第二次世界大戦【4】連合国の戦後構想と戦争の終結

1.連合国軍の反攻

  • ①独伊の対米宣戦(1941.12.8)…太平洋戦争開始と共に宣戦。日独伊の枢軸国VS米英ソの連合国の戦い。文字通り世界大戦となる。
  • ミッドウェー海戦敗退(1942年6月) 太平洋戦争の転換点となった日米空母機動部隊の激突!
    • A)目的:ミッドウェー島の占領とアメリカ機動部隊の壊滅を狙う!
    • B)戦いの推移:空母「エンタープライズ」と「ヨークタウン」の艦上爆撃機が空母「赤城」「加賀」「蒼龍」の3隻に致命的損害を与える。無傷で残された空母「飛龍」は空母「ヨークタウン」を大破させるが、米艦上機により「飛龍」も大破。結局、日本の空母4隻は沈没。「ヨークタウン」は潜水艦「伊168」の雷撃で撃沈。
    • C)結果・影響:ミッドウェー海戦は日本の大敗に終わり、艦隊空母4隻を失い、戦争の主導権も喪失した。
  • スターリングラードの戦い(1942年8月~43年2月)
    • ドイツ軍はスターリングラードを包囲し激しい市街戦を展開。しかし42年11月にソ連軍に逆包囲された。降伏を禁じられたドイツ軍精鋭30万は43年2月に猛攻を受けて壊滅、独ソ戦の転機となり、ドイツ軍の敗退への道が始まった。
  • ガダルカナル島撤退(1943年8月)
    • 1942年8月以降、日米両軍が争奪戦を展開したが、日本軍は制空権を奪われ大きな犠牲を払った結果、43年2月に撤退した。
  • ⑤イタリア降伏(1943年9月)
    • 43年7月、連合軍がシチリア島に上陸。その結果ムッソリーニは国王・党・軍に幽閉され失脚し、バドリオ政権が成立した。9月に連合軍がイタリア本土に上陸するとバドリオ政権は無条件降伏をした。その後ドイツ軍はイタリアの北半を占領し、ムッソリーニを救出。

2.戦後世界の構想

  • 大西洋憲章(米英) 1941.8月
    • 対ドイツ戦争とソ連援助問題を協議
    • 大西洋憲章 ⇒ 連合国共同宣言(1942.1)へ発展
  • カサブランカ会談(米英)1943.1月
    • 対イタリア作戦を決定
    • 敵国の無条件降伏の原則表明
  • ★1943.9 イタリア、無条件降伏
  • ③カイロ会談(米英中)1943.11月
    • 対日処理方針 ⇒ カイロ宣言満州、台湾の返還、朝鮮独立、無条件降伏まで戦い抜く
  • テヘラン会談(米英ソ)1943.11月
    • 対ドイツ戦争方針 北仏上陸による第二戦線の形成→ノルマンディー上陸作戦の実施
  • ⑤ダンバートン=オークス会議(米英ソ中)1944.8~10
    • 国際連合設立の原則と具体化案←1943年のモスクワ宣言に基づく
  • ヤルタ会談(米英ソ)1945.2月
  • ★1945.5 ドイツ、無条件降伏
  • ポツダム会談(米英ソ) 米トルーマン・英は途中からアトリー 1945.7月
  • ★1945.8 日本、無条件降伏

3.大戦の結果

(1)資本主義の限界

  • 不況 ⇒ 国内危機 ⇒ 他国侵略
    • 不況によりファシズム化した日独が、国内危機を他国への侵略で解決しようとしたことから始まる
      • ヴェルサイユ体制はドイツ封じ込め。ワシントン体制は日本封じ込め。

(2)ファシズム諸国の理論的敗北

  • ①連合国側の戦争の正当化
  • ファシズム諸国の限界
    • 自国民の優秀さを唱え、それぞれの支配権確立をめざすだけ。
    • ひろく世界に訴える普遍的理念を持たなかった。
    • 暴力的な占領地支配 ⇒ 占領地域民衆の広い抵抗運動を呼び起こした。

(3)第二次世界大戦の国際的影響

  • ①米ソの台頭
    • 連合国の勝利に決定的役割を果たし、戦後世界での指導的地位を認められた。
  • ②ヨーロッパの凋落…世界の中心から世界の諸地域の一つに後退した。
  • ③アジアの自立…中国やアジア諸地域での民衆の抵抗運動は、反ファシズム運動の枠をこえて、欧米諸国の植民地支配を打ち破って自立する力量を獲得した。