【日本史】政治史人物整理 憲政の常道と金融・昭和恐慌によるその崩壊(1924.6~1932.5)

日本では内閣制度の成立が1885年、帝国議会の始まりは1890年。帝国議会の役割は予算と法律であり、内閣は超然主義をとったため議院内閣制ではなかった。だが第二次護憲運動による清浦圭吾内閣の崩壊を契機に、衆院で多数の議席を占める政党が内閣を構成する慣例が始まる。これを憲政の常道と呼ぶが、議院内閣制が確立されたわけでもなく、5.15事件で犬養毅が暗殺されると、戦前期における日本の政党政治は幕を閉じた。

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1.普選の実現

(1)第一次加藤高明内閣(1924.6-1925.8)

(2)第二次加藤高明内閣(1925.8-1926.1)

  • ☆憲政会と立憲政友会の対立により、1925年8月に憲政会単独で組閣するも、加藤は26年1月に病没。

2.金融恐慌

(1)第一次若槻礼次郎内閣(1926.1-1927.4)

  • ①組閣
  • 外交政策
    • 蒋介石の北伐開始(1926.7)に対して協調外交(幣原外交)で不干渉政策→大陸進出派不満
  • 大正天皇死去(1926.12.25)
  • ④金融恐慌の発生(1927.3)
    • a.背景
      • 慢性的な不況…戦後恐慌・震災恐慌の不況と不良債権を一時的な特別融資で凌いできたため、企業の生産の効率化には向かわなかった → 不良債権を処理する必要性
    • b.震災手形処理問題
      • 日本銀行は各銀行に対し4億3082万円の特別融資を行っていたが、1926年12月末で2億680万円が未決済だった。
    • c.取付け騒ぎ
      • 震災手形を処理するための法案を審議中、片岡直温(ナオハル)蔵相が事実に反し「渡辺銀行が破綻した」と失言→震災手形を抱えた銀行の経営状態悪化が暴露される→預金引き出しが殺到(取付け騒ぎ)→さらに議会では台湾銀行の経営問題が明らかになる。
    • d.台湾銀行救済問題
      • 融資先の鈴木商店が破産したため債権を回収できなくなった台湾銀行は、破産の危機 → 恐慌の拡大を恐れる若槻政権は、法案による救済は無理だと考え「緊急勅令」による救済を試行 → しかし協調外交をとる政府に不満を持つ枢密院は勅令を否決 → 若槻内閣総辞職台湾銀行休業、金融恐慌の波が他の銀行にも広がる。

(2)田中義一内閣(1927.4-1929.7)

3.昭和恐慌と満州事変

(1)浜口雄幸内閣(1929.7-1931.4)

  • ①組閣
  • ②井上財政
    • 1)日本経済の現状
      • 1920年代の諸恐慌に対して政府は日本銀行券増発による放漫財政。一時的に経済破綻は防がれたが、インフレとなり工業の国際競争力低下 →産業合理化・競争力の低い企業の淘汰が必要
      • 金本位制の停止が続き外国為替相場が下落・動揺・国際収支悪化→金本位制復帰と為替相場安定が必要
    • 2) 緊縮財政・産業合理化
      • デフレ政策で物価を引き下げ、経営・産業効率の上昇により製品価格を低下させ、国際競争力の強化を目指す。
    • 3)旧平価で金解禁
      • 当時の為替レートよりも高い旧平価で金解禁。円切り上げにより実質的な円高となり、輸出が減少し、輸入が増加してしまう。この中で輸出を増加させようとすると、物価引下げ・リストラ・賃金カットが必要となる。(※井上蔵相の目的は、生産性の低い企業の淘汰による日本経済の体質改善)
    • 4)世界恐慌
      • 1929年10月24日にNYのウォール街で株の大暴落が起こり、その影響が波及しはじめていたが、政府は1930年1月11日に金解禁実施。
    • 5)昭和恐慌
      • 世界恐慌に金解禁が直面したため、輸出は減少、金が大量流出し通貨供給量が減って物価が低下した。生産は大きく低下し、企業の閉鎖・縮小が相次ぎ、賃下げ・首切りなどの産業合理化が強行され大量の失業者が出た。さらに農業恐慌となり、欠食児童や娘の身売りが続出した。
    • 6)浜口内閣の対応
      • 重要産業統制法で国家権力によるカルテル助成と全産業部門の統制を行う。産業の不安定な状況をカルテルの強化・統制をはかることによって克服しようとした。
  • 統帥権干犯問題
    • ロンドン海軍軍縮条約で補助艦の保有率が海軍軍令部の主張(対英米7割)とは異なり、6.97割の比率で調印されたため政治問題化。(※兵力量は天皇の編成大権。内閣の輔弼事項)
  • ④倒閣
    • 1930年11月末、東京駅で愛国社社員に銃撃された後、容体が悪化し総辞職。
  • cf.国家改造運動
    • ロンドン軍縮、満蒙問題、農村の疲弊など内外の危機をよそに、元老・政党・財閥の支配層は私利私欲・党利党略に耽っているとして、実力行動による打破が目指されるようになった。

(2)第二次若槻礼次郎内閣(1931.4-1931.12)

  • ①組閣
  • ②満蒙進出…昭和恐慌まっただ中であり、満蒙に活路を求める空気が濃くなる。
  • ③倒閣
    • 軍部のクーデター未遂事件(十月事件)、閣内不一致により総辞職。

(3)犬養毅内閣(1931.12-1932.5)

  • ①組閣
  • ②高橋財政
    • 対策
      • 金輸出再禁止で管理通貨制度へ移行 → 円安
      • 赤字国債を発行して経済活性化のため財政支出を増加。
      • 時局匡救事業費を新設し公共事業で農民救済。
    • 効果
      • 合理化を推進していた諸産業は輸出振興
      • 財政膨張で産業界活性化(重化学工業成長)
      • 日本経済は1933年には恐慌を克服!
  • ③テロ
  • 政党政治の終焉
    • 陸軍、政党内閣の継続に強く反対。元老西園寺公望は陸軍の政党内閣反対論を考慮して、穏健派の海軍大将斎藤実を首相に推挙。→「憲政の常道」として8年間続いた政党内閣は終焉した。