2020-06-20 国民国家形成【3】ロシア ~19世紀ロマノフ朝の展開~ 受験世界史 国民国家形成 ロシア史 19世紀以前のロマノフ朝重要君主 アレクサンドル1世(位1801~25) ナポレオン戦争 (1)ナポレオン戦争 (2)ウィーン会議 ニコライ1世(位1825~55) 東方問題の始まり・クリミア戦争中に死去 (1)即位と同時にデカブリストの乱を起こされる (2) 反動的政治 (3)対外進出 アレクサンドル2世(位1855~81) クリミア戦争の敗北→改革→反動化→暗殺 (1)国内状況 (2)国外状況 アレクサンドル3世(位1881~1894) フランス資本の導入で産業革命 ニコライ2世(位1894~1917) 関連:ロシア史 通史まとめ 19世紀以前のロマノフ朝重要君主 ミハイル=ロマノフ(位1613-45)…モスクワ大公国滅亡後、空位のツァーリに選出されてロマノフ朝を開く ピョートル1世(位1682-1725)…自ら西欧諸国を歴訪して近代化改革を進め、北方戦争でバルト海の覇者となる エリザヴェータ(位1741-62)…マリア=テレジア・ポンパドゥールと三枚のペチコート外交。七年戦争で普フリードリヒ2世と対決 ピョートル3世(位1762)…エリザヴェータの死で即位。フリードリヒ2世に心酔していたので七年戦争中に撤退 エカチェリーナ2世(位1762-96)…夫ピョートル3世を殺害して即位。啓蒙専制君主であったが後に反動化 アレクサンドル1世(位1801~25) ナポレオン戦争 (1)ナポレオン戦争 1805 アウステルリッツの三帝会戦に敗北。 1807 アイラウの戦いに敗北。→ティルジット条約でナポレオンの大陸封鎖令に協力を強制される。 1812 英へ穀物輸出を行ったためナポレオンのモスクワ遠征を受ける→撃退。 1813 ライプチヒの戦いで普・墺と共にナポレオンを撃破。 (2)ウィーン会議 ワルシャワ大公国の大部分を得て、これをポーランド立憲王国とし、ロシア皇帝が王位を兼任。 フィンランド・ベッサラビアを獲得。 キリスト教の友愛の精神に基づく神聖同盟を提唱(イギリス・トルコ・教皇不参加)。 ニコライ1世(位1825~55) 東方問題の始まり・クリミア戦争中に死去 (1)即位と同時にデカブリストの乱を起こされる 皇帝即位に際して、ナポレオン戦争で西欧文明に触れた青年将校らがロシアの後進性を痛感し、憲法制定を目標として乱を起こす。 (2) 反動的政治 七月革命(1830) →ポーランドの独立運動を弾圧 二月革命(1848) →コッシュートらが起こしたハンガリー独立運動で墺の鎮圧軍を援助。 (3)対外進出 ①バルカン方面(東方問題) ギリシア独立戦争(1821-29)…アドリアノープル条約:黒海とボスフォラス・ダーダネルス海峡の自由通行権獲得 第1次エジプト=トルコ戦争(1831-33)…ウンキャル=スケレッシ条約:ボスフォラス・ダーダネルス海峡の独占的な通行権獲得 第2次エジプト=トルコ戦争(1839-40)…海峡協定:ウンキャル=スケレッシ条約破棄→南下政策失敗 クリミア戦(1853-56)…パリ条約:黒海の中立化→南下政策失敗 ②イラン方面 カージャール朝ペルシャとトルコ=マンチャーイ条約(1828)を結び東アルメニアと治外法権を獲得。 ③極東方面 東シベリア総督を設置(1847)※初代総督はムラヴィヨフ。統治権と外交権を与えて領土拡大に努めた 日露和親条約(1855)締結。樺太の共同領有と千島列島の分割を確定。 アレクサンドル2世(位1855~81) クリミア戦争の敗北→改革→反動化→暗殺 (1)国内状況 ①農奴解放令(1861) クリミア戦争に敗北したロシアの近代化政策。原則的に領主制を廃止し、農民の人格的自由を無償で解放。土地に関しては有償とされた。多額の「買い戻し金」が課せられたため、その支払いを保障するため土地は多くの場合、ミール(農村共同体)に引き渡され、農民はミールに縛り付けられた。 不徹底な解放ではあったが、賃金労働者への道が開け、資本主義の基盤が形成された。 ②アレクサンドル2世の反動化(1863)…近代化を目指す自由化は1863年のポーランド反乱を招き、皇帝は反動化した。 ③ナロードニキ運動 ミールという農村共同体にあった相互扶助の伝統に着目し、資本主義を通過しないで、農民を啓蒙することで社会主義を実現しようとする農村工作運動。 「ヴ・ナロード」(人民の中へ)を合言葉にしてインテリゲンツィア(知識階級)は農村に入っていったが、農民の無関心と政府の弾圧で失敗。 革命の展望を失ったナロードニキたちは虚無主義(ニヒリズム)や無政府主義(アナーキズム)に陥り、テロリズム(暴力主義)に走る → アレクサンドル2世を暗殺 (2)国外状況 ①ヨーロッパ関係 1873 ビスマルクの三帝同盟(独墺露)に参加しフランスの孤立化を図るが、1878年のベルリン会議で事実上解消。 ②バルカン進出(東方問題) 露土戦争(1877~1878) 原因:ボスニアヘルツェゴビナにおけるギリシア正教徒の反乱をトルコが鎮圧。ロシアはギリシア正教徒の保護を名目にしてトルコに宣戦。 結果:サン=ステファノ条約でルーマニア・セルビア・モンテネグロが独立・ブルガリアが自治公国化。 展開;英、墺が反発し、普のビスマルクがベルリン会議(1878)を開催。サン=ステファノ条約は破棄された。 ③中国進出 → 東シベリア総督ムラヴィヨフの活躍 アイグン条約(1858)…太平天国の乱に苦しむ清に乗じてアムール川以北を領有 北京条約(1860)…アロー戦争の調停の代償としてウスリー江以東を領有→ウラジオストークに軍港建設 ④日本関係 1875年、樺太・千島交換条約を締結 →樺太を露領、千島を日本領と確定 ⑤中央アジア進出 ウズベク系3ハン国の征服(1868~76) →ブハラ=ハン国・ヒヴァ=ハン国の保護国化、コーカンド=ハン国の併合 イリ条約(1881)…露清間におけるイリ地方での国境を画定 アレクサンドル3世(位1881~1894) フランス資本の導入で産業革命 ①露仏同盟(1891) 1890年にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世から再保障条約の更新を拒否されたことがきっかけとなり、フランスと同盟を結ぶ。1894年には完全な軍事同盟。 ②産業革命の本格化 フランス資本の導入による1891年シベリア鉄道建設を契機に産業革命が本格化。大量の労働者が発生!⇒ロシア革命の伏線。 ニコライ2世(位1894~1917) 日露戦争・第一次世界大戦・ロシア革命勃発(二月革命で退位) 関連:ロシア史 通史まとめ 前近代ロシア史 19世紀ロマノフ朝の展開 帝国主義ロシア ロシア・ドイツの革命と第一次世界大戦の終結 戦間期ソ連の社会主義国家建設 戦後ソ連史