『満洲グラフ』復刻版第2巻(ゆまに書房、2008年)

満洲グラフ』第3巻第1号(9号) 昭和10(1935)年1月30日発行

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  • 収録内容
    • シベリヤを突く北黒新線/小興安嶺の原生林/黒竜江流域の砂金と民俗/蘇領ブラゴエを望む/結氷近き黒竜江/国境の河川を護る 満洲国江防艦隊/松花江氷上の洗礼祭 クリスチニーニエ/氷原に沸く法悦/満洲近事

「シベリヤを突く北黒新線」

  • 内容
    • 1934年12月15日、黒河と北安を繋ぐ、満洲国最北の鉄道「北黒線」が開通したことを紹介する記事。蘇満国境の黒竜江が大連・営口・安東の満洲三港及び清津・雄基・羅津の日本海側3港に通ずるようになった。北黒新線は北安駅(ハルビン-北安間の濱北線と北安-チチハルを結ぶ斉北線の接続点)から北進して、黒竜江右岸の黒河にでる。
    • 沿線は未開地であったが、鉄道の開通とともに文化の光が当たるようになった。龍鎮は元龍鎮県公署の所在地。辰清は旧名を二站といい北清事変の時ロシア軍が黒竜江を渡って侵入した際、清国政府が善後局を設けて避難民に補助を与えた土地。璦琿は1858年3月16日に黒竜江以北をロシアに割譲したアイグン条約締結の土地。黒河は、アイグン条約で建設された露国のブラゴウエシチエンスク市と黒竜江を隔てて相対している。古くから璦琿と共に辺防の重要都市として護境理事庁、黒河副都統府等が置かれていた。
  • 各種キャプション
    • 「黒河」、「璦琿」、「辰清」、「龍鎮」、「北安」、「小興安嶺の旧火山地帯」、「五大蓮湖附近の溶岩」

「小興安嶺の原生林」

  • 内容
    • 北安・黒河の鉄道沿線の自然状況の紹介。人跡未踏の処女地で、一帯は殆ど白樺や落葉松の原生林。現在、伐採事業は余り盛んではないが、鉄道開通とともに林業の将来が期待される。農業においても不適とされているが、地味肥沃なシベリア黒土地帯の延長であり、無霜期間140日内外なので、農業上絶望とは言えない。満鉄発行の昭和7年産業統計では、璦琿県の農作物収穫高として、小麦の8820トンを筆頭に、粟2000トン、玉蜀黍1340トン、大豆880トン其他陸稲、豆類、雑穀類の産高が列記されている。
  • 各種キャプション
    • 「小興安嶺風景」、「清綏河附近の白樺林」、「開拓者の家・腰嶺附近」

黒竜江流域の砂金と民俗」

  • 内容
    • 砂金事業についての紹介。
      • 北満鉱業の代表。採金高は一定しないが、黒竜江本支流通じて年間1000キロ内外と見られる。採掘方法は原始的なので大資本による近代的な採金事業が勃興すれば、採金高も激増するはず。最も盛んに稼行しているのは、黒龍江流域の璦琿、室韋、呼瑪、奇乾、蘿北、湯原の諸県である。
    • 民俗についての紹介
      • ツングース族。1689年の康熙帝はロシア軍を破ってネルチンスク条約を結んだが、当時吉林省寧古塔から派遣された満洲八旗兵7593名が璦琿に留められた。これらが璦琿にいるツングース族の祖。紹介文では住居や信仰における日本民族との共通点が強調されており「北緯50度、東経127.5度の朔北の地に、日本式の民家や神社などを見出す事は、嬉しくも亦興味深い事である」と述べられている。
      • オロチョン人。満洲国の蒙古寄りの地方を南北に縦走する興安嶺山脈以東に住んでいる満洲土人の一種。馬を家畜とする狩猟民族であったが、今日では北鉄西部方面のオロチョンは樵夫となり、黒龍江岸では農業に従事している。記事内では日本神話のオロチ退治と関連があるという説を紹介している。
  • 各種キャプション
    • 「旧璦琿県公署」、「小溜法による砂金採取」、「砂金の洗汰・璦琿地方」、「日本の神社を思はす満洲旗人の土地神(璦琿附近)」、「オロチヨン族協領T氏の住宅」、「咢倫春(オロチヨン)人の親子」

「蘇領ブラゴエを望む」

  • 内容
    • 黒河から見た対岸のソ連都市ブラゴエを一望する写真。「飢餓線上に喘ぐ蘇領ブラゴエシチエンスク」などソ連に批判的な書きぶりである。
  • キャプション
    • 黒龍江三角州附近の蘇聯防塞・トーチカ」

「結氷近き黒竜江

  • 内容
    • 黒龍江の紹介記事。黒龍江はソ満国境を東流して、途中松花江とウスリー江を合し、ニコライエフスクで韃靼海峡にそそぐ。全長4308キロ、航行可能距離は2000キロ。哈爾濱・黒河間に定期航路があり、約10日で結ぶ。解氷期は4月下旬~5月上旬、結氷期は10月30日~11月20日。魚族が豊富だが、人煙希薄のため漁業は盛んではない。河ザメは非常に美味であるが、網を突き破って逃げるので満洲の漁夫たちは敬遠している。
  • 各種キャプション
    • 「結氷せんとする黒龍江」、「河ザメ」、「江上の筏」

「国境の河川を護る 満洲国江防艦隊」

  • 内容
    • 北満の河川はソ満国境なので、江防艦隊が守備している。哈爾濱に江防艦隊司令部が設置され、尹祚乾司令官が率いる。主な江防艦は利綏、江清、江平、利済、順天、養民、大同、利民、済民、普民、恩民等。松花江其の他には日本海軍の砲艦も活躍する。
  • 各種キャプション
    • 「江防艦は進む」、「満洲国江防艦・順天」、「兵器の説明を聞く満洲国」、「内水艇引下し」

松花江氷上の洗礼祭 クリスチニーニエ」

  • 内容
    • 白系ロシア人の宗教行事の紹介記事。毎年1月19日ごろ、ハルビンの氷結した松花江で、古典的な祭礼クリスチエーニエが行われる。早朝からの祈祷式を終えた後、ソフイスカヤ寺院に一同勢ぞろいして午前11時半ごろ、松花江の河心に設けられた祭場に繰り込む。広大な氷の十字架や氷の祭壇がある。祭壇と十字架の中間の表面には十字架型に氷が切り取られ、溝の基部には井戸状のものが穿ってある。アーメン、讃美歌の合唱の沸く中に、氷面に彫られた氷の井戸底を槍の様なもので突き刺して穴をあける。この聖水式が済むと、男女老幼を問わず、十字架で聖められた氷の井戸に飛び込んで全身の洗礼を受ける。毎年50人内外の人が身に一糸も纏わず凍り付くような河水に身を投じる。
  • 各種キャプション
    • 「氷の祭壇を取り巻く僧侶たち」、「祭壇と氷の十字架」、「聖水式・黄金の十字架で江水が聖められる」、「表面に彫られた十字架の溝」

「氷原に沸く法悦」

  • 内容
    • クリスチニーニエ祭における僧侶の活躍の記事。ハルビンで零下37、8度の寒さにもものともせず、白系露人たちは氷上の祭場に雲集。僧侶たちは防寒着なしで氷果てた江上で氷上洗礼の儀式を行う。
  • 各種キャプション
    • 写真にタイトルはないが、儀式に参加する信者たちの写真が4枚掲載されている。

満洲近事」

  • 人事異動
    • 「新関東軍司令官兼駐満全権大使南次郎大将は、朝鮮経由にて12月25日新京、26日新機構の首脳者として初登庁した、」
      • 「国書捧呈に参内の新満洲全権大使南大将」
      • 「前関東軍司令官菱刈大将の凱旋」
  • 省庁再編
    • 「12月26日から日本の在満機関は新機構下に統制される事となり、30年の歴史を持つ関東庁は解消され、関東州庁となつた。」
      • 「関東州庁の初看板」
  • 皇族訪満
    • 「12月6日早朝、久邇宮朝融王殿下、朝香宮正彦王殿下、伏見宮博英王殿下御搭乗の我が練習艦浅間、八雲が入港、三殿下には、新京にて満洲国皇帝陛下と御会見後、ご機嫌麗はしく、再び御乗艦12日午前9時離連遊ばされた。」
      • 練習艦隊 (向つて右より)大河内浅間艦長 中村司令官 杉山八雲長官」
      • 「大連に入港した練習艦
  • 慰霊式典
    • 満洲建国の尊い人柱となつた故武藤元帥以下2917体の英霊を祀る新京忠霊塔は、同胞の醵金によつて国都西郊の聖地に建立され、11月21日、その竣工式及び納骨式が荘厳に執行された。」
      • 「新京忠霊塔納骨式」

満洲グラフ』第3巻第2号(10号) 昭和10(1935)年5月1日発行

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  • 収録内容 北鉄接収特輯号 
    • 北鉄譲渡交渉成る/北鉄接収‼/満・蘇 東部国境/ポグラニーチナヤ/北鉄東部 濱綏沿線/西部国境の町 マンチユリー/国境の人と自然/北鉄西部 濱州沿線/北鉄南部 京濱沿線/北鉄スナップ/駅頭小景/北鉄の中心点 ハルビンハルビンとエミグラントたち/御訪日の満洲国皇帝陛下 大連御発航

「北鉄譲渡交渉成る」

  • 内容
    • 北満鉄路譲渡交渉が解決し、昭和10年3月23日午前11時に正式調印が行われたことについての記事。ソ連政府が北鉄に関して有する一切の権利は、日本国貨1億4千万円他に従事員退職金3千万円を以て完全に満洲国に譲渡された。満洲国政府は、北鉄接収と同時に国有鉄道の一部として経営を満鉄に委託した。北満鉄路の西部線は濱洲線、東部は濱綏線、南部は京濱線と改称。
  • 各種キャプション
    • 「北鉄譲渡調印を前に 3月23日外相官邸にて」、「総局旗抑揚式」、「哈爾濱鉄路局の新看板」

「北鉄接収‼」

  • 内容
    • 満鉄の従業員たちが北鉄を接収する記事。3月11日に派遣命令を受け、13日午後零時50分第1回臨時列車で大連駅発。以後18日までに5600名の社員を北鉄全線に輸送し、23日正式調印の瞬間に極めて静穏に接収を完了した。旧北鉄の露人従業員は2カ月間は留満を認められている。
  • 各種キャプション
    • 「接収当日の新京外交部 (向つて左より二人目)鄭総理 (右端)謝外相」、「北鉄旧幹部の顔合わせ (向つて右より二人目)佐原哈爾濱鉄路局長 ルデーイ前北鉄管理局長・宇佐美鉄路総局長」、「ハルビン着の丁交通部大臣と林満鉄総裁」、「北鉄最後の理事会」、「北鉄クラブに於ける接収祝賀会」、「新京発の丁交通部大臣の特別列車」、「ハルビン着の接収第一列車」、「接収社員の出発・大連駅頭」、「多忙を極める接収事務」、「哈爾濱鉄路局旧北鉄管理局」、「旧北鉄理事会」

「満・蘇 東部国境」

  • 内容
    • 綏芬河における国境警備を紹介する記事。濱綏線の終端駅ポグラニーチナヤ(綏芬河)の裏山を一つ越せば、東の山地は赤いロシアの土地。満蘇両国の国境監視所は、三巻の国境線を挟んで僅か2千メートルの間に相対して建てられている。国境の守りは日系国境警察隊員によって確保されている。
  • 各種キャプション
    • 満洲国の国境監視哨」、「満、蘇国境附近・山腹に黒く見ゆるはウスリー鉄道」

「ポグラニーチナヤ」

  • 内容
    • 北鉄の東端であったポグラニーチナヤの特集記事。ポグラニーチナヤは「国境に沿う町」の意味。国境駅として特異な風格。町は山の斜面に建てられ中央にはロシア正教寺院。日ソの領事館、税関、満洲国境警備隊がある。週3で満洲里と往復する国際列車が発着する日にはソ連方からウスリー鉄道の列車が連絡のために入ってくる。
  • 各種キャプション
    • 「綏芬河の駅標」、「北鉄と連絡する鳥鉄列車」、「ウスリー鉄道のマーク」、「仲よく並ぶ日・蘇・領事館」、「北鉄従事員の宿舎街」、「露西亜寺院」

「北鉄東部 濱綏沿線」

  • 内容
    • 北満の接収によりハルビン-綏芬河間は濱綏線、ハルビン満洲里間は濱洲線、ハルビン-新京間は京濱線へと名称変更した。沿線の自然は三線とも各々異なった風趣を見せる。濱洲線は沃野の南部草原と沙漠に終始する散文的。濱綏線は森林に覆われた山岳地帯を通過するので自然は詩情豊か。
  • 各種キャプション
    • 「山間の要駅・横道河子」、「列車発着の號鐘」、「沿線の白樺林」、「葦河の駅舎」、「山岳地帯を行く北鉄列車」

「西部国境の町 マンチユリー」

  • 内容
    • 濱洲線の最終端駅で西部国境の町満洲里の紹介。週3で綏芬河-満洲里の間を往復する国際列車は、ここでソ連ザバイカル鉄道の特急リュクスや、普通急行と連絡。陸路欧州或はロシアを旅行する者は、一度は必ずこの駅に下りて税関検査、旅券の査証を受けなければならない。そのため法外に大きな駅舎を持っている。国境の町であるため国境紛争が何度か生じ、蘇炳文事件などの戦火を被った。

「国境の人と自然」

  • 内容
    • 赤衛軍が満洲里を占領し海拉爾まで侵入してきた露支紛擾もあったが現在は平和な明け暮れを送る。陸続きの国境なので、満洲国とソ連邦の境が見ざかいがつかない。ソ連側の国境監視は厳しいというが、遊牧のブリヤード蒙古人などが知らぬ間に越境していることも。西部国境の天地は、スラブ、タタール、ブリヤード、バルホ、ダホール等の諸民族が生きている。
  • 各種キャプション
    • 「牧夫」、「放牧の駱駝」、「荷馬車」、「客馬車」、「鉱石運搬の駱駝隊」

「北鉄西部 濱州沿線」

  • 内容
    • 濱洲線の海拉爾と民族についての紹介。ハルビン満洲里間の濱洲線は、斉斉哈爾の原野と興安嶺の森林地帯と海拉爾近辺の草原沙漠地帯を横断している。民族的色彩が濃厚な海拉爾は、蒙古コロンバイル地方の中心。町の中を放牧の馬やラクダがうろついているような牧歌的情緒を持った蒙古気分豊かな町。蒙古人の多くはブリヤード族で、其の他ダホール、ソロン等の種族も見られる。現在の満洲の260万頭の羊、240万頭の馬、160万頭の牛などは、大部分蒙古人の手によって飼養されている。
  • 各種キャプション
    • 「車上所見・蒙古婦人と少年」、「満洲国の日本小学生」、「街頭所見・ハイラル」、「ダホール部落の蒙古人小学生 ハイラル郊外」、「牛売に来た蒙古人・ハイラル所見」、「ハイラル望遠」、「馬上の蒙古人」

「北鉄南部 京濱沿線」

  • 内容
    • 新たに京濱線と改称されたハルビン-新京間の路線の紹介。譲渡前は新京で北鉄に乗り換えると、満鉄の気分が一変し、シベリヤでも旅行しているかのような気分にさせられた。沿線屈指の大駅である雙城堡は東洋建築であり一種の脅威。張政権華やかなりし頃に、自国の文化を誇るために建てたと言われている。沿線一帯は肥沃な平野で農業が盛ん。
  • 各種キャプション
    • 「新京駅に於ける北鉄と満鉄の連絡・向つて右北鉄列車」、「第二松花江鉄橋・陶頼昭附近」、「氷結せる第二松花江」、「雙城堡駅」、「農産物輸送の荷馬車隊―車窓より―」

「北鉄スナップ」

  • 内容
    • 北鉄接収による露人引揚げを告げる記事。露人職員6千3百余名は本国に引き揚げることになっているので、露人が醸し出して来たエキゾチックさは喪失してしまうであろうことを予想している。
  • 各種キャプション
    • 「駅売り」、「立売人」、「駅売りの雉子 帽児山駅」、「車掌」、「駅長」、「路警」、「信号手」、「食堂車」、「構内食堂・綏芬河駅」、「北鉄のマーク」

「駅頭小景」

  • 内容
    • 北鉄辺境の駅の様子について。北鉄の沿線の国境附近は列車の便が少なくなり、満洲里や綏芬河は週3でしか往復しない。そのため寂しい沿線の人々にとって列車の到着が慰安となっており、汽車の到着時間にはこぞって駅に集まり、駅が一つの社交場と化してしまう。
  • 各種キャプション
    • タイトルはついていないが、駅頭の様子の写真が8枚掲載されている。

「北鉄の中心点 ハルビン

  • 内容
    • ハルビンの起源の紹介と将来の予想について。ハルビンは1898年5月28日、北鉄建設の重任を受けたユーゴウイツチ技師長以下建設隊員が到着した日を以てできた植民都市。露国は東洋のモスコーとするべく建設したため、満洲第一の大都会となる。現在の人口じゃ約42万で、大部分は満人、露人は赤系が2万5千、無国籍が2万9千。無国籍は白系露人でソ連と相容れぬエミグラント満洲国に国籍法はない筈なのに、この記事では「近年では満洲国籍の露人も多く」と満洲国の恩恵を得ていることが強調されている。また上述の「北鉄スケッチ」の雉では、北鉄接収により露人の異国情緒が失われると述べているが、この記事では都市ハルビンはスラブの雰囲気を永く満洲に止めると主張している。
  • 各種キャプション
    • ハルビン市街」、「ハルビン駅」、「キタイスカヤ街」、「新市街所見」、「キタイスカヤの街角」

ハルビンとエミグラントたち」

  • 内容
    • ハルビン南郊の馬家溝と埠頭区の西部に隣接したナハロフカでは、白系ロシア人が部落を形成している。ナハロフカはハルビンきっての貧民窟でエミグラントの憐れな生活がみられる。しかし燃えるような信仰を持ち、朝夕敬虔の祈りを欠かさない。祖国に帰れないエミグラントたちは北鉄社員の引き揚げをよそに、満洲の地で質素な生活を送る。
  • 各種キャプション
    • 「ソフイスカヤ寺院」、「寺院と僧侶」、「露人の墓」、「貧民街」、「街頭古本屋」、「ナハロフカにて」、「バスのボデーを住居に」、「老馭者と老婆」

「御訪日の満洲国皇帝陛下 大連御発航」

  • 内容
    • 満洲国皇帝溥儀の訪日を伝える記事。1935年4月2日午前6時50分、帝都新京出発。同日午後5時20分大連着。御召艦比叡にて午後6時出発。4月6日午前9時横浜港着、秩父宮出迎え。11時30分東京駅に到着し、14日まで滞京し天皇陛下と御交歓。15日東京発、京都、奈良、大阪を経て、神戸で御召艦比叡に搭乗。24日厳島から大連に向けて帰国する予定。
  • 各種キャプション
    • 「皇帝大連駅到着」、「大連埠頭に奉送の日満要人」、「歓送の日満官民(大連埠頭)」、「大連埠頭待合所を経て御召艦へ」、「御召艦比叡に御搭乗」


満洲グラフ』第3巻第3号(11号) 昭和10(1935)年6月1日発行

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  • 収録内容
    • 伸びゆく奉天/郊外に膨張する大奉天/繁盛する奉天駅頭/満鉄経営の奉天鉄道附属地/外人の居留する奉天商埠地/奉天城内/歴史の奉天奉天満人商売往来/短い春から明朗な初夏へ

「伸びゆく奉天

  • 内容
    • 軍事的政治的地位を新京に譲り経済・交通・教育の中心地となった奉天を紹介する記事。奉天は以下の3区画から成り立っている。即ち、満鉄附属地、各国人の居留地である商埠地、満人の集団する城内である。1934年末の人口が48万2931人なので、人口数からいっても満洲最大の都会。奉天は地理的特性に恵まれ遼河上流の渾川に潤された沃野の中心に位置し、後背地が農、牧、鉱山が盛んな経済的条件を持つ。渤海から城市が置かれ、元・明・清と満洲の政治的根拠地。清朝の北京遷都前2代の都であったし、張作霖軍閥の居城でもあった。奉天会戦満洲事変も起こっている。

「郊外に膨張する大奉天

  • 内容
    • 満洲国の首都移転により純粋な経済都市となった奉天の工業の紹介。満鉄線の西側一帯に工場が相次いで進出しているので、一大工業陣になるであろうという予測。奉天にある工業会社は以下の通り。同和自動車、満洲工廠、日満皮革、奉天石灰セメント、日満亜麻紡織、奉天製麻、満洲毛織、南満製糖、満洲ビール、東亜煙草会社など。住宅建設は主として南方の渾川流域に向けて膨張している。
  • 各種キャプション
    • 鉄西工業地区(A)、鉄西工業地区(B)、鉄西工業地区(C)、忙しい建築工事

「繁盛する奉天駅頭」

  • 内容
    • 6方向に向けて放射される鉄道網の中心地として躍動する奉天の紹介。連京線の重要駅で特急「アジア」に乗れば、大連まで4時間47分、新京まで3時間38分。安東で朝鮮鉄道と連絡する安奉線・撫順炭礦線・山海関で支那の北寧線と接続し北平まで繋がる奉山線・吉林に通ずる奉吉線の起点となっている。朝鮮の釜山と奉天の間には1日4回直通便があり、毎日1回奉天北平直通列車が運行している。
    • また奉天から新京、大連、錦州、山海関に定期航空路が開け、月曜以外毎日日満連絡旅客機の便がある。
    • 駅頭には支那式の人力車、ロシア式の馬車、露人の運転手に満人の女車掌の黄バス・青バスなどの奉天名物もある。
  • 各種キャプション
    • 「駅構内」、「殺到する満人乗客」、「奉天駅の駅標」、「出口に居並んだ支那宿の客引」、「駅前に待機する人力車」、「奉天貨物駅前」、「奉天駅ホーム」

「満鉄経営の奉天鉄道附属地」

  • 内容
    • 満鉄附属地の紹介。奉天の附属地は鉄道用地と市街地からなり面積約490万坪の矩形の地域。満鉄の線路を境にして東は市街地、西は工業地に大別されている。治安は日本警察が維持、土木・衛生・教育などは満鉄が行う。満鉄奉天事務所、満洲国鉄路総局、日本の銀行、会社等も附属地に置かれ満洲医科大学、中学校、女学校も置かれる。国際運動場、公園、図書館、病院などの設備も完備。
  • 各種キャプション
    • 「平安広場」、「露人菓子店」、「日本喫茶店の給仕」、「商店街夜景」、「春日公園入口」、「附属地市街」

「外人の居留する奉天商埠地」

  • 内容
    • 附属地と城内にあるのが各外国商人の居住、営業に資するために設置された商埠地。疎開の感がある。英米独仏伊蘇の各領事館があり異国情緒が漂う。
  • 各種キャプション
    • 「商埠地の朝」、「商埠地・南市場附近」、「外人商店」、「電影院内部」、「露人喫茶店

奉天城内」

  • 内容
    • 満人が多く居住する奉天城内の解説。清朝故宮殿を中心とした方形の内城とその外側を取り囲む不正楕円形の土壁の外城に包括された範囲を城内と呼ぶ。約300年以上前ヌルハチが修築した城で満洲中最大の城市。城内の宮殿ではヌルハチホンタイジが19年居住した。城内には奉天省公署、奉天市政公署等の官庁があり、旧張学良の邸宅は現在満洲国立図書館に当てられ、宮殿の一部は故宮博物館となっている。有名な四庫全書も故宮内の文溯閣に保存されている。
  • 各種キャプション
    • 奉天省公署」、「奉天市政公署」、「商店街(A)」、「商店街(B)」、「城壁と商店街」

「歴史の奉天

  • 内容
    • 奉天の歴史の紹介。古来より軍事政治上の要地。近くは300年前に興った清朝ヌルハチホンタイジが遼陽から遷都後19年間奉天に都した。3代順治帝は北京に入城したが、その後も陪都とした。奉天は古い歴史を持つので史蹟が豊富であり特に清朝のものが現存する。故宮殿は勿論のこと、ヌルハチを祀った福陵(東陵)、ホンタイジを祀った昭陵(北陵)、喇嘛の黄寺、都城鎮護のための東西南北の四塔等。清朝の正統たる満洲国皇帝の登極によって、瀋陽県の古蹟天然記念物が指定された。
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奉天満人商売往来」

  • 内容
    • 張学良の専制支配から解放され活気にあふれる満人たちの様子の紹介。
  • 各種キャプション
    • 「古帽子屋」、「靴屋」、「靴修理」、「荷車屋」、「チンドン屋」、「大道易社」、「古着屋」、「商駅」、「毛皮屋の店頭」、「露天市」

「短い春から明朗な初夏へ」

  • 内容
    • 満洲の短い春を紹介する記事。短い期間に花がどつと一時に目を吹く。この絶好のシーズンを利用して満洲の村々では薬王廟、娘々廟、火神廟、老翁廟の祭礼が相次いで行われ、大連あたりでは、満鉄の運動会や日満少女の五月祭が催される。5月中旬になればもう初夏である。
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    • 「林檎の花」、「ねぢあやめ」、「五月まつり(大連)」、「春の五月の満鉄運動会(大連)」

満洲グラフ』第3巻第4号(12号) 昭和10(1935)年7月1日発行

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  • 収録内容
    • 左様なら満洲/退職金を受け取る人々/国境を越えて赤い祖国へ/満洲耶馬渓 安奉沿線の景観/安奉沿線 伝説の平頂山/絶勝“釣魚台„/鉄と鋼の“鞍山„/鉄鋼一貫作業開始‼/奉天国立博物館満洲近事

「左様なら満洲

  • 内容
    • 3月23日の北鉄譲渡と共に退職した露人職員の帰国を紹介する記事。5月19日午後5時ハルビン駅発の特別列車でルーデイ(原文ママ)旧北鉄管理局長以下幹部幹部と家族の引き揚げを皮切りに続々本国への帰還が開始された。
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    • 「ルデーイ局長送別の乾杯(ハルビン駅食堂)」、「見送られる人々」、「帰還する旧北鉄管理局長ルデーイ氏と見送りの人々」

「退職金を受け取る人々」

  • 内容
    • 北鉄譲渡後に退職する職員たちが退職金を受給する記事。蘇連国籍の赤系職員とその家族は必ず本国に帰国しなければならない。五族協和満洲から国情の変わった赤色祖国に帰ることに対して職員は憂鬱そうであると叙述している。
  • 各種キャプション
    • 「本国帰還を前に-憂鬱な旧北鉄員」、「蘇連人帰還輸送委員会事務所」、「退職金受領口」、「支那列車と中間駅員」、「曇つた顔・退職金受取の群」

「国境を越えて赤い祖国へ」

  • 内容
    • 旧北鉄社員の引揚げ状況を報じる記事。終生蘇連に帰れない白系露人との別れなどが駅頭で展開され別離の情を誘う。物資不足の本国のことを聞き、退職金凡てを投じ家財を整えていく人もいる。
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    • 「貨物列車に乗つて」、「引揚の彼氏」、「帰へる彼女」、「暗ひ語らひ」、「町の散歩も今日限り-ハルビン・キタイスカヤ街」、「引揚列車・濱洲線札蘭屯駅にて」

満洲耶馬渓 安奉沿線の景観」

  • 内容
    • 鴨緑江節で名高い鮮満国境の安東と奉天を繋ぐ安奉線の沿線を紹介する記事。安奉線沿線は景勝に富んでいるため満洲耶馬渓と言われる。旅行者は五龍背、高麗山、鳳凰山、平頂山などの連峰に目を見張る。唐太宗の高句麗遠征の史蹟や高麗城址・古廟などの旧跡や、日清日露の戦跡が多い。安東から汽車で30分の五龍背温泉は唐太宗の高句麗遠征の時から知られる温泉場。満鉄線中の三温泉の一として満鉄直営の温泉宿があり、三温泉中随一の絶景。
  • 各種キャプション

「安奉沿線 伝説の平頂山」

  • 内容
    • 山頂山における李五将軍の伝説を紹介する記事。李五将軍はよからぬ目的を抱いて偶々平頂山のほとりまで来たが、急に悟りを開き、一切を棄てて山腹に一草庵を結んだ。これが李武寺の起源。李将軍は死期を悟った際、遼陽の町から財宝と穀物の入った壷をかついで平頂山の頂上まで登った。この甕のうち穀物が入っていたという壷は現在も平頂山の頂上に残っている。
  • 各種キャプション
    • 「平頂山」、「李五の洞窟」、「伝説の大壷」、「伝説を語る古老(平頂山の龍眼)」

「絶勝“釣魚台„」

  • 内容
    • 安奉線沿線の中でも、鳳凰の名山と釣魚台の清潭が特に秀でていることを紹介する記事。
  • 各種キャプション
    • 「釣魚台風景」、「漁人」

「鉄と鋼の“鞍山„」

  • 内容
    • 鉄鉱山で有名な鞍山と昭和製鋼所の起源を紹介する記事。鞍山の鉱山が日本人に発見されたのは、明治42年8月。満鉄は大正6年5月に鞍山製鉄所を設立し、大正8年4月に製鉄操業を開始した。しかし鞍山一帯の鉄鉱が大部分40%以下の貧鉱であるという採算上の一大難関に当面。貧鉱処理の問題は死活問題であったが、大正11年に至り、鞍山独特の貧鉱処理方法が発見され、危機を脱し、昭和7年の銑鉄生産高は30万トンに上った。
    • 満洲国建国後、経済開発と国防の充実が求められ、満鉄会社は昭和8年6月1日に鞍山製鉄所の設備一切を昭和製鋼所に譲渡。昭和製鋼所により鉄鋼一貫作業が実施されるに至った。
  • 各種キャプション
    • 「昭和製鋼所社屋」、「伍堂製鋼所長」、「鞍山の昭和製鋼所」、「満鉄総裁の祝辞朗読」、「鉄鋼一貫作業開始記念祝賀会」、「鉄都・鞍山市街」

「鉄鋼一貫作業開始‼」

  • 内容
    • 日満両国の鉄鋼自給国策の最前線を承る昭和製鋼所の紹介。日本の鉄鉱埋蔵量は約5千万トンであり、日本の使用鉄鉱の80%は支那や南洋に仰いでいる状態。しかし満洲の昭和製鋼所は半径18キロ内外の鉄区に埋蔵する鉄鉱だけでも約6億トンもある。豊富な鉄区に加え、石炭の大産地撫順、石灰石の原産地廿井子、輸出港営口・大連という地の利にも恵まれている。
  • 各種キャプション
    • 「平炉から出る鎔鋼」、「骸炭工場」、「製鋼工場の一部」、「鉄鉱の山」、「大狐山採鉱所」、「鎔鉱炉」、「鋳銑作業」

奉天国立博物館

  • 内容
    • 1935年6月1日、奉天省商埠地に開館した奉天国立博物館を紹介する記事。総数1千数百点の中でも特に代表的なものは、熱河出土の契丹文字墓誌銘、古陶をはじめ刻絲、景泰藍である。博物館は22室にそれぞれ出品物別に分けられている。
  • 各種キャプション
    • 「刻絲の無量寿尊仏」、「硃漆金花彫龍の濱座(乾隆帝時代)」、「景泰藍製ラマ式五座塔」、「持箕女坐像(六朝時代の埴輪)」、「シャーマン教の祭服(乾隆時代)」、「陶製の獅子像(乾隆時代)」、「国立博物館全景」、「遼代鶏冠壷」、「護法仏(乾隆時代・銅鍍製)」

満洲近事

  • 1「林満鉄総裁の巡視」
    • 「林満鉄総裁は、接収後の広軌線(旧北鉄)全線を巡視し5月20日帰任した。」
  • 2「満鉄本社訪問の林陸相
    • 満洲国の現地視察の用務を帯びた林陸相は、5月25日大連に上陸、旅順を経て北上した。(写真満鉄本社前に於ける陸相(左)と林総裁)」
  • 3「祭文朗読の田中祭典委員長」
  • 4「旅順戦跡を弔ふ露人僧侶」
    • 「6月7・8・9日の三日間、戦跡旅順に於て日露戦役30周年の記念招魂祭が盛大に執行された。」
  • 5「満洲里に於ける満蒙国境会議に列席の満洲国代表(向つて右より三人目凌隍主席)」
    • 「ハラハの満蒙国境問題商議のため、外蒙代表三名は5月30日午前1時ザバイカル鉄道の列車で満洲里到着、直ちに会議を開始した。」
  • 6「外蒙代表(中央サンポウ主席)」
  • 7「親任式臨場の張首相」
    • 「建国以来3年余、王道政治の実現に努めた鄭孝胥内閣は、5月20日張景恵氏を主班とする新内閣を交迭した。」


満洲グラフ』第3巻第5号(13号) 昭和10(1935)年8月1日発行

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  • 収録内容
    • 大興安嶺/興安の山ふところ/霊泉たぎる聖地 ハロン・アルシヤン/“詩の国„蒙古/蒙古の風俗/LIFE OF THE MONGOLIANS/鄂博(おぼ)の祭/世界的豪華版 御製“盛京賦„/満鉄のローカル流線型 デーゼル列車/満洲国近事

「大興安嶺」

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  • 内容
    • 満洲国北西部にある大興安嶺の紹介。熱河省内の陰山山脈の喀喇山から満洲国の西境に沿って東北上し、興安駅附近で旧北鉄線を横断し、更に北上して黒龍江の上流に出て遠く蘇連領に入る。熱河に近いところは高峻だが、北に伸びるに従って高さは低くなり、高原地帯となる。
  • キャプション
    • 「大興安嶺の山相(ハロン、アルシヤン附近)」

「興安の山ふところ」

  • 内容
    • 興安嶺山脈の中の索倫山地方の紹介。索倫山地方は、全山森林を以て覆われている。目下、洮索線の終点索倫から興安嶺を横断してハロン・アルシヤンに至る鉄道が建設中。索倫、ハロン・アルシヤンでは相当の森林が見られ放牧も行われる。
  • 各種キャプション
    • 「大興安嶺山中の放牧」、「興安嶺の月と測量隊」、「山に住む人」、「山の牧童」、「温泉近し・山中の標識」

「霊泉たぎる聖地 ハロン・アルシヤン」

  • 内容
    • 蒙古の聖地として尊ばれる野天の温泉地ハロン・アルシヤンの紹介。蒙古人は万病に効くというチエンケルという泉に21回入湯する。すると病気のある部分に発疹や斑点が現れるので喇嘛僧の指示を受けいづれかの温泉に入る。「オムマニ、パトモアホン」と呪文を唱え、合唱しながら経文を暗唱しつつ入浴する。
  • 各種キャプション
    • 「皇帝巡遊の記念碑」、「露天の各浴槽」、「廟に平癒を祈願する蒙古人」、「脚の負傷も霊泉で…」、「12人を入れ得る万病泉・チエンケル」、「日・満・露字の禁札」、「露人の入湯者も祈り捧げて」、「全快者の松葉杖供養」、「西蔵語と蒙古語の効能書」、「霊泉を求める蒙古婦人」

「“詩の国„蒙古」

  • 内容
    • 満洲国西部興安四省における蒙古地方の生活について。興安四省には蒙古人60万が住んでおり、生業は牧畜。熱河省奉天省に接した南部の興安西省・南省は漢人化したものも多いが、外蒙古との接壌地帯は依然として放牧をつづける。
  • 各種キャプション
    • 「霊泉を捧げる」、「広原ラマ僧」、「駱駝行く大草原(ダライ湖附近)」

「蒙古の風俗」

  • 内容
    • 蒙古人の風俗紹介。満洲国に住んでゐる蒙古人は、カルカ種、オロト種、ブリヤート種など。カルカ種は興安四省の分布し一番多いが、漢人と同化しつつある。蒙古の風俗がそのまま見られるのは、北部のブリヤート族などの生活。移動のための天幕、子どもから馬を乗りこなすこと、角力好きなどが蒙古人の特色として挙げられている。
  • 各種キャプション
    • 「良家の子女」、「蒙古少年と角力」、「将棋(シツタロ)を楽む蒙古人」、「パオと盛装の蒙古婦人」、「パオの内部と主婦」、「分解自在なパオの骨組み」、「ブリヤードの女」

「LIFE OF THE MONGOLIANS」

  • 内容
    • 蒙古人の家畜および食生活について。家畜は家族でもあり財産。蒙古在来の羊は肉洋種でメリノ種と比べると毛の質量ともに少ない。だが皮は防寒衣として好適。食生活は羊肉と牛乳が食物全部。漢人部落に近いところではモンゴリアムという穀物や麺粉、小麦なども食用とする。上流階級は1日2食であるが、普通は1日1食。夕食をとり、朝大抵お茶に牛乳を入れて飲むだけ。
  • 各種キャプション
    • 「春秋2回の羊の剔毛(ダライ湖附近)」、「モンゴリアムを煎る少女」、「牛乳を搾る」、「野天に牛糞を焚いて」、「牛乳と天日で作つたお菓子(アクヨウド)」、「蒙古の婦人・・ハロン・・アルシヤンにて・・」

「鄂博(おぼ)の祭」

  • 内容
    • 蒙古人の振興祭祀オボの解説。オボとは蒙古地方において、小高い見晴らしのきく様なところに建てられている、石ころや土を盛り上げその上に柳の枯れ枝をさしたもの。
    • オボの祭りは毎年陽春5月頃に行われる。西蔵語や蒙古語の経典を書き付けた色とりどりの旗で彩り、牛や羊の犠牲が供えられ、音楽とともにラマ僧がお経を上げ、旗の王は天地に人民の幸福と家畜の安全を祈願する。余興として大草原で競馬が実施され、角力もあり、大きな馬市が立つ。
  • 各種キャプション
    • 「オボに集る人々」、「犠牲を前に祈祷する司祭者」、「読経するラマ僧」、「その日のオボ」、「参拝者の天幕と幌馬車」

「世界的豪華版 御製“盛京賦„」

  • 内容
    • 乾隆帝が作った長詩「盛京賦」を紹介した記事。当時「盛京賦」は乾隆帝に仕えていたアミョーによって仏訳されヨーロッパで話題となった。ヴォルテールも「盛京賦」に注目し、乾隆帝に教えを乞う書翰を送っている。
  • 各種キャプション
    • 「クラプトロツト著「満洲詞華集」所載の表題」、「リツトン卿一行に贈呈した盛京賦の表紙」、「殿版の御製盛京賦」、「仏訳「盛京賦」の表題」

「満鉄のローカル 流線型 デーゼル列車」

  • 内容
    • 満鉄がローカル線の高速化を計るため製作したデーゼル機関の重油電動客車を紹介する記事。設計製作全て日本人であり、一部を除き殆ど全部国産品で製作したことを強調している。
  • 各種キャプション
    • 「車室内部(前景は二等席)」、「四両永久連結のデーゼル列車」、「デーゼル機関の一部」、「低床式車台と連節台車」

満洲国近事」

  • A「中村・井杉両士の遺骨大連駅着」
    • 満洲事変直前の犠牲者中村・井杉両士の遺骨は、偶然にも四周忌の当日遭難地蘇鄂公府に於て記念碑建立と同時に発見され、夫々遺児中村義君、井杉延寿君に捧持され7月5日大連経由帰国した。」
  • B「赴任の謝駐日大使(熱河丸にて)」
    • 「新任の満洲国初代駐日大使謝介石氏は6月25日大連出帆の熱河丸で海路赴任した。」
  • C「総局慰安列車と満人の奇術」
    • 満洲国鉄を委任経営する鉄路総局では、6月1日から、余興・廉売・施療・食堂車等を連結した慰安列車を、接収直後の広軌線(旧北鉄)各地に派遣、一般住民、軍警、駅員等を巡回慰問してゐる。」


満洲グラフ』第3巻第6号(14号) 昭和10(1935)年9月1日発行

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  • 収録内容 「満支国境 古北口の長城線・多倫のラマ踊り」
    • 国境線“万里長城„/満・支の関門“古北口„/多倫の喇嘛廟/喇嘛の跳鬼 多倫喇嘛廟/ドロンノール(多倫)/“木蘭秋獼„のあと=囲場=/熱河風景 囲場近郊/満洲の鵜飼―吉林松花江―/満洲国近事

「国境線“万里長城„」

  • 内容
    • 満洲国の独立後、満支両国の国境線となっている山海関-独石口間の万里の長城の紹介。特に長城線の重要地域として古北口が挙げられており、軍事上天恵的要害として唐・宋・明時代に民族闘争の修羅場を展開した。昭和8年3月にも日本と中華民国が攻防を展開し、日本が一時的に古北口を占領したが、塘沽停戦協定により昭和9年3月4日に品川に引き渡した。
  • 各種キャプション
    • 「荒廃した長城線」、「潮河に臨む長城」、「轡を並べて行ける城壁」、「古北口附近の長城」

「満・支の関門“古北口„」

  • 内容
    • 北京から120キロ、承徳100からキロにある長城線上の要関古北口の紹介。清朝康熙帝が承徳に熱河離宮避暑山荘を建設して以来、皇帝巡幸の御堂筋にあたる。英国施設マカートニーも熱河離宮にいる乾隆帝に拝謁するため、この関門を通過した。現在の古北口も満支をつなぐ交通経済上の要衝。
  • 各種キャプション
    • 「古北口城の南門」、「長城の正(北)門」、「三国旗翻る古北口市街」、「長城を負ふ古北口の門」

「多倫の喇嘛廟」

  • 内容
    • ラマ廟で有名な多倫を紹介する記事。清朝時代は熱心な宗教行事が行われていたが清朝滅亡とともに断絶。非常な苦境に直面し、廟会も中絶していたが、関東軍に補助された1万円で寺廟を修理し、1935年旧暦6月中旬、十数年ぶりに盛大な廟会が開かれた。
  • 各種キャプション
    • 「ラマの勤行」、「東廟(彙宗寺)」、「西廟(善因寺)」、「ラマ僧の居室」、「ラマ僧の起居する当子房」、「補助金の交付を受ける活仏」、「天女に扮した祭礼のラマ僧」、「活仏奉迎の群集」、「活仏の入場」

「喇嘛の跳鬼 多倫喇嘛廟」

  • 内容
    • 喇嘛教の大法会における異様の扮装をした踊りの紹介。西蔵から伝来した跳鬼の儀式の詳述。また多倫のラマ廟では喇嘛教を圧迫した暴君ランタルマ王と、この暴君を殺した名僧フアーシヤン・ジヤルボの故事に偶した跳鬼を陰暦6月13~15日の3日間盛大に挙行する。娯楽の少ない蒙古人にとってラマの跳鬼は最大の享楽日となっている。
  • 各種キャプション
    • ラマ僧の奏楽」、「骸骨鬼の舞」、「御法神の跳舞」、「ファーシャン、ジャルボ」、「牛魂の悪鬼」、「踊るファーシャン、ジャルボ」

「ドロンノール(多倫)」

  • 内容
    • 多倫は満洲国の熱河省と境を接する行政的には支那だが内蒙古の一部。蒙古人は多倫を「ドロンノール」と言い、蒙古語では「七つの泉」の意味。支那人は多倫のことを「喇嘛廟(ラマミヤオ)」と呼ぶ。従来は交易の中心地であったが、ロシアの東清鉄道の建設により交易の範囲が縮小した。最近では、張家口・圍場・承徳方面に乗合バスが運行し、月2回の定期航空便もある。
  • 各種キャプション
    • 「多倫市街」、「廟会に集つた蒙古の善男善女(1)~(3)」、「運動会場」、「可愛い観衆(支那人の子供)」、「盛装の蒙古婦人(A)~(B)」

「“木蘭秋獼„のあと=囲場=」

  • 内容
    • 承徳の北方120キロの地にあるのが「囲場」。清朝時代は「木蘭囲場」と呼ばれた御料狩場の跡。「木蘭」とは満洲の鹿の狩猟法「哨鹿」のことで、秋分前後が最も好機とされたので、「木蘭秋獼」と言われている。この行事は蒙古王公と意思疎通を計る外民族の慰撫政策であった。
  • 各種キャプション
    • 「木蘭山の朝」、「圍場の土壁」、「圍場の街角」、「圍場全景」、「街頭の招牌」

「熱河風景 囲場近郊」

  • 主な内容
    • 未開である囲場附近の山間に住む人々のスナップ。湯玉麟時代、阿片栽培以外に産業のなかった熱河致富は、商業都市赤峰へ、政治都市承徳へと鉄道建設が進むが、山間部の人々は未開のままであった。
  • 各種キャプション
    • 「少年」、「牛車」、「熱河の山相」、「阿片の原料・罌粟畑」、「農夫」

満洲の鵜飼―吉林松花江―」

  • 内容
    • 松花江に寄り添う旧都吉林における満洲鵜飼の紹介。当初は長良川の鵜飼いを吉林に移そうとしていたが、純満州国産の鵜がいることが判明したので満人鵜匠を吉林に迎えて訓練している。内地の鵜は夜間に活躍するが、満洲の鵜は白昼堂々と活躍する。満洲の京都と呼ばれる吉林で鵜飼が見られることは嬉しいことで将来的には観光資源にもなる。
  • 各種キャプション
    • 松花江吉林附近」、「鵜飼へ!」、「純満州国産の鵜」、「活躍中の鵜群」、「満人鵜匠」

満洲国近事」

  • 「満鉄総裁林伝太郎氏は一身上の都合で辞任したので、8月2日付を以て松岡洋右氏が後任を命ぜられた。」
    • 「新任満鉄総裁・松岡洋右氏」、「社員に袂別の日の林前総裁」
  • 満洲の年降水量は500ミリから700ミリの間で、日本内地の1500ミリ乃至200ミリ以上なのに比べると僅に三分の一に過ぎない。従つて梅雨期といふほどのものもないが、7月から8月初旬にかけて豪雨が多く、年雨量の大半はこの時期に降つてしまふ。殊に、本年は、南満洲太子河渾河が増水して、満鉄線の一部が不通となり、奉天が浸水に脅かされた。」
    • 「山城鎮(奉吉沿線)附近の水害」、「線路の決潰(奉吉線撫順附近)」

満洲グラフ』第3巻第7号(15号) 昭和10(1935)年10月1日発行

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  • 収録内容 「京濱線ゲージ変更・大典観艦式」
    • 大連⇄ハルビン直通成る/勇躍!全線の工場現場へ/進む準備工事/暁のゲージ変更作業/大工事遂に完成す/直通列車開通の日/古きもの新しきもの/ハルビンの秋/大典観艦式御巡狩 哈爾濱に於ける歴史的意義

「大連⇄ハルビン直通成る」

  • 内容
    • 大連-新京間を結んでいた超特急アジアが9月1日からハルビンにも乗り入れるようになったことの紹介。従来ハルビン-新京は北鉄が運営しており、必ず乗り換えをしなければならなかった。北鉄接収後も、レールの軌幅が異なるため、乗り入れは不可能だった。だが、8月22日からゲージ変更の準備作業に入り、8月31日に午前5時から3時間でゲージ変更を完了した。9月1日午前9時に大連、ハルビンを出発した特急アジアはその夜10時半に両駅のホームにそれぞれ着いた。
  • 各種キャプション
    • 「東洋第一の自由港 大連」、「大連-ハルビン間を幕進する満鉄の超特急「アジア」」、「北満の心臓 哈爾濱」

「勇躍!全線の工場現場へ」

  • 内容
    • 京濱線のゲージ幅を満鉄線と同じ幅に狭める工事に着手する満鉄社員たちの様子の紹介。ダイヤを乱さずに作業するため8月22日から線路附近に野営しながら準備を進めた苦難が述べられている。
  • 各種キャプション
    • 「ゲージ変更現場に出動直前の従事員」、「貨車に分乗して前線へ」、「新京駅フオームより列車に乗込まんとする従事員」、「従事員の夜営」、「食事の支度」、「野天の食事」、「朝の点呼」

「進む準備工事」

  • 内容
    • ゲージ変更の準備工事を詳述する記事。枕木やバラス、犬釘について解説されている。また列車増発のため新京・ハルビン両駅とも、フォーム拡張工事や引き込み線の新設などが行われた。総費用約600万円、従事員延べ約35000人。
  • 各種キャプション
    • 「犬釘建込み」、「枕木運搬」、「古枕木取替」、「レール内側の犬釘抜き」、「犬釘建込箇所の墨打」、「狭軌準備全く成つた軌道」、「新京駅内の新引込線作業」、「アジア発着ホームの完成を急ぐハルビン駅」

「暁のゲージ変更作業」

  • 内容
    • ゲージ変更の当日の作業を詳述する記事。満鉄の技術の高さを誇る内容となっている。
  • 各種キャプション
    • 「息もつかせぬ改軌作業」、「早朝の線路切替」、「当時の難工事・第二松花江橋の改軌作業」、「中間駅構内の改軌作業」、「改軌後のゲージ検尺」、「枕木に残る軌条変動の跡」、「道床の搗固め」、「工事完了に挙る凱歌」、「工事完了を告げる現場員」、「現場と連絡をとる工区員」、

「大工事遂に完成す」

  • 内容
    • 旧北鉄南部線が蘇連の生命線であったことを紹介する記事。ソ連は北鉄南部線に高率の運賃を貸すことによって北満の産物を大連ではなくウラジオに集めていた。また日本の北満開発と日本勢力の北上を牽制する役割を果たしていた。念願かなって大連-ハルビン間がつながったが、ハルビン駅で暗殺された伊藤公の霊も改心の微笑をもらしていることであろう。
  • 各種キャプション
    • 「新装成れる改軌線」、「その日のハルビン駅構内」、「国都・新京駅構内」

「直通列車開通の日」

  • 内容
    • 開通した直通列車の様子を紹介する記事。当日は第二松花江鉄橋のレールを超特急アジア機関車が渡れないため、正式の流線形機関車が使用できず、快速を発揮できないレールもあった。それ故、新京・ハルビン間を5時間要し、ハルビン・大連間に13時間かかるが、スピードアップの余地が残されている。直通交通線の完成により、満洲開発の躍進を示した。
  • 各種キャプション
    • 「最後の露式広軌列車」、「第二松花江通過のアジア」、「試運転列車」、「改軌後の初発列車」、「大連ハルビン間直通の「アジア」展望車」、「その日のハルビン駅頭」、「国鉄の第一列車を迎える沿線」

「古きもの新しきもの」

  • 「ロシヤ式の広軌線を、満鉄式のゲージに変更したのに従つて、蘇連から踏襲した従来のロシヤ式諸設備も亦、満鉄式のものに改められたので、ゲージ変更前後の京濱沿線には、古きものと新しきものとが、来る者と去る者の姿を暗示するかの様に、沿線到るところに其の面白い対照を見せてゐる。」
  • 各種キャプション
    • 「新旧信号機(右旧)」、「新旧タブレツト授受機(右新)」、「新旧ポイント標記(左新)」、「旧通票閉塞機・新通票閉塞機」、「ポイント開閉器」、「新信号機梃子」、「速度制限標機」、「旧場内信号機梃子」、「ハルビン構内の旧合図燈」、「新信号機の取付作業」、

ハルビンの秋」

  • 内容
    • ハルビンからスラブ色が褪せてしまったことを伝える記事。北鉄譲渡後に露人従業員は祖国に引き揚げ、帰れない白系露人も天津・上海に去ったものが多い。残ったのは、貧民と小商人。1935年のハルビンの秋はスラブ民族の凋落を見せたので、露人は寂しそうである。
  • 各種キャプション
    • 「流離の老人」、「街頭の乞食婆さん」、「朝の牛乳配達」、「鋪道のベンチ」、「寺院」、「小学生たち」

「大典観艦式御巡狩 哈爾濱に於ける歴史的意義」

  • 内容
    • 1935年9月9日に満洲最初の御大典観艦式が挙行されたことを紹介する記事。皇帝溥儀を乗せた御召艦定辺は、先導艦済民の先導で200メートルおきに一列縦隊に並ぶ旗艦親仁以下順天・養民・大同・利民等を御親閲、さらに御召艦は舳を回して巡航し、利綏・利済・江平・江清・江通・恵民を御親兵遊ばされた。親閲後、投錨し御召艦に参列艦指揮官を参集させ勅語を賜い、于軍政相が奉答申上げた。
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    • 「御召艦に成らせらる皇帝陛下」、「于軍政相(左)と尹観艦式司令官」、「御仮泊所御到着」、「堵列する江防艦隊儀仗兵」、「満洲国軍楽隊」、「ハルビンの奉迎アーチ」、「御召艦・定辺」

満洲グラフ』第3巻第8号(16号) 昭和10(1935)年11月1日発行

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  • 収録内容 「炭都撫順・古都吉林
    • 満洲第一の炭都“撫順„/天然の貯炭場“撫順露天掘„/地下376メートル 撫順坑内掘/石から油を採る オイルシエール工場/重工業の“撫順„/満洲の京都“吉林„/水郷“吉林„/観光の吉林/旧宅と老舗の“吉林

満洲第一の炭都“撫順„」

  • 内容
    • 奉天から東に35キロにある大炭田の開発とともに繁栄した満洲一の炭鉱都市「撫順」を紹介する記事。日露戦後、満鉄線とともに採掘権がロシアから譲渡され明治40年4月に満鉄創業と同時に満鉄の経営に移された。都市撫順の人口構成は炭礦関係者が多く純然たる炭鉱都市と言える。施設としては、満鉄経営の中学校・女学校・工業実習所・病院・ホテル等が完備。奉天へは汽車で1時間、奉天・撫順間にはバスも運転される。
  • 各種キャプション
    • 「附属地中央大街」、「邦人の宿舎街」、「満人街(千金寨)」、「夜の炭鉱 撫順」、「郊外の撫順城」、「炭鉱事務所」、「炭鉱ホテルの庭園」

「天然の貯炭場“撫順露天掘„」

  • 内容
    • 撫順に3つある露天掘りのうち、それらを代表する東洋一の古城子の紹介。露天掘りの採炭法について説明されている。撫順は琥珀も取れることでも有名。
  • 各種キャプション
    • 「露天掘から炭車を捲き上げる」、「爆薬装填のボーリング作業」、「表土を剥ぎるエキスカベーター」、「石炭をダンプカーに積込む電気ショベル」、「スキツプ捲櫓」

「地下376メートル 撫順坑内掘」

  • 内容
    • 撫順炭鉱に露天掘りと並行して存在する6つの坑内掘りについて紹介する記事。坑内掘りの採掘方法が詳述されている。坑内における動力源が電気であることが強調されている。
  • 各種キャプション
    • 「竪坑捲機の櫓」、「坑道」、「電気掘」、「手掘」、「柳製作業帽を被つた満人坑夫たち」、「坑内排水路」、「邦人従業員」、「坑内の運搬路」

「石から油を採る オイルシエール工場」

  • 内容
    • 油母頁岩(オイルシエール)を利用する採油法を紹介する記事。撫順炭層の上部はチョコレート色の「燃ゆる石」、油母頁岩で覆われている。昭和4年12月に製油工場が竣工され同時に作業が開始された。露天掘りの際に剥ぎ取らねばならない廃物を専ら原料として使用している。製油工場は日本国および満洲国の燃料問題解決上重要な役割を持っているので、工場能力を拡大すべく昭和8年末来準備が進められている。
  • 各種キャプション
    • 「製油工場全景」、「破砕場に運ばれたオイルシエール砿」、「乾餾筒」、「発生炉」、「油となつて採油機から分離槽へ」、「原油と分離槽」、「重油タンクと輸送用のタンク車」、「製油工場に附随する硫酸工場」、「重油タンク」

「重工業の“撫順„/満洲の京都“吉林„」

  • 内容
    • 発電所及び各種工場の紹介。撫順の発電所は「満洲の太陽」と呼ばれ、南満洲の重要都市への送電元である。発電方法は撫順炭による火力発電。昭和9年度において昭和製鋼所と奉天工業地区の電力需要に応じるため50サイクル計5万キロワットの発電機を増設した。オイルシエールを利用する撫順セメント会社、モンド瓦斯工場、硫酸工場、骸炭工場、酸素水素工場などがあり、工業都市奉天と鉄の都鞍山の昭和製鋼所等と呼応して満洲州工業の為に気炎を吐いている。
  • 各種キャプション
    • 発電所内部(A)~(C)」、」「発電所と冷却塔」、「モンドガス工場を望む」、「オイルシエール利用の撫順セメント会社」、「原料オイルシエール砿卸場」、「生産されたセメント」

満洲の京都“吉林„」

  • 内容
    • 満洲の京都」の二つ名を持つ落ち着いた優雅な古都吉林の紹介。平野が大部分を占める満洲で山あり、川あり、森ありと山紫水明を見せる。明代から清代にかけては水軍の根拠地となり松花江沿岸の軍事政治的都市として経営されてきた。吉林省公署の所在地で1935年9月15日から満洲国の鉄路総局が新京から移された。新京から東に128キロ、汽車で3時間なので、都人士の来遊する者が多い。
  • 各種キャプション

「水郷“吉林„」

  • 内容
    • 吉林周辺の松花江に関する紹介。古都「吉林」の風光の美は松花江に負う所が多い。上流への探勝や江上の鵜飼は有名。だが水郷吉林だけでなく、軍事的経済的にも生命線をなす。松花江は満蘇国境線をなす黒龍江の支流。全長2000キロの大河。源流から595キロ地点が吉林で、吉林から下流ハルビンまで637キロ、ハルビンから黒龍江本流までが695キロ、都合1332キロもあるので、吉林松花江の最上流に位置する。吉林より上流は急流で浅瀬なので汽船は吉林どまり。それより上流へは筏か地方独特の平底船が各支流河口の埠頭から吉林まで薪・枯れ枝・石炭・農産物を輸送してくる。吉林の上流は原始林地帯が多いので、冬の結氷期に切り出された木材が解氷期と同時に筏に組まれて吉林に下ってくる。松花江からは鯉・鯰・白魚・鱒・スツポン・川真珠等を産する。
  • 各種キャプション
    • 松花江風景・吉林附近」、「二艘の独木舟を一つにした川舟」、「松花江でとれた鯉・鮒・鯰・スツポン」、「:下る大筏」、「筏の上の仮住居」、「松花江風景・吉林附近」、「:下る筏」、「筏の上の仮住居」、「筏の上の一膳飯屋」、「吉林に集つた筏の群」

「観光の吉林

  • 内容
    • 他の平坦な満洲の土地と対照的に美しい地域吉林の街の紹介。森林地帯、小川、渓谷などの自然環境に恵まれている。
  • 各種キャプション
    • 「小白山の神鹿」、「小白山沿道」、「山神廟」、「北山」、「娘々廟」、「北山麓」、「回々教寺院」、「孔子廟」、「天主教寺院」、「団子山頂上」、「龍漂山」、「遊園地北山スナツプ」

「旧宅と老舗の“吉林„」

  • 内容
    • 古都吉林の市街の雰囲気の紹介。吉林は古来より商工都市ではなく、軍事政治都市であった。そのため清朝譜代の満洲旗人官吏の旧宅などが多い。町には老舗が多い。吉林附近は満洲旗人の生活保障のため漢人流入を禁じていたため、原始林が近在にあり野生人参などの貴重な草根木皮の薬材が多量に産し、薬店の店頭を賑わす。
  • 各種キャプション
    • 「照壁」、「照壁の屋根飾」、「旧家の二門」、「近代化された室内」、「旧家の屋根飾」、「薬舗」、「膏薬と原料」、「時価600円の野生人参」、「名薬・鹿の袋角」、「不老長寿の貴薬」


満洲グラフ』第3巻第9号(17号) 昭和10(1935)年12月1日発行

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  • 収録内容 「蒙古の怪奇・ラマ教、佳木斯に延びる新線」
    • “曠原の龍宮„葛根廟/勤行の朝/新線-寧佳線・林密線/喇嘛街と生活/葬送の曲 ラマ僧の葬儀/曠野に葬る/怪奇!喇嘛の殿堂/進む新線建設 寧佳・林密線工事/越境者の群

「“曠原の龍宮„葛根廟」

  • 内容
    • 満洲国有数の広原のラマ寺院:葛根廟の紹介記事。葛根廟は8つの寺から成り、その両翼に1千人入れる土造の僧房三百余戸を連ね、女人禁制の宗教的一市街をなす。旧哲里木盟十旗の総本山として、附近蒙古人の尊信の的。
  • 各種キャプション
    • 「龍山を負ふ葛根廟の正面」、「唱号を記した廟屋上の金塔」、「葛根廟全景」、「本山「梵通寺」」、「廟の内庭」、「廟両翼に連る僧房」

「勤行の朝」

  • 内容
    • ラマ僧の朝の勤行を紹介する記事。ラマ僧たちは平服の上に赤色25条の袈裟をまとい、仏壇を横に見て向かい合って坐し、一人の提調の僧に和して大音声に読経する。市況の中途で役僧が水筒に粥を入れたものを持ってくるのでラマ僧たちは無言のまま懐から木の椀を取り出して粥の配給を受ける。幽玄な太鼓、喇叭、銅鑼等の音楽につれて読経する勤行の光景は誠に怪奇。
  • 各種キャプション
    • 「呼集の法螺貝を吹く」、「草原の黎明」、「勤行を監視する老僧」、「本堂内の読経」、「読経中の朝食」、「経読の奏楽」、「三々五々本堂へ」

「新線-寧佳線・林密線」

  • 内容
    • 牡丹江(寧北)から松花江及びウスリー江へ向かう2本の鉄道新線建設を紹介する記事。松花江へは牡丹江(寧北)と佳木斯を繋ぐ寧佳線の建設が行われている。またウスリー江へは寧佳線の中間駅林口から東に分岐し密山へと繋ぐ林密線の建設が行われている。寧佳線・林密線は牡丹江(寧北)で図寧線と連絡し、北鮮の海港羅津と結ばれ、日本海の海運を通して日本と結ばれるようになった。佳木斯は三江省公署所在地であり、拓務省移民の入植地で屯墾隊の移住地として有名。沿線は肥沃な地帯であり農業に有望なばかりでな炭田も発見され、北満第一の炭鉱地として嘱望されている。
  • 各種キャプション
    • 「寧北(牡丹江)駅舎」、「林口」、「勃利」、「佳木斯(忠霊塔・松花江岸)」、「密山 駅構内」、虎林街」、「虎林(ウスリー江岸)」

「喇嘛街と生活」

  • 内容
    • ラマ廟を中心に形成されるラマ街について。ラマ廟には僧の起居する僧房が付属し一市街を形成しているため漢人はラマ街と呼ぶ。廟全体は活仏のもとに自治がなされ、各事務の担当者は下級のラマ僧を使役して廟務を処理する。廟務と関係のない者は、経典の暗唱、数珠造り、托鉢、巡礼、信徒の家での読経、看経念仏、無言の行などをする。僧の生活は廟の財産である牧畜と旗民の喜捨によって維持される。廟の南3キロを洮索線が通る。
  • 各種キャプション
    • 「ラマ廟(A)(B)」、「蒙古字の列車注意標(洮索線沿道)」、「或る日の老僧」、「廟の牧羊」

「葬送の曲 ラマ僧の葬儀」

  • 内容
    • ラマ僧の司祭の葬儀について。喪に服した後、棺の中に入れ、埋葬地に向かう。
  • 各種キャプション
    • 「棺を運ぶ葬送の曲」、「早暁の荒野を行く葬列」

「曠野に葬る」

  • 内容
    • ラマ僧の遺骸の処理について。遺骸は木乃伊、出身地へ送る、火葬後に遺骨を寺に納める、山野に放棄して鳥獣の食すに委す、埋葬するなど多様な方法がある。
  • 各種キャプション
    • 「活仏代表の一行」、「活仏の墓に告げる」、「僚僧の読経」、「荒野に葬る」

「怪奇!喇嘛の殿堂」

  • 内容
    • 蒙古地方の信仰について。蒙古地方では長男を除く兄弟の中から一人選んでラマ廟に送る。この小僧を「沙彌(シエビー)」と呼び、一人前になるまで一族で支援する。こうして沙漠無辺の蒙古草原に金色燦然のラマ廟を造り上げた。高原民族は宗教心が強いので、蒙古人にとってラマ教の信仰は生命。チベットラマ教は紅教(旧教)で、蒙古のラマ教は黄教(新教)。ラマとは「無上」の意味。仏教の純教と大差ないが、邪教も混じっており、山川湖沼を崇拝し、異業醜態の仏像を祀る。怪奇な色彩を持つ。
  • 各種キャプション
    • 「13歳の化身仏」、「活仏」、「大喇嘛」、「喇嘛僧」、「沙彌」、「仏像(梵通寺)」、「広覚寺の山門」、「壁画の一部(広覚寺)」、「梵通寺に祀られた、中村、井杉両士の霊位」、「ミイラ仏」

「進む新線建設 寧佳・林密線工事」

  • 内容
    • 寧佳線と林密線の建設工事の写真が掲載されてる。上記「新線-寧佳線・林密線」の記事はページ的に飛んでしまっているのではないか?
    • 各種キャプション
    • 「虎山駅附近(寧佳線)」、「九龍河鉄橋工事(寧佳線)」、「通天附近(寧佳線)の土工」、「仏嶺隧道工事(寧佳線)」、「林口駅信号所(林密線分岐点)」、「麻山附近(林密線)の新線工事」、「密山附近(林密線)の土盛工事」

「越境者の群」

  • 内容
    • 満洲国東部ウスリー江周辺の国境において共産蘇連から逃げて満洲国に入植した鮮人たちについて。蘇連を貶め、満洲国を賛美する記述となっている。蘇連蔑視の叙述は以下の通り。「固く門戸を閉した共産の国」、「入る者を拒み去る者を追ふ監視酷しい蘇連」、「冷徹のやうな共産の掟」。一方で、満洲国は「門戸開放の王道国」、「民族協和を叫ぶ王道の理想郷が、川の彼方に雄々しく成長していく」などと賛美されている。それはともかく、密入国なのではないだろうか?
  • 各種キャプション
    • 「満・蘇国境・虎林附近」、「国道を行く越境者」、「越境者の群れ(ロシヤ化された服装を見よ)」