米家泰作「近代日本における植民地旅行記の基礎的研究 : 鮮満旅行 記にみるツーリズム空間」(京都大學文學部研究紀要、2014、53、319-364頁)

  • この論文の主旨
    • 「小稿は,こうした鮮満ツーリズムのなかで日本人が 残した旅行記に着目し,そのまとまった目録を示すとともに,旅行記の資料的意義を 検討した上で,旅行の目的や形態,訪問地など,ツーリズム空間の広がりに関して基 礎的な分析を行うものである。」(319頁)
    • 「小稿では,出版された鮮満への旅行記を「鮮満旅行記」 と呼び,これをできるだけ網羅的にリストアップした上で,鮮満ツーリズムの主体や 旅行形態,旅程と訪問地に関して,全体的な傾向を明らかにする。その作業を通じて, 旅行主体や時期によるツーリズム空間の差異や特徴を示すとともに,今後の研究課題 を整理したい。」(321頁)

メモ

  • 先行研究の問題点
    • 「〔……〕これまでの分析の多くは,専ら文学史や教育史の観点から為されて おり,それぞれ重要な知見が示されているものの,文学や教育以外の鮮満ツーリズム への関心は弱く,コロニアル・ツーリズム全体のなかで個々の旅行例や教育の果たし た役割を位置づける視点は十分ではない。とりわけ分析の盲点となるのが,個々の旅 行例における訪問地の選択と旅程の構成を,どのように評価するかという問題である。」(321頁)
    • 「近代日本における鮮満へのコロニアル・ツーリズ ムを検討するためには,個々の旅の事例分析を積み重ねるだけでなく,より全体的な ツーリズムの動向とツーリズム空間の広がりを把握することが求められる。」(321頁)
  • 分析対象 単行本のみ 新聞や雑誌などでの旅行記は分析対象としない。
    • 「原則として単行本を対象とし,雑誌に掲載された旅行記は採らない。ただし,雑誌の別冊として独立して刊行されたものは採る。なお単行本が旅行記だけでなく,自伝や随筆,評論,報告などを合わせて構成される場合で あっても対象とした。」(322-323頁)
  • 旅行者の属性ごとの8類型
    • 「175 点の鮮満旅行記には,先行研究で重視されてきた作家の旅行記や参加者募集型 の団体旅行によるもの,あるいは高等教育の修学旅行や教員の旅行によるものなど, 旅行の主体によって幾つかの類型に分けることができる。〔……〕実業家の 旅(実業),教員の旅(教員),修学旅行など学生が主体の旅(学生),慰霊や布教な ど宗教家の旅(宗教),役人や政治家の旅(行政),参加者募集型の団体旅行(ツアー), 作家や芸術家の旅(文芸),それ以外および著者の属性が不明な場合(その他)の8 類型に分類して示した。」(325頁)
  • 上記8類型以外の属性の考慮
    • 「8類型だけでなく,様々な旅行者の属性の違いによって, 鮮満旅行の体験がどのように構成され,そこからどのような植民地と帝国の心象地理 が形成されるのか,コロニアル・ツーリズムの全体像を見据えた上で各旅行記を分析 する枠組が求められる。」(329頁)
  • 旅行日程は1ヶ月
    • 「1925 年~ 1940 年にかけて鮮満ツーリズムが最盛期を迎え,より多くの旅行者 にとって旅行のための時間が取りやすいよう,日数がコンパクトになっているためだ と考えられる。1か月という期間は,経営の仕事から長期間離れることが難しい実業 家にとっても,夏休みを利用することのできる学生や教員にとっても,適当な期間で あろう。」(330頁)
  • 旅行地域が中国東北部主体へ
    • 「鮮満の旅は,1925 年~ 1940 年を最盛期とする鮮満ツーリズムの展 開によって,鮮満全体と中国の他地域への周遊を伴う長期旅行から,中国東北部を主 目的地とする旅行へと,性格を変化させていったといえる。このことは,日中の対立 という背景の下で,教員や修学旅行,あるいは実業家らが実施しやすいコンパクトな 旅程を選ぶようになったことの反映だと解釈できる。」(331頁)
  • 訪問先主要10都市
    • 「鉄道で結ばれた都市が主要な訪問地に なっていたことである。対象とする 179 件の旅行のうち,訪問した旅行の件数が格段 に多かったものを列挙すれば,まず航路での出入り口となる釜山(161 件)と大連(159 件)があり,京城(現ソウル,159 件),平壌(108 件),安東(89 件),奉天(現瀋陽, 161 件),そして旅順(147 件),撫順(120 件),長春・新京(121 件),哈爾濱(107 件) が挙げられる。これら 10 都市が,群を抜いて代表的な訪問地であった。これらの都 市のほとんどは,日露戦争を機に開通ないしロシアから委譲され,日本が大韓帝国統 監府や朝鮮総督府,そして南満洲鉄道(以下,満鉄と略称する)を通じて支配権を握っ た路線,すなわち京釜線(釜山-京城),京義線京城平壌-安東),安奉線(安東 -奉天),連京線(満鉄本線,大連-奉天長春・新京)の中核をなす都市であった。」(331頁)
  • コロニアルな支配権下の旅行
    • 「鮮満ツーリズムは,基本的には,鉄道網に対する日本のコロニアルな支配 権のなかで展開したことが確認できる。この支配権のなかにおいては,日本人旅行者 は現地の言語を解さずとも,おおむね不便なく旅行が可能であり,日本語環境を維持 したまま現地と接することができた。」(332頁)
  • 典型的観光物化
    • 「日本人旅行者にとって哈爾濱は,ロシアの影響 力を感じさせる土地であり,歓楽街でロシア人女性ダンサーを見物することが定番と なっていた。春山行夫によれば,「哈爾浜まで行つて,かうした場所にゆかないで帰 る人間はまづないといふのが,苦笑すべき事実であり」としつつも,「いはば外国人 が日本のフヂヤマとゲイシヤ・ガールを見ないでは帰れないやうな風に,一般化,観光物化されてゐる」[#163: 213]という。」(333頁)
  • 満州国の成立と満洲北部への訪問者増
    • 「1924 年以前の訪問地は,満洲のなかでも奉天以南に偏る傾向があり, 特に長春や哈爾濱では 1924 年以前の比率が相対的に低いことが読み取れる。しかし 「満洲国」が建国(1932 年)され,長春が首都・新京となり,また東清鉄道をロシア が手放したことも関わって,特に 1935 年以後になると満洲北部への訪問者が数を伸 ばした状況が窺える。」(333頁)
  • ツーリズム空間の拡張
    • 「鮮満で形成されたツーリズム空間は,第一には日本の支配権が及ぶ鉄路 に規定された側面が強く,メジャーな訪問地は鉄道沿の 10 都市に絞られていたとい える。ただし 1933 年以降,京図線の全通によって,朝鮮北東部から満洲東部にツーリズム空間が拡張していくことが確認される。」(336頁)
  • 訪問地の選択と心象地理
    • 「旅行者の属性による訪問地の違いは,メジャーな訪問地に関しては表面化しないものの,よりマイナーな訪問地の選択に表れている。個々の旅行記を資料として旅行体験や心象地理を分析するにあたっては,旅程の組み方にどのような意図が込められていたかが分析の手がかりになるだろう。従来の先行研究の多くは,個々の旅程を所与の前提として,そのなかでの旅行者の植民地理解や帝国意識を探る手法をとる傾向が強かった。個々の旅行記を扱うにあたっては,そのようにせざるを得ない面があるが,小稿が概観したツーリズム空間の広がりを参照することで,旅行に込められた意図や目的が議論しやすくなることが期待できる。」(339-340頁)
  • 満鮮旅行は修学旅行や教員だけでなく実業家たちも重要
    • 「鮮満ツーリズムが最盛期を迎えるのは,1925年から1940年にかけてであった。こうしたツーリズムを牽引した主要な旅行主体となったのは,従来指摘されてきた修学旅行や教員の「視察」旅行だけでなく,同業団体・地域団体を組んで「視察」する実業家たちの存在が大きかった。」(340頁)
  • 2大幹線10都市 代表的周遊パターン
    • 「旅行者の訪問地は日本の支配権が及ぶ鉄道網に規定され,釜山-京城平壌- 安東-奉天,そして旅順-大連-奉天-撫順-長春・新京-哈爾濱という,奉天を結節点とする2大幹線に沿った 10 都市が中心であった。言い換えれば,釜山と大連を出入り口としてこの10 都市を結ぶ線が,代表的な周遊パターンを構成していたといえる。」(341頁)
  • 表面的で典型的な植民地理解を形成する鮮満ツーリズム
    • 「鮮満ツーリズムのなかで近代の日本人が体験した鮮満とは,一面では,日本語環境を維持したままの鉄道による駆け足旅行であり,定型化した周遊ルートのなかで表面的かつ定型的な植民地理解を形成する機会を作り出すものであったといえる。」(341頁)
  • 典型的な旅行体験のあり方 それに伴う植民地理解や心象地理の形成の検討
    • 「代表的な訪問地において多くの旅行者がたどった典型的な旅行体験のあり方と,それに伴う植民地理解や心象地理の形成を検討することが,コロニアル・ツーリズムのあり方に迫る上での次の課題であるといえる。」(341頁)
  • 個人の関心の重要性
    • 「関心に基づく旅行体験が鮮満ツーリズムのなかでどのような役割を果たしていたのか,そしてそれが心象地理の形成とどのように関わったかは,改めて検討される必要がある。」(342頁)

この論文を読んで

  • 論じられていない点など
    • 分析対象の旅行記について
      • 単行本のみであり、新聞や雑誌に掲載された旅行記は分析されていない。
      • 在満日本人の旅行記は分析対象に入っていない。
      • 旅程が不明確なものを除外している。 
        • → 註25より「例えば,徳富猪一郎『七十八日遊記』,民友社,1906 年,373 頁。夏目漱石「満韓ところどころ」(『四 編』,春陽堂,1910 年,155-287 頁)。高浜虚子『朝鮮』,実業之日本社,1912 年,560 頁。田山 花袋『満鮮ノ行楽』,大阪屋号書店,1924 年,469 頁,など。蘇峰の旅行記は,旅中に記され た通信文の形式を取り,通信文が書かれた日付と主要な訪問先は判明するが,旅程は断片的に しかたどることができない。漱石,虚子,花袋の旅行記には日程が記されていない」
    • 具体的な観光資源の消費は論じられていない
      • 鮮満ツーリズム空間の把握が中心であり、旅行客が訪問地においてどのような観光資源を消費していたのかは論じられていない。哈爾濱のみロシア人ダンサーが触れられている。
  • 自分がやるべきこと
    • 案内記や旅行雑誌において旅行客に消費させようとしていた旅行体験と、実際に満洲旅行をした日本人が抱いた満洲認識の差などの分析