武井寛「自己決定権と生存保障」 民主主義科学者協会法律部会編『改憲・改革と法 : 自由・平等・民主主義が支える国家・社会をめざして』 日本評論社 2008年 336-343頁

はじめに

  • 現在の「労働」と「生活」の双方の領域を貫く形での「生存」の問題を「自己決定論」を手がかりに扱う

一.「自己決定」論の系譜

  • 「自己決定」論の由来と展開
    • J・S・ミル『自由論』(1895)における「個人の自由=私的自治の原則」
    • 第一次大戦後の民族独立を牽引した「民族自決」の理念
    • 1960年代末からのアメリカ;「新しい社会運動」「患者の自己決定権」「性と生殖に関する自由」「プライバシーの権利」「人格的自律権」
    • 日本;フェミニズムの規範原理、医師のパターナリズムへの対抗原理
    • 反省傾向;生殖技術・出生前診断・性の商品化・尊厳死・臓器移植などの問題
  • 「自己決定論」の欺瞞
    • 「自己責任」、「経済的自由」と結びつき、「『国家介入』への懐疑的エートス」となる
    • 細川内閣における1993年の所謂「平岩レポート」
      • 規制緩和について「短期的には経済社会の一部に苦痛を与えるが、中長期的には自己責任原則と市場原理に立つ自由な経済社会の建設のために不可避なものである」
      • 「聖域」を認めず、福祉・教育・労働などの分野でも抜本的な見直し
  • 労働法や社会保障法の領域で自己決定はどのように語られているか

二.労働法と自己決定

  • 西谷敏『規制が支える自己決定』(2004年);労働者の「弱い個人」が自らの熟慮と決断で行動する「強い個人」への期待
    • 労働者を生存権実現の為の保護的措置の単なる客体ととらえることへの疑念
    • 現実の企業社会において労働者の自己決定を語ることへ重要性
    • 労働者の生活形態の個人化とそれに対応する要求の多様化
    • 労働者の自己決定意識についての現実認識(自己決定の欠如)
  • 「規制システム」における国家的法的規制の理念的基礎付け
    • 憲法二十七条二項の重要性「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める」
      • 立法者に対して法律によって労働条件を設定する義務を課していると解すべき
      • 過剰禁止:立法者が許容範囲を越えて私的自治を制約することは憲法違反
      • 過少禁止:憲法の義務付けに反して適切な労働条件基準の決定を怠ることは出来ない
  • このような国家的規制は、使用者のみならず労働者の意志をも排除→どのように正当化するのか?
    • 1)生存権理念は「具体的にいかなる意味において労働者の自己決定の制約を正当化しうるのか」
      • 労働者にとって「真の自己決定」がなしがたい構造的な労使の力の非対等性に求められる=「労働者の自己決定の限界によって正当化される」
    • 2)労働者保護法は労働者の「真の自己決定」をも否定するのではないか、その正当化はどうするのか?
      • a)労働者が常に熟慮に基づいて自己決定するとは限らず、その決定が自己加害行為の性格を持つことがある
      • b)労働者全体の人間らしい生活に不可欠のものである(適正な競争秩序)

三.社会保障と自己決定

  • 菊池馨実;社会保障の目的を「個人が人格的に自律した存在として主体的に自らの生き方を追及していくことを可能にするための条件整備」と捉える
    • 1.従来の生存権理論では、給付削減・負担増大の局面を迎えている社会保障法制の変転に対し有効な規範的視座を提供し得ていない
    • 2.従来は、国家から個人への一方的な給付=個人は受動的→「積極能動的な権利義務主体」としてとらえられるべき
    • 3.従来は「財の配分による静的ないし帰結主義的な意味での平等」→「動態的ないしプロセス的視点」
  • 条件整備において尊重されること
    • 1.「個人基底性」:十三条前段(個人の尊重)
      • 「国家による個人への過度の干渉」への警戒、及び「個人単位」を軸とした権利義務などの把握の必要性
    • 2.「自律」志向性:十三条後段(幸福追求権)
      • 2-a)個人の主体的「参加」による関与の機会の保障
      • 2-b)個人の意志による「選択可能性」の確保
      • 2-c)情報へのアクセス
      • 2-d)法主体として措定された個人の「貢献」
    • 3.「生き方の選択の幅の平等」ないし「実質的機会平等」
      • 医療・福祉・介護サービス、子ども個人への社会的支援、精神的自律能力不十分欠如に対するサポート、失業者などの再チャレンジ支援
  • 「自律・自己決定」から社会保障法の規範的根拠を導入=「社会保障法学における自由の理念による基礎付け論」=憲法学における人格的自律権の考え方と同じ系譜
    • 社会保障法学からの指摘
      • 社会保障法を支える理念は生存権と社会的連帯である
      • 「国家-社会-個人」での関係で把握されるべきである
      • 「個人の社会的な選択権」の追及は連帯を基礎とすべき社会保障の本来的な性格に合致するのか
    • 新自由主義批判ないし「リベラリズム社会権論の限界」からの批判
      • 1:自律を確立、維持できない具体的人間像を切り捨てることになる危険 ←反論)国家は選別的に保障を行う趣旨を含んではいない
      • 2:勤労の義務による生存権制約を積極的に受容(「貢献」を求める)←反論)能力・機会があるのに勤労しないものには生存権の保障は及ばない

四.自己決定と生存保障

1.社会法における自己決定論の意義
  • 保護と引き換えに「自由」を抑圧する構造の問題を省察する機会を与えることに意義がある。
  • 自己決定論の矛盾
    • 「自己決定する個人」が多様であるならば、「自己決定」の内容も多様であるにもかかわらず、規制はその性格上基本的に一律的にならざるを得ず、したがって、今度はその規制によって「自己決定」が制約される場合が生じてしまう。
  • 矛盾に対する応答
    • 見地の普遍的原理や概念をいかにして構築すべきかをめぐっても争うべきとすれば、自己決定に支配的な概念を切り替える必要がある
    • 「自己決定」―「自己責任」の連鎖を断ち切る必要がある ←十三条、十五条、二十五条、二十七条
2.憲法二十七条一項と生存保障
  • 憲法二十七条:勤労の義務=国は労働意欲を持たない者のために生存を確保するための施策を講ずる必要がない→社会保障に「貢献」原則
    • 明らかに働けないことを立証できないものの、実際に働くことの出来ない人を困窮したまま放置する
  • 「働くことができるとしたら働き提供する」ことを「倫理的義務として個人に課す」試み
    • 問題設定「はたして、公的扶助システムを規定する法は、相互的な手続きのもとで、人々がみな受容し尊重するとしたら、そのもとで相互性が実現するようなルールであると言えるのであろうか」
      • 「(1)働いて提供できるならそうしなさい(2)困窮しているなら受給しなさい」という条件ならイエス
      • a:目的と実現可能性の対応関係:一人の個人の中で顕れる必要がない
      • b:権利と倫理的義務との対応関係:義務は権利の剥奪という罰則を付帯されることがない
  • 「権利ないし自由を剥奪されることのないこと」の「人間の尊厳」(憲法十三条)=十三条、二十五条、二十七条を貫通する規範論を語ることができる。

むすびにかえて

  • 自己決定論は以下の問題に焦点をあてたことが意義深い
    • 自己決定論は「自己」とそれがなす「決定」の在り方、「決定内容」そのものをあぶりだす
      • 「自己」;法主体のとらえ方
      • 「決定」;法的規制の必要性の有無・程度・手段
      • 「決定内容」;法的に評価されるべき意志とは何か