雑録

釣り銭間違いは鬱だ死のう

資本主義社会は新たな多様な仕事に柔軟に対応することが求められる。
小学生の相手に、社会人の相手、お茶汲み、会計、肉体労働。

教育産業はどうしても人を相手にするサービス業なので精神的にも摩耗する。
とりわけ金銭関係が絡むとやっかいだ。
夏期講座の受付の長蛇の列をさばくとか死ねる。

そして間違う釣り銭ミス。お金の計算が合わず足りないよ〜。損益だ。
お釣りを多く返したか、徴収するときに足りなかったか。
(一瞬自分で補填し無かったことにしようかとも思ったが・・・)
平伏し平謝りするしか選択肢はない。

何よりも無能の誹りを受けることが辛い。
「誰でもできるような」受付すら満足にできず
「フツーなら間違えない」カネの計算さえろくに出来ない

臨時な非正規雇用労働者は信頼が第一。釣り銭ミスは信用失墜。
「使えねー奴」認定されると立場は悪くなるばかり。

正規雇用労働者マインド的にもヤヴァイぜ。
中島敦の『山月記』? 臆病な自尊心と尊大な羞恥心だっけ?

頭を下げながら心に浮かぶのは言い訳ばかりの自己正当化。
(いや、いきなり椅子に座らせられ受付手伝ってねと言われ、正社員が釣り銭用意してないとか)
(しかも料金表を事前に知らされず臨機応変にやれとか言われましても)
(それよりフツー受講者って受講料をキッカリ封筒に入れてくるもんじゃないの?)
(最低限段取り説明してくれというか「手伝ってね」なのに私しか受付いないじゃん)

自分の無能っぷりにも腹が立つが・・・
何より言い訳による自己正当化で自己の尊厳を守ろうとしている自分に気づいて死にたくなる
(非正規雇用労働者は自分が「有能」であることを唯一の自己肯定の根拠としているから)

しかし1回のミスで落ち込んでいても次から次へと仕事はある。
「頭を使わない」単純肉体労働に回され、老いかけた身体に鞭打って働く。