)、「罪刑法定主義」(第8条)および「無罪の推定」(第9条)を宣言することによって国家の刑罰権の恣意的発動をも禁止している
- 第2条は、人権の基本的原理を宣言し、以下の条項にその具体的保障を委ねたものとよむことができる
- 国家の目的たる「自由、所有、安全および圧制への抵抗」は、個々の人権保障の総称であり、個々の人権保障規定のうちに伏流する
- 近代国家の主要な目的の一つである安全といえども、「他人を害する」行為に関する「罪刑法定主義」と個々の人権保障規定のうちに伏流するのであって、少なくとも、それらを修正したり、制限したりする人権原理ではありえない
- 本稿の目的
- 近時、日本の憲法学でも盛んに研究されるようになった安全概念について批判的に検討を行い、3つの課題を提示する
二 ―不確定な安全
- 日本国憲法と人権
- 第13条の各人権の解釈基準としての個人の尊重原理に制約されつつ、各人権の総称としての幸福追求権に含まれつつ、豊富な人権規定の背後に伏流している
- 日本国憲法上、安全という人権は、各人権規定(明文規定のない新しい人権も含む)の具体的な実現によってこそ確保される
- 各人権規定とは異なる独自の人権としてそれを概念構成すべき説得的理由は、いまのところはない
- 独自のの人権として安全を主張する場合
- ?「特定の行為が個人の人格的生存に不可欠である」か否か
- ?「その行為を社会が伝統的に個人の自律的決定に委ねられたものと考えているか」否か
- ?「その行為は多数の国民が行おうと思えば行うことができるか」否か
- ?「行っても他人の基本権を侵害するおそれがないか」否か
- 安全の概念の不明確さ
- 今日の安全をめぐる憲法論では、肝心要の「安全」の概念内容が一向に明らかにならない状態
- 「概念の不明確さ」についての憲法学の危惧
- 「『安全』を独自の保護権益としてとらえる議論に不安を覚える論者がみられる」が、「それは未だ明確化されていない観念を、明確さを要求してきた規範理論の中に位置づけることのできないもどかしさの表現と解釈」もしうるとされる状態
- 現在のところ、憲法上の各人権規定の実現とは異なる独自の安全を憲法上の権利として構成することに憲法学は成功していない
- さまざまなリスクに対して安全が引き合いにだされることによって、その概念は拡散し、その外延すら不明になっている
- 安全の概念の明確化への努力を進めるべきかといえばそうではない←安全という人権は、憲法上の人権の総則規定に含まれ、かつ各人権保障規定のうちに伏流しているから
三 ―安全と正常(norme)
- 市民的安全の見地からの危惧
- 不確定な安全概念が梃子となり、「正常」か(normeに適っているか)否かという非法的な判断基準によって人権主体が選別され、「正常」な人権主体と「正常」でないがゆえに人権主体の資格を剥奪された諸個人との二極分解が進んでいる
- ミッシェル・フーコーの法と「norme」の関係
- 「法律体系が普遍的なnormeにもとづいて法的主体を規定するのに対して、規律=訓練は〔人々の〕特色をしめし、分類をおこない、特定化する。ある尺度にそって配分し、あるnormeのまわりに分割し、個々人を相互にくらべて階層秩序化し、極端になると、その資格をうばいとり、相手を無効にする」
- フランス語のnormeという語は、規範と正常という二重の意味をもつが、フーコーは、ここで、法規範と反―法的な「正常」としてのnormeとを的確に区別している
- 法規範が普遍的であるのに対して、「正常」としてのnormeは、それを尺度に諸個人を分割し、階層秩序化し、極端な場合には「正常」ではないとされた人々の法主体としての資格を剥奪する
- normeの視線
- normeの視線の形式的な法律化
四 ―市民的安全要求と刑事法
- 市民的安全構築の可能性を探る上での問題点
- 現在高まっている市民的安全要求の実相と、それに対し、刑事法がいかに対応しているか
1 「治安の悪化」と市民的安全要求の諸相
- 市民的安全に対する要求増大の背景事情
- 統計による実証研究と安全
- 近時の市民的安全要求の高まりは、そのような統計による実証研究を通じて可視化された治安の悪化には、必ずしも基づいていない
- 治安の悪化は「感覚」としてとらえられ、さらに警察などの法執行機関に対する不信と相俟って、一般見市民の「不安」が形成される
- 市民の不安感の実証的検討と現状
- 市民の不安感に関する実証的検討は、少なくとも刑事法の積極的投入を主張する論者においては不足しているというべきである
- それにもかかわらず、現在、一方では「ハードな対応」として刑罰の重罰化が断行され、他方では「ソフトな対応」として地域社会の住民自身を主体とする地域安全活動が推進されている
2 刑法の重罰化と市民的ニーズ
- 刑法の重罰化
- 市民的安全要求への「ハードな対応」として、近時、刑法の重罰化を基本的に指向した改正がなされている
- 2004年の刑法部分改正:「刑法重罰化」として知られる
- ←「人の身体に直接の攻撃を加え、その結果として、人の生命や身体等に重大な危害を及ぼす凶悪犯罪を中心とする重大犯罪」が後を絶たず、また、「近年、我が国の治安水準や国民の体感治安が悪化している」「大きな要因の一つ」として「犯罪の増加傾向」から
- 世論調査の援用
- 「治安が悪化したとの認識が高まっている」「刑罰が軽い、罰則を強化すべきである、公訴時効をなくすべきである」との指摘
- このような「指摘」に関して、どのような階層の者が具体的にどのような発言をしていたのか、同様の意見はどのくらい寄せられたのか、といった基本的な情報に関しては、立案担当者の説明は抽象的なものに始終しており、そもそも重罰化が市民的安全の要求に応えるものといえるのかということ自体、具体性をもって十分に説明されていない
- これでは、改正の是非に関する民主的な討議の前提を欠く
3 市民的安全要求の対応と治安刑法
- 刑罰法規における罰則の強化が市民的安全要求に応えるものであるとしても、そのこと自体の是非が問われなければならない
4 地域安全活動
- 「地域安全活動」
- 「ソフトな対応」として、地域住民と警察および自治体のパートナーシップによる動きが活発
- 「生活安全条例」:理念を示し、活動の法的根拠と枠組みを与える
- 制定の動き
- 条例の内容
- (障ネ)市民や行政の責務という理念とそのための体制作りについて枠組みを規定したにとどまる「理念提示型」
- (障ノ)防犯という目的を明確化しとりわけ基本的な生活領域の犯罪防止の観点からの再構築を目指す「防犯指向型」
- (障ハ)防犯だけでなく環境美化など別の目的と融合させた「融合型」
- 条例の理念
- 市民は、警察に依存するのではなく、自立した主体として、「自助」「共助」の精神がある。市民ないし住民に自己の安全確保に対して努力する責務ないしは役割が課される。つまり、市民的安全要求は、自らの手で充足すべきとの考え方が基本にある
- 刑事法からの視点
- 公権力―とりわけ警察力―との関係が問題となる
- 生活安全条例制定は、単に地域住民自身の安全確保の意識の表れとしてではなく、国家的戦略の文脈において把握すべき
- たとえ活動が自発的なものであっても、警察庁による「地域安全安心ステーション」の認定などを通じた組織化と有形・無形の支援がなされる以上、そこには、強い指導が働く。ここに公権力の介入が生じる
- それ以上に問題であるのは、地域住民の間に権力関係が形成される点
- 地域安全活動では、「活動を行う者」と「活動の対象となる者」という垂直関係が生じる
- その結果、市民社会の内部に権力的視線が浸透することになり、実践主体と実践主体以外の者の間は言うに及ばず、場合によっては、実践主体間、あるいは実践主体自身においても、権力行使者と被行使者という、ぎくしゃくした居心地の悪い関係が生じる危険性がある
- 公権力―とりわけ警察力―との関係が問題となる
? ―市民的安全の構築という課題
1 すべての市民の安全=人権の保障
- 安全確保の自己責任
- 市民間の民主的討議を困難にし、また市民の間に、「監視する者」と「監視される者」という垂直な権力関係が持ち込まれる
- 不確定な案税概念を媒介にして反―法的なnormeが持ち込まれる危険がある
- さらにnormeによる市民のそのような分断は、すべての市民の安全要求の平等性に基礎を置く近代憲法の人権原理を侵食し、安全確保の自己責任化を生じさせる
- 各人の手に委ねられる安全確保の論理
- 一定の区域の中で相互監視する諸地域への国家の分解に他ならない、あるいは、財力次第の安全確保に他ならない
- 民主主義法学が検討すべきは、近代憲法の人権原理―すなわちある国家の法律に服従するすべての市民に普遍的に人権が保障されるべきこと―の確認と「正常」(norme)による市民の分断の批判的検討