帝国主義ロシア ~バルカン方面挫折→極東方面挫折→バルカン半島へ再進出~

(1)ロシアにおける資本主義の発達

  • 1890年代からフランスからの資本導入によって資本主義が成長する。
    • ドイツ帝国の世界政策により再保障条約が失効した結果ビスマルク体制が打破され露仏同盟結成!→工業・銀行は外国資本の支配下におかれ労働条件も劣悪。
    • 国内市場が狭いためシベリア鉄道などの国家事業により国内を開発。アジア・バルカン方面へ進出。

(2)バルカン半島への進出の挫折

(3)極東への進出

  • 太平天国の乱に乗じてアイグン条約でウスリー川以北を獲得、アロー戦争の調停の代償として北京条約でウスリー川以東を獲得しウラジオストークを建設する。三国干渉の見返りとして東清鉄道の敷設権を獲得したロシアは哈爾濱を建設し満洲に進出。旅順・大連をも支配下に入れ、さらに韓国の支配権を狙った結果、日本と対立する。

(4)ロシアにおける多様な政治潮流の出現

(5)日露戦争第一次ロシア革命

  • ①概要:日露戦争の戦況が不利になって起こった血の日曜日事件を契機に発生した革命運動。労働者の自治組織ソヴィエト(評議会)が武装蜂起に立ち上がり、海軍でも反乱が起こった。日本と講和する一方、十月勅令で国会開設を約束して収束を図った。
  • ②1905年の経緯

(6)ストルイピンの反動政治

  • ヴィッテ解任後、ストルイピンが首相となり、議会の解散・革命派の弾圧など反動政治を強行した。
  • ミール解体…ロシアの農村共同体ミールを農民の反抗と団結の基盤と見なして解体をはかり、土地を分与して自作農の創設を目指したが挫折。ミールから独立した農民の大多数は貧農に転落するか、低賃金労働者にならざるを得なかったので、社会不安が増大した。

(7)バルカン方面再進出

  • 体制の基盤が不安定になったので、政府は国民の不満をそらすため、バルカン半島での南下政策を強め、国際緊張を高めた。