雑録

満洲国観光・先行研究精読(1)「先行研究の論点」

研究進捗状況報告でボロクソだったので、先行研究を読み返し、論点をまとめなおすことにした。
論文の基本は「先行研究分析→リサーチクエスチョン→史料を用いて論証→結論」。
先行研究の問題点を抽出し、リサーチクエスチョンを見直す。

以下年代順まとめ。

川村湊『異郷の昭和文学-「満州」と近代日本-』(岩波新書、1990)

  • 満洲をめぐって日本の文学者たちが、何を感じ、何を考え、そうしてそれらのことをどんな風に表現したかということをたどろうとしたもの」。
  • 満洲に関する文学者を以下の3つに分類している。一つ目が「満州を旅行し、その印象や感想を取材したことがらを紀行や創作として発表した一群の文学者たち」、二つ目が、「満州に移住し、居住者として生活しながら文学に携わった人々」、三つめが「満州に生まれ、育ち、そして戦中、戦後において日本列島に引き揚げて来た人々、およびその家族」である。
  • 「多くの満州案内記、旅行記、見聞記が流布したのは、エキゾチックな満州」であるとし、「そこには政治、文化、言語の角逐と葛藤の場としての植民地という本質を見定めることがすっぽりと抜けている」と分析している。

ルイーズ・ヤング/加藤陽子ほか訳『総動員帝国-満洲と戦時帝国主義の文化-』(岩波書店、2001年)

  • 満洲旅行ブーム」という項目で、「日本人による観光旅行は、長期にわたって日本帝国主義の文化的側面をになった」ことを主張(154頁)。観光が、満洲の旅行施設の異国情緒や贅沢さ、そして超近代性といったものに結びつけられたと指摘している。
  • 高額にも関わらず多くの人々が満洲旅行に参加できた手段として、旅行倶楽部への加盟とその会費積み立て、経済使節団や研修ツアーへの参加、割引を利用した学生旅行を挙げている。1939年のJTBのツアーでは1万4141人が渡満したとしている。
  • 文化人の活動がきわめて高い社会的評価を満洲国に与え、帝国の文化的優位性を示す記号となったと分析、満洲国は日本の国内消費向けにパッケージ化され、ユートピア都市満洲というイメージが普及したと結論づけている。

高媛「「楽土」を走る観光バス−1930年代の「満洲」都市と帝国のドラマトゥルギー−」(『岩波講座近代日本の文化史6』岩波書店、2002年、pp.215-253)

  • 「1930年代から「満洲」(現中国東北部、以下括弧省略)の六大都市で開花した日本語の観光バスを題材に、内地客/在満邦人/ネイティヴ三者が交錯する「接触領域」に注目し、政治的・社会的ヘゲモニーとの重層的なかかわりあいのなかで、「楽土」的都市空間がいかに織りなされ、そこでいかなる帝国のファンタジーが繰り広げられていたかを考察」する論考。
  • 観光バスによって提示される満洲像として、戦跡、近代性、盛り場、歓楽郷を指摘している。日本帝国の植民地観光史を通して、観光そのものが権力関係の強化と権力構造の再生産を行う装置であると結論付けている。

越沢明『満洲国の首都計画』(ちくま学芸文庫、2002年)

  • 満鉄付属地時代の長春満洲国時代の新京の都市形成過程を追う論考。
  • 新京について首都建設を通して満州国という新しい国家の成立を内外に宣伝する政治的効果を狙ったと分析している。また、満洲国の都市建築について、児玉公園の利用者における満人の割合や、官公庁が興亜式で統一されていることを引き合いにだし、原住民に一定の配慮をしていることを主張している。

高媛『観光の政治学 : 戦前・戦後における日本人の「満洲」観光 』(東京大学、2005、博士論文)

  • 新しい分析枠組み「代理ホスト」概念を導入し、「観光地としての満洲はどう表現されてきたか」を考察し、「満洲観光を取り巻く政策、制度の変動を歴史的に跡付け」、「満洲ツーリストたちのまなざしを再現」する方法で、「観光を取り巻く政治」と「観光の生み出す政治」を明らかにすることを目的としている。
  • しかしながら、満洲国建国後における満洲ツーリストのまなざしについては、早大学生の旅行記一事例のみであり、観光地としての満洲の表現についても観光バスによる満洲像の提示を中心とするものである。

貴志俊彦満洲国のビジュアル・メディア』(吉川弘文館、2010年)

  • 満洲国がみずからの存在を、どのようなものとして国の内外に認知させようとしたのかを、その企画と弘報政策に深くかかわった日本人が描いた/描こうとした満洲あるいは満洲国イメージから検証する。
  • 満洲国を認知させようとした日本側の主体として、半官半民のJTB、満鉄の鮮満案内所、関東軍の特殊指令で設置された満洲事情案内所の成立過程を分析。また満洲国側の観光国策について、満洲総務庁情報処(のち弘報処)に属する観光委員会が1937年に設置され、その下で観光連盟が各地の観光協会を組織化したことで実体化したことを指摘。パンフレットや雑誌の発行、演芸・行事・展覧会の開催、現地指導や満洲事情案内所の監理、放送、対外宣伝、満洲観光連盟の指導が行われたことを紹介している。
  • 弘報の目的は、満洲国の住民に対しては宣伝あるいは宣撫、日本人に対しては満洲国に対する認識の向上、海外に対しては満洲国の承認であり、満洲国のイメージは作られた虚像であったと結論づけている。

ケネス・ルオフ/木村剛久訳『紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム』(朝日新聞出版、2010年)

  • 第5章の「満洲聖地観光」で満洲旅行を4つの機能から分析している。一番重要なのが「戦跡」の機能で、「満洲で日本が特殊権益を有するのは、日本が戦場で大きな犠牲を払ったからだという考え方」を具現化するためであったと指摘。二番目は「近代化」であり、「後進地域に近代化をもたらした日本の役割」を強調する手段として、首都新京(現長春)の新建築をはじめ、鞍山の製鉄所、撫順の炭鉱、吉林から30キロほど上流の松花江で建設中のダムが観光資源とされていたことを挙げている。三つ目が「現地住民の後進性」であり、「満洲に住む現地住民の集団が遅れた状態に置かれていること」を見せることで、日本が満洲に恩恵をもたらした存在であったことを示したと考察している。最後の四番目が「アジアの先導者」の機能であり、「日本人がアジア文明の保護者たらんとして、現地の歴史遺産の保護に努めてい」たと分析している。
  • 日本人は満洲の戦跡を聖地として創出したと述べ、「史跡観光は政治的な活動」であり、「満洲聖地観光が政治的な意味合いを含んでいたことは明らか」と結論づけている。

千住一「日本統治下台湾・朝鮮・満州における観光に関する研究動向」(『奈良県立大学研究季報』、22(2)、2012、83-96頁)

  • 日本帝国の植民地観光に関するサーベイ論文。先行研究を整理し、問題点を指摘している。その問題点は以下の通り。
    • 「内地と植民地を結ぶ船舶あるいは航空への言及」の必要性
    • 「宿泊業や旅行斡旋業についての考察が不足」
    • 「交通業者以外が作成したメディアや紙媒体以外のメディアへの着目」の必要性
    • 「修学旅行や新聞社による取り組み以外での」その他の組織の団体旅行
    • 「内地から植民地へという人流」以外の人の移動
    • 「観光経験者に対する聞き取り調査」の必要性を挙げている。

大出尚子『「満洲国」博物館事業の研究』(汲古書院、2014)

  • 満洲国立中央博物館の新京本館と奉天分館に関する論考。
  • 人文系を扱う奉天分館と自然系を扱う新京本館に分かれる。奉天分館は考古資料の発掘と展示により、中国とは異なる満洲国の一貫した歴史像を提示しようとしたのに対し、新京本館は民族協和の思想を具現化するため、「原始民俗品」を展示し、少数民族の生活に着目していたと主張している。

米家泰作「近代日本における植民地旅行記の基礎的研究 : 鮮満旅行記にみるツーリズム空間」(京都大學文學部研究紀要、2014、53、319-364頁)

  • 鮮満ツーリズムのなかで日本人が残した旅行記に着目。175点の旅行記の分析を通して、旅行の目的や形態、訪問地など、ツーリズム空間の広がりを考察している。それらの全体的な傾向を明らかにする作業を通じて、旅行主体や時期によるツーリズム空間の差異や特徴を示そうとしている。

ラク=クシュナー/井形彬訳『思想戦 大日本帝国プロパガンダ』(明石書店、2016)

  • 戦時下の日本社会が戦争目的を下支えしていたことと日本の一般大衆が戦争の積極的な参加者であったことを主張する。
  • 満洲観光も一種のプロパガンダであったと分析し、国内世論を形成するための効果があったことや、新京を未来都市として描くことで日本が東アジアにもたらす近代性を内外に示そうとしていたと指摘する。