【日本史】政治史人物整理 太平洋戦争期の内閣

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1.太平洋戦争前夜

(1)第二次近衛文麿内閣(1940.7~1941.7)

  • ①組閣
  • ②対米政策
  • ③新体制運動
    • 第二次近衛内閣成立前後に全既成政党を解散させ10月に大政翼賛会を結成し、近衛自ら総裁。労働組合も解散し、大日本産業報国会を結成。
      • →議会無力化。政府・軍部の提案を承認するだけの機関となる。
  • 思想統制
  • ⑤外交
    • 北部仏印進駐開始 1940.9.23 ※仏印とはフランス領インドシナ。現在のベトナム・ラオス・カンボジア。
    • 日独伊三国軍事同盟締結1940.9.27 → アメリカはこれに対し鉄鋼・屑鉄の対日輸出禁止
    • 日ソ中立条約締結1941.4 → 松岡外交の一環(独ソ不可侵条約・日独伊三国軍事同盟・日ソ中立条約で日独伊ソ四カ国大陸ブロックを実現し、米英の圧力に対抗)
    • 日米交渉 1941.4~ → 対米開戦を避けるため駐米大使野村吉三郎が米国務長官ハルと交渉
    • 独ソ戦勃発(1941.6)で松岡外交破綻 → 7.2御前会議「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」
      • → 海軍が主張する南方進出と、陸軍が主張する対ソ戦の準備という二正面での作戦展開を決定。
  • ⑥総辞職
    • 日米交渉に望みを託していた近衛は、対米強硬論者の松岡を排除するため、内閣総辞職

(2)第三次近衛文麿内閣(1941.7~1941.10)

  • ①組閣
    • 対米強硬論者松岡洋右を排除して組閣し、対米交渉を目指すが、好転せず。
  • ②南部仏印進駐
    • アメリカ対抗措置として在米日本資産の凍結、石油の対日輸出禁止
      • ※早期開戦論…日本はジリ貧になって経済的に屈服せざるを得なくなるため、武力により対日包囲陣を打破すべきだとする主張が高まる。
  • ③「帝国国策遂行要領」(1941.9.6御前会議)
    • 交渉期限を10月上旬とし、米英蘭に対する開戦方針を決定。
  • ④総辞職
    • 近衛は10月半ばでも開戦を躊躇い、中国からの撤兵ではアメリカに譲歩しても日米交渉を継続しようとした。

2.太平洋戦争の勃発と展開

(1)東条英機内閣(1941.10~1944.7)

  • ①組閣
    • 昭和天皇内大臣木戸幸一の助言により東条に組閣を命じる→東条を首相という責任ある地位に就ければ無謀な開戦論を抑える意図があったとされる。
  • ②「帝国国策遂行要領」再検討(11.5御前会議)
    • 12.1までに交渉が妥結しなければ対米開戦する。
  • ③ハル=ノート(11.26)
  • ④対英米開戦
    • 1941.12.1の御前会議で正式決定。12.8に英領マレー、ハワイで軍事行動を開始。42年5月、開戦半年で東南アジアをほぼ制圧。
  • ⑤戦局の転換
    • ミッドウェー海戦敗退(42.6)、ガダルカナル島撤退(43.2)、アッツ島玉砕(43.5)、サイパン陥落(44.7)
  • ⑥倒閣
    • 絶対国防圏の一角サイパンが陥落し、海軍・重臣の間に反東条の気運が高まり倒閣。

(2)小磯国昭内閣(1944.7~1945.4)

  • ①組閣
    • 東条内閣瓦解後、後任は陸軍長老とされ朝鮮総督の小磯と南方軍総司令官の寺内寿一が候補にあがり、寺内は要職であったので、小磯が組閣。小磯の指導力不足が懸念されたため、海軍の長老米内光政のへの協力要請という形をとった。
  • 指導力低下
    • 戦争指導の一元化の観点から大本営への首相の列席を求めたが拒絶される。1945年3月、天皇の特旨で大本営参列が認められた時には、もう既に遅かった。
  • ③戦局の悪化
  • ④総辞職

(3)鈴木貫太郎内閣(1945.4~1945.8)

  • ①組閣
  • 和平工作
    • 国民に「本土決戦」を唱える一方で、ソ連を仲介に和平にあたろうとしたが・・・→しかしソ連は2月のヤルタ会談において対日参戦を密約していた。
  • 終戦への道のり
    • ヒトラー自殺(4.30)
    • ドイツ無条件降伏(5.8)
    • ポツダム会談(7月)
    • ポツダム宣言(7.26)
      • ポツダム会談の期間中、ポツダム会談とは別に、対日戦争を戦っていた米英が協議。アメリカはイギリスに、対日戦後処理と日本へ無条件降伏を呼びかけることを提案した。中国の蔣介石は会談に招請されていなかったので、電信で同意を得て、米英中の3国の共同宣言のかたちでポツダム宣言を発表した。
      • まだ対日参戦していてなかったソ連には発表後、詳細が知らされた→ソ連は対日参戦後に参加。
    • 鈴木貫太郎内閣の「黙殺」声明(7.28)
      • 日本政府はソ連を仲介とする和平に望みをかける。アメリカはこれを「拒絶」であると判断。
    • 連合国の攻勢
    • 御前会議「ポツダム宣言受諾の可否について」(8.10)
      • 天皇の国家統治の大権を変更する要求を含んでいない」という了解のもとに、ポツダム宣言を受諾すると決定し、この旨をスイス・スウェーデンに発信した。
    • バーンズ回答(8.11)
      • 日本側の申し入れに対し、アメリカ政府では誤解を与えない回答を行うべきであるという決定が下される。これによりバーンズを中心とした国務省で対日回答案が作られ、8.11正午にスウェーデンへ打電される。
    • 「Subject to問題」
      • 日本はバーンズ回答を8.12に傍受したが、解釈を巡って論争となる。「天皇と日本政府の国家統治の権限が連合国軍総司令軍にSubject to」とあったが、「制限のもとにおかれる」か「隷属する」かの訳で揉める。
        • 8月13日午前2時、駐スウェーデン公使から、バーンズ回答は日本側の申し入れを受け入れたもので   あるという報告が到着。
    • 御前会議「ポツダム宣言受諾の最終決定」(8.14)でポツダム宣言受諾を決定→スイスから連合国に通告。
    • 玉音放送(8.15正午)※正式な戦争終結は9.2のミズーリ号上における降伏文書調印なので注意!
  • ④総辞職
    • 閣内不統一のため天皇の聖断を仰いだ責任を取るとして8.15に鈴木内閣総辞職