帝国主義フランス ~高利貸帝国主義と第三共和政~

(1)高利貸帝国主義~銀行の資本力

  • ①特徴
    • 対外的要因
      • ビスマルク体制により欧州内での活動を狭められた分、植民地拡大政策を取る。
    • 内政的要因
    • 国民の支持
      • 植民地政策の支持 → 軍部は軍備予算の増額を期待・カトリック教会は海外布教を望む。
  • 1880年代の動向
    • 帝国主義に移行 → 植民地拡大政策 アジア・アフリカに大植民地を作り上げる。
    • 高利貸帝国主義…資本輸出を積極的に展開。豊かな中間層に支えられた銀行の資本力を武器に。
  • ④1890年代の動向
    • ビスマルク体制下では国際的に孤立していたが、ドイツのヴィルヘルム2世が世界政策を展開すると孤立が解消される。⇒ロシアと露仏同盟・イギリスと英仏協商を結ぶ

(2)帝国主義フランスの内政

①1870年代の動向

②共和派VS反共和派

  • 1887~89 ブーランジェ事件
    • 陸相ブーランジェが右翼・保守勢力に支持されて政権奪取をねらった事件
  • 1894~99 ドレフュス事件
    • 内容…ユダヤ系軍人ドレフュス大尉に対する冤罪が共和国の存亡をかけた対立へと発展した事件。1894年にドレフュスはドイツのスパイ容疑で終身刑となったが96年に真犯人が判明した。しかし軍が証拠を捏造したことが明らかになったにも関わらず、再審請求の道は開けなかった。そのため作家のゾラが告発を行うと、左右両派に分派し、共和国の存立を問うこととなった。
      • ドレフュス派(知識人・学生・共和派)…人権と民主的共和政を守る
      • 反共和派(軍部・右翼・反ユダヤ派・カトリック)国家の秩序と安定を優先
    • 影響:急進社会党の結成(1901)…ドレフュス事件に際し共和派諸派が結集して成立。地方農民と都市の小市民(商工業者)が支持基盤であり、人権擁護と政教分離を綱領に掲げる。
    • 終結:1899年に大統領の特赦により政治的決着がつけられた(1906年に最終的に無罪)。

③労働運動の展開

④共和国の安定

  • 1905年 政教分離法 ⇒ 共和国は安定化
    • カトリック教会は保守勢力の一部を形成してきたが、同法により宗教に対する国家の援助は一切禁止された。宗教はあくまでも私的事柄となり、聖職者の活動は禁止されたため、共和国の政治的安定が確実となった。