1.エーゲ文明
(1)エーゲ文明とは何か?
- ①地域:エーゲ海周辺:エーゲ海の島々~ギリシア半島の南部
- ②年代:前3000年~前1200年
- ③特徴:オリエントの影響を受けた青銅器文化
(2)エーゲ文明の代表例
- クレタ文明(全盛期:前2000~前1400)
- 民族系統は不明で中心地はクレタ島のクノッソス。政治はミノス王の専制政治。文字はクレタ絵文字及び線文字A(未解読)。発見者はエヴァンズ。特徴は城壁が無く、色鮮やかな彩色壁画を持つこと。このことから平和な海洋文明であったことが分かる。アカイア人の侵入により滅びた。
- ミケーネ文明(全盛期:前1600~前1200)
- 民族系統はアカイア人。中心地はギリシア本土のミケーネ・ティリンス。政治は小王国が分立し、貢納王政が敷かれた。文字は線文字Bを使用しヴェントリスが解読した。発見者はシュリーマン。特徴として堅固な城塞・ミケーネの獅子門を持つ。このことから戦闘的・尚武的であったことが分かる。滅亡については不明であり、ドーリア人説や海の民説など諸説ある。
- トロイア(全盛期:前2600~前1200)
- 民族系統は不明。中心地は小アジアのトロイア。政治は強大な王権による専制政治。文字は明らかになっていない。発見者はミケーネ文明と同じくシュリーマン。特徴は黄金製や銀製の王冠などが出土することから強大な王権が支配していたことが分かる。滅亡はトロイア戦争。
(3)暗黒時代
- ①エーゲ文明の滅亡…前12世紀頃。線文字は消滅し、ギリシアは約400年間にわたり文字史料がない混乱の時代に入った。一説には「海の民」の侵入ともいわれるが詳細は不明。
- ②鉄器の普及…前12世紀末頃、ドーリア人が鉄器を持って南下。
2.ポリスの形成
- ①ポリス(都市国家)の形成
- アクロポリス…ポリスの中心部の丘。防衛の拠点であり、市の守護神をまつる神殿が造られた。
- シュノイキスモス(集住)…前8世紀頃、有力指導者の下、軍事的・経済的要地に人々が移住したこと。周辺の村落が統合され、ポリスが成立した。ふもとの広場はアゴラという。
- ②植民市
- 海上交易の活発化 → アルファベットの使用 (←フェニキア文字の影響)
- 植民市の建設…人口増による土地不足や交易拠点の確保などを理由に、地中海・黒海沿岸に多数建設された。植民市は母市を持つが、従属せず、ポリス間の交易が盛んになるにつれ商工業が発展した。
- ①王政…王は軍事指揮権を持ち、祭祀を司るが、強力な権力者ではない。まもなく貴族政に移行。
- ②貴族政…貴族は馬を所有して高価な武具を自弁して戦いの主力となり、ポリスの要職を独占。戦争は一騎打ちや白兵戦をとり、英雄的な振る舞いが栄誉とされた。
- ③民主政…戦争スタイルの変革により平民も参政権を獲得!
- 戦争スタイルの変革…一騎打ちや白兵戦から重装歩兵密集隊(ファランクス)が戦争の主力となる
- 多くの兵士が必要となり、商工業の発展により平民も武具を自弁。
- 重装歩兵は盾を連ねて市民仲間と一心同体となり、共同体のために戦って市民意識を高める!!
- 平民は貴族により政治や裁判上支配されていることに不満を抱き、政治参加を求めて参政権ゲット。
(3)重装歩兵民主政
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- 参政権を持つ = 代償として国家に貢献する = 国防を担う= 土地を所有し武具を自弁できる戦士
- じゃあ国防を担わない人たちは?→女性・奴隷は参政権から排除→ギリシア民主制の限界
- 奴隷は主に戦争捕虜や債務によって自由を失った人々。家事・農業・鉱山などで過酷な労働を行う。
3.スパルタ史
(1)征服型ポリス
- ドーリス人が先住民を征服。先住民を支配するため強大な軍事力を維持する必要。
(2)リュクルゴスの制…被征服民の反乱を抑えるための軍国主義的体制
- 市民はいっさいの生産労働をせず、少年期から集団生活をして厳格な軍事訓練。
- 女性は健康な子どもを産むため身体を鍛えることを奨励され、裸で励んだ。また夫が了解すれば他人とも子どもを産んだ。
- 市民間の平等を維持
- 土地の売買や貴金属貨幣の使用を禁止。
- 他のポリスと交易を行わず。
(3)スパルタの被支配民
- ペリオイコイ
- スパルタの第二身分の半自由民=劣格市民。商工業に従事し、軍事・貢納の義務を負う。重装歩兵に招集されるが参政権は与えられない。
- ヘイロータイ
- スパルタの第三身分の隷属農民。スパルタに抵抗して征服された隷属民。スパルタ市民の土地に分属させられ、貢納の義務を負わされた。
- ※ヘイロータイたちは自分たちの集落と家族を持ち、財産も有していたから奴隷とは異なる隷属農民である。
☆前8世紀半ばに王政から貴族政に移行。貴族と平民の間で対立が深まり平民が参政権を獲得していく。
(1)ドラコンの立法 (前7世紀後半)
- 従来の慣習法を成文化し、貴族による恣意的な刑罰を規制。
- ポリスの秩序と安定をはかるが貴族と平民の対立は続く。
(2)ソロンの財産政治 (前594)
借金返済・債務奴隷の禁止・財産政治の3点セット!
- 債務奴隷問題…借財が返済できずに奴隷身分に転落する者が続出。平民層の没落は重装歩兵の減少を招くので国防上の課題となった。
- 財産政治…財産の額で政治参加の度合いが決まる政治制度。ソロンは財産によって4等級に分け、等級に応じて参政権を定めた。これにより平民の一部が政治参加できるようになった。
(3)ペイシストラトスの僭主政治(前6世紀中ごろ)
前561年以降3度僭主となる。
- 僭主→ 非合法な支配者。貧富の差の拡大に不満を持つ民衆の支持を得て独裁
- 開墾を奨励し中小農民を保護。積極的な経済政策により商工業の発展。
- 死後、息子のヒッピアスは暴君化し追放されアケメネス朝に亡命する。
- 貴族対策:デーモス制度…貴族勢力の基盤である旧来の血縁的な部族制を解体し、村落を中心とするデーモスを制定して行政や軍事の単位とした。
- 僭主対策:オストラキスモス…市民の投票によって僭主の出現を防止する制度。陶片に僭主になるおそれのある人物名を記入し、定足数6000票で最多得票者が10年間国外追放となる。
- ①原因
- アケメネス朝ペルシアが小アジアのイオニア地方を征服・支配したが、アケメネス朝の圧力にミレトスなどのギリシア人植民市が反乱。アテネは反乱都市を援助したことからアケメネス朝のダレイオス1世が遠征を開始する。
- ②戦争の経過
- 前490 マラトンの戦い…アケメネス朝に亡命していたアテネの元僭主ヒッピアスの案内で上陸したダレイオス1世の大軍とアテネの重装歩兵との戦い。アテネは独力で撃退した。
- 前480 テルモピュライの戦い…ペルシアの大軍に対し300人のスパルタ人が迎え撃ち全員戦死。
- 前480 サラミスの海戦…テミストクレスが市民全員を船で待避させ、ペルシア艦隊をせまいサラミス水道に誘い込んで勝利。無産市民も三段櫂船の漕ぎ手として活躍した。
- 前479 プラタイアイの戦い…ギリシア連合軍がペルシア陸軍を撃破。ギリシアの勝利が確定した。
- ③戦争の結果
- デロス同盟(前478頃)…ペルシア軍の再侵攻に備えアテネを盟主に結成。加盟国は軍資金を拠出。
- 無産市民の発言権拡大…サラミスの海戦で三段櫂船の漕ぎ手として活躍したため。
(6)ペリクレス(前495頃~前429)
- ①民会を最高機関とする民主政の完成
- 奴隷・女性・在留外国人を除く全成年男子市民による直接民主政。
- 将軍職などを除いて官職は抽選(任期1年・再任禁止・アルコンや法廷の陪審員など)
- ②デロス同盟の資金を流用
- ③アテネ市民権を両親ともアテネ人であるものに限定
- ①原因:デロス同盟により強大化したアテネに対しスパルタを盟主とするペロポネソス同盟が反発。
- ②経過:ペリクレスの死…アテネはペリクレスの指導で優勢であったが、市民を城壁内に籠城させる作戦をとったため疫病に襲われ、人口の三分の一を失い、ペリクレスも病死。
- ③アテネの衆愚政治化
- ペリクレス死後、デマゴーゴス(扇動政治家)が出現し、無責任な言動で民衆に迎合し、好戦的な民衆を煽っていたずらに戦争を長期化させ、社会を混乱させた。
- ④結果:スパルタがアケメネス朝ペルシアの資金援助で優位に立ち勝利!
- ⑤影響
- ギリシア全土で農地が荒廃。市民の多くは土地を失い傭兵となる。
- ポリスへの帰属意識・連帯感も喪失。
5.ギリシア世界の覇権の変遷
- ①ペロポネソス戦争(前431~前404)
- ②スパルタの覇権
- 金・銀が流入して土地の売買が始まり、貧富の差が生まれて市民間の平等が喪失して弱体化
- ③レウクトラの戦い(前371)
- テーベの名将エパメイノンダスが斜線陣密集隊と騎兵を組み合わせてスパルタに勝利!
- ④テーベの覇権
- 一時期はギリシア最強のポリスとなり10年ほど覇権を握るがエパメイノンダスの死により衰退
- ⑤カイロネイアの戦い(前338)
- ⑥マケドニアの覇権
マケドニアはドーリス系ギリシア人の国だが、ポリスをつくらず王国を形成。
- ②アケメネス朝との戦い
- 前334 遠征開始! ← 戦争の名目:ギリシアへ干渉を続けるアケメネス朝への報復
- 前333 イッソスの戦い…地中海東岸でダレイオス3世を撃破。この戦いを描いたポンペイ出土のモザイクが有名となっている。 → シリア、エジプトを征服
- 前331 アルベラの戦い ダレイオス3世の最終戦。→ペルセポリスを焼き討ち。
- 前330 アケメネス朝滅亡
- ③中央アジア・インド編
- 前329~前327 バクトリア・ソグディアナ地方征服 → ギリシア人が多数入植!
- 前326 インドに侵入するも兵達が進軍を拒否。
- 前324 帰国 → スサでマケドニア人1万人とペルシア女性の大結婚式で東西文化融合策