1.ドイツ帝国の特徴
2.ビスマルク内政
3.ビスマルク外交
- →ポイントは「フランス孤立化政策」。複雑な同盟関係を結んでビスマルク体制を形成
- ☆イギリスは「光栄ある孤立」を保っていたが、ビスマルクは友好親善関係を結び、仏との接近を防いだ。
- 1873 三帝同盟…独・墺・露でフランスの孤立化をねらって結成!
- ※同盟関係だが露と墺はバルカン半島においてパン=スラヴ主義とパン=ゲルマン主義のもとで激しく対立。
- 1878 ベルリン会議:露土戦争の戦後処理 → ロシアが離反
- 1879 独墺同盟…三帝同盟中断後、プロイセンとオーストリア間で独墺同盟を結成。
- 1881 新三帝同盟
- ビスマルクが再びバルカン問題を調停して復活。
- 1882 三国同盟(~1915)… ドイツ・イタリア・オーストリアで三国同盟を結成。
- 1887 再保障条約 ←新三帝同盟の解消
4.ビスマルク体制
6.ドイツ社会民主党SPDの伸張 ←ヴィルヘルム2世による社会主義者鎮圧法の廃止を契機
- 1848 マルクス&エンゲルス『共産党宣言』
- 1863 全ドイツ労働者協会…ラサール派。プロイセンを中心に大衆的な労働運動の基礎を築く。
- 1869 社会民主労働者党…アイゼナハ派。ベーベルが指導者となり結成された。
- 1875 ドイツ社会主義労働者党…ラサール派とアイゼナハ派が合同。ゴーダ綱領を採択。
- 1878 社会主義者鎮圧法…ドイツ社会主義労働者党が結社禁止となり弾圧を受ける。
- 1890 社会主義者鎮圧法廃止 ⇒ 社会民主党(旧ドイツ社会主義労働者党)が合法化。
- 1891 社会民主党、エルフルト綱領を採択…マルクス主義にもとづいて資本主義を革命によって倒して社会主義を実現する。
- cf.ベルンシュタイン…フェビアン協会の理念を受け、議会主義的な改革路線を唱える。
- 1912 社会民主党、議会第一党となる。