雑録

『ゾンビランドサガ』作品と舞台地の魅力

コンテンツツーリズム論の課題で書いた文章

(0)はじめに

ゾンビランドサガ』はゾンビがアイドルになって存在自体が風前の灯である佐賀県を救うテレビアニメーションである。2018年10月~12月にかけて放映された。以下では(1)『ゾンビランドサガ』における佐賀県の取り扱い、(2)キャラクターと物語の魅力について述べてくこととする。

(1)『ゾンビランドサガ』における佐賀県の取り扱い

  • 1.放送前の情報規制
    • ゾンビランドサガ』の作品コンセプト自体そのものが佐賀県の地域振興である。語尾のサガは叙事詩のサガではなく佐賀県のサガなのだ。しかしながら、当初本作品の放映前には情報規制が敷かれており、作品の事前情報がほとんどなかった。事前の番宣ムービーでもアイドルや佐賀県といった要素はなく、ゾンビものだと思わせるような工夫がなされていた。だが蓋を開けてみるとアイドルモノで佐賀県だったのである!!
  • 2.アイキャッチで観光資源の紹介
    • 本作品ではただ舞台が佐賀県になっているだけではなく、佐賀県を盛り上げるために様々な表現技法が取られている。まずはアイキャッチが挙げられる。日本のアニメ番組は前半と後半に別れており、その間にCMが流れるが、CMに入る前にアイキャッチと言われる場面切り換えのためのイラストやミニアニメが挿入される。本作は毎回このアイキャッチが異なっており、登場キャラたちが佐賀県各地の観光資源の消費を楽しむという内容になっているのだ。このイラストを見ただけで知らず知らずのうちに佐賀県の観光資源について詳しくなれるという寸法なのである。
  • 3.登場人物たちが佐賀県のイベントを通してアイドル活動を行う。
    • 本作品は佐賀県振興のためにご当地アイドルが結成され、佐賀県のイベントを通して成長していく。これにより無理なく自然に佐賀県がピックアップされる効果を生んでいる。佐賀城でラップ、唐津駅でのゲリラライブ、嬉野の温泉街での興行、ドライブイン鳥のCM出演、ガタリンピック、サガロック、アルピノライブなど印象に残っている。
    • 特にドライブイン鳥のCMは破壊力抜群だ。情報社会においては溢れる情報の中で大衆に意識付けを行わせる必要がある。分かりやすく記憶に残りやすい単語を覚えさせねばならないのだ。そのために用いられるのが、軽快なリズムと歌や踊りによる印象付け。可愛いキャラたちがニワトリやヒヨコのコスプレをしてCM収録に奮闘する姿を見せられれば、視聴者はもう爆釣りさ。各言う私もドライブイン鳥の公式webを調べて元ネタのドラ鳥CMを見てしまったのはここだけの話。
    • さらにこれらのイベントは単なるイベントの消化ではなく、ゾンビである登場人物たちが自分たちのトラウマを乗り越えるための装置として物語性が付与される。故にこれらの舞台は単なる風景ではなく、登場人物たちの思い入れのある視聴者にとっては神聖視される場所と化すのである。

(2)キャラクターと物語の魅力

  • 1.ゾンビとトラウマ
    • a.ゾンビだからこそできる「諦めない」思想
      • 本作品のアイドルたちは全員ゾンビであり、もう既に死んでいる存在である。そのため、色々な未練やトラウマを抱えており、これを乗り越えていく過程が描かれることになる。「挫折を乗り越える」思想や「諦めない」思想を唱えるアニメや漫画やゲームやラノベは枚挙に暇がなく使い古されたテーマであるため、どのように表現するかが問われてくる。本作品の場合はヒロインたちがゾンビであるという設定を十二分に活かすことでその他作品と差異化させ、大きな効果を生んでいるのである。
      • 本作品に登場するゾンビたちは共有する属性が存在しない。死んだ年代がバラバラであるため世代文化の共有もなく、異なる社会階層を出自としており、抱いているポリシーや思想信条も異なり、さらにはLGBTのキャラもおり全員が女性というわけでもない。そんな中で、バラバラだったヒロインたちがまとまっていき老若男女に愛されるご当地アイドルに成長していく姿は涙なしには見られない。
  • 2.個別ルート
    • 本作品ではゾンビが7人登場するが、うち生前の諸問題にスポットライトが当たるのは5人である。5話まではノベルゲーで言う所の所謂「共通ルート」であり6話から「個別ルート」に入る。放送当時、この個別ルート突入時から巻き起こったムーブメントは言及されるべきことだろう。
    • a.世代間格差 アイドル界の不易と流行
      • 6話・7話では昭和アイドルと平成アイドルの価値観の差異性に焦点があてられる。アイドル界の不易と流行がテーマ。昭和アイドルの純子は歌唱力を重要視しており、歌で視聴者の心を動かすことをアイドルの使命だと考えている。だが平成アイドルの愛はファンに応援されながらアイドルグループが成長していくものだと考えており、訓練の積まれていない歌や踊りでもガンガン晒し、チェキ会でファンに媚びる必要があると唱えている。この世代間格差を受け容れられない純子は引き籠ってキノコが生えるのだが、プロデューサー巽幸太郎の活躍によりジェネレーションギャップを乗り越え、世代を超えるアイドルとして覚醒するのである。かつて落雷で死亡した愛はサガロックの悪天候でトラウマ発動するのだが、ここで覚醒した純子が愛を引っ張り、フォローを申し出て手を差し伸べるシーンは是非ご覧頂きたいところ。まさに純愛である。
    • b.家族の表象1 父-息子関係
      • 8話ではリリィことまさおのシナリオが描かれる。これまで少女の子役だと思われていたリリィはなんと所謂「男の娘」であったのだ。このリリィは芸能人となったことで父親が個人としての自分を見てくれなくなり、役者としての自分しか求められていないことを知り絶望するのだ。そして父子間が和解することなく死別してしまったため、父親は暗い運命に縛られることになるのだが、ゾンビとして復活したリリィの歌により、父親は悔恨から解放されるのである。リリィの歌う姿を観て父親が号泣するのだが、視聴者も涙が止まらない。
    • c.家族の表象2 母-娘関係
      • 9話ではチーマー出身でありチキンレースで死んだサキの話。チーマー時代のサキの親友は既に既婚者となっていた。家庭環境の不和により不良となった親友は普通の幸せな家庭を求めていた。娘を産み、理想通り幸せな人生を歩んでいたのだが、娘が反抗期になり幸せは崩れてしまう。不和の原因はチーマーであったことを気にして必要以上にへりくだる母親の姿であった。娘は母親を愛していたが、その愛する母親の情けない姿を見たくなかったのである。サキはゾンビになっても、いやゾンビになったからこそ、その心意気を存分に見せつけるのだが、サキのことを思う親友はサキと対等に渡り合う。そんな母親をみた娘は自分の母親が如何に凄い存在であるかを痛感するとともに、サキから母親と向き合わずに逃げて不良の方向に走るのではなく、正面切ってぶつかれよと諭される。こうしてサキの親友の娘はサキのファンとなるのであった。ファン獲得!うんうん、これもアイドル活動の一種だね!
  • 3.グランドエンド 終わってしまった存在であったとしても
    • a.源さくらのキャラクター表現とトラウマの乗り越え
      • 10話から12話の3話をかけて丁寧に描かれたのが源さくら回。ここでもゾンビであるからこそ表現できる独自性が訴えられていた。生前、さくらは不幸体質であり、どんなに努力しても結果は裏目に出て、何かをなすことができなかった。そのためメンタルクラッシュした後、諦念に陥っていたが、そんなさくらを変えたのがアイドルグループであり、上述した平成アイドル愛だったのである。愛が唱える「失敗とか後悔を全然ダメと思ってないからです」という言葉に奮起したさくらは自分もアイドルを目指すことを決意!しかし、オーディションに書類を申請しようとした朝、さくらは轢死するのであった。
      • 生前の記憶を取り戻したさくらは再び無気力症候群になってしまうのだが、ここで今までさくらが救ってきた仲間たちが叱咤激励!さくらは徐々に熱意を取り戻していく。そしてライブ本番、当然の豪雪により会場の屋根が潰れてしまい中断しかけるのだが、ゾンビなのでまるで気にしない!次々と復活するゾンビアイドルたちが歌詞を紡いでいき、一度はマイクを手放してしまったさくらが再びマイクを握るシーンでは、視聴者である私も手に汗握り、思わずハラショーと叫んでいた。
    • b.終わってしまった存在が、「終わり」を「始まり」に変えるという尊さ
      • ゾンビはもう既に終わった存在である。この終わった存在であるゾンビがアイドルとして歌うからこそ、終わってしまった視聴者たちの心に響くものがあるのだ。作中の歌詞を引用すると以下の通り。「何度でも 何度でも 立ち上がれ 諦めなければ 終わりは 始まりに変わる!! 残酷で 理不尽でも 負けないで!! 立ち止まった日々に 笑顔で手を振り 新しい夢を見よう よみがえれ~」。
      • この曲をゾンビたちが歌うのだから、単なる「諦めないソング」とは明らかに違う。今までのストーリーを踏まえて来たからこそ圧倒的な存在感を見せつけるのだ。この曲を聞いた瞬間、私の魂には震えるものがあった。私事で誠に恐縮なのだが、私ももう既に終わった存在であった。それでも何もしないわけにはいかず何とかしようと足掻き続けたが、そこにあったのは虚無であった。そんなわけで私もさくらのように絶望していたわけであるが、この作品を見て、終わってしまったゾンビたちが再び立ち上がる姿を見て、私も思わず立ち上がってしまったのである。単純だね。私はヘタレなので、これからも何度も挫折を経験することでしょう。しかし、その度に「失敗とか後悔を全然ダメと思ってないからです」という言葉を噛みしめながら、これからも歩き続ける事でしょう。