1.南アジア世界
- ①内陸部デカン高原…北西インドから連続する乾燥地帯。綿花・小麦・雑穀を栽培。
- ②沿岸部…高温多湿で稲作が盛ん。
- ③言語…ドラヴィダ系。
- ④交通…モンスーンを利用した海上交易
- →沿岸部の港市が発達……インド洋交易の中継点&インド産の木綿や香辛料など国際商品の起点
- ①都市遺跡…モヘンジョ=ダロ(シンド地方)、ハラッパー(パンジャーブ地方)、ドーラヴィーラー(インド西部)
- ②文明圏…インダス川流域を中心に南アジア北西部全域。
- ③都市建設…縦横に排水溝が引かれた市街区、規格の統一されたレンガなど。
- ④経済的基盤
- 氾濫農耕と都市を結ぶ河川交易
- メソポタミアとの交易 → ウルなどの諸都市に紅玉髄などをさかんに輸出。
- ⑤社会…水・菩提樹などを信仰。 牛車の利用。
- ⑥担い手…ドラヴィダ人。
- ⑦崩壊…前2000頃都市の秩序が失われ、前1800年ころ崩壊。☆原因:環境変化 → 河川の洪水と流路変更
※アーリヤ人の文献『ヴェーダ』にちなむ
(2)前1000年頃~
- ①鉄製の武器・農具を用いてガンジス川流域に進出 → 広大な稲作地帯を形成。 社会の階層化が進行。
- ②ヴァルナ制の確立 ←ヴァルナとジャーティーが結びついてカースト制に発展。
- ③王制国家の形成…クシャトリヤを王とし、その王を儀礼的にバラモンが支える。
4.都市の発達と思想の活況
(1)都市の発達
- ①都市形成 (前6世紀までにガンジス川中流域)
- ②国家形成
- a.マガダ国…ガンジス川中流域を統合した国。前6世紀に興り、鉄や森林資源などの資源に恵まれ、戦車や投石機などの新兵器で台頭した。仏教・ジャイナ教はこの地で誕生した。
- b.コーサラ国…前6世紀ガンジス川中流域16大国の一つ。『ラーマーヤナ』の舞台。前5世紀にマガダ国に併合される。
(2)思想の活況
- ①背景
- 政治史的背景…マガダ、コーサラなどの十六大国が形成され、国家統一のために新しい理念が必要となる。
- 社会経済史的背景…鉄製農具や貨幣経済などによる商工業の発達により、貧富の差が拡大し社会不安となる。
- ②新しい思想
- a.【前提】インド生まれの哲学に共通の人生観・世界観 → 輪廻からの解脱!
- 輪廻…現世の行為によって来世が決定されながら生死は無限に繰り返されるという考え。仏教やジャイナ教に受け継がれ、世界各地に広まった。
- 業(カルマ)…「行為」の意味。自分が現世でなした行為が、業として来世を決定づける(自業自得)と考えられた。
- 解脱…この世に束縛されて輪廻を繰り返す苦悩から解放されて、永遠の安らぎと幸福を得ること。
- b.ウパニシャッド哲学
- バラモン教の内部革新
- 梵我一如…宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と事故の本質であるアートマン(我)が一体であることを悟れば輪廻から解脱できる。この世で生成消滅して輪廻を繰り返す個体の根底には、自己の不変の原理であるアートマンがあり、それが宇宙の全ての根源であるブラフマンと一体である。
- c.バラモン教の祭祀主義批判
- ③仏教とジャイナ教
5.インド古代王朝の興亡
5-1.マウリヤ朝 (前317頃~前180頃)
- ②成立…前317頃、ナンダ朝の武将チャンドラグプタが建国 (都;パータリプトラ)
- ③最盛…アショーカ王の統治(位前268頃~前232頃)
- 領域…南端部を除く南アジア全域。北西方面はアフガン東部も支配しセレウコス朝と接する。
- 仏教統治
- ダルマ(法・倫理などの規範)による政治 → 磨崖碑・石柱碑に詔勅を刻み内容を布告。
- 第三回仏典結集…仏教は口伝だったので教説の整理・統一を図る必要があり教典を編纂した。
- スリランカ布教…アショーカ王の王子マヒンダが派遣される。
デカン高原を中心とするドラヴィダ系アーンドラ族の王朝
- ①時代状況:モンスーン交易の中継地点及び熱帯物産の出荷地として南インドは経済的に繁栄
- →cf.この時代の季節風交易の史料:『エリュトゥラー海案内記』
- ②交易:東南アジアや西方と交易。ローマの金貨が多く出土。
- ③宗教:バラモン教、仏教、ジャイナ教が保護され繁栄。
- ④文化:ドラヴィダ語系のタミル語による古典文学が花開く。
紀元前後に成立
- ①成立…従来のヴェーダに民間信仰を取り入れブラフマン・ヴィシュヌ・シヴァを「一体三神」の最高神として崇める。
- ②マヌ法典…古代インドの法典。西暦前後の作。ヴァルナごとに人々の宗教的・社会的規範をまとめる。
5-3.グプタ朝 (318頃?~550頃) 都:パータリプトラ
- ④仏教
- 仏教教学 → ナーランダー僧院:インド東部に建てられた仏教学院。玄奘や義浄も訪問したが、12世紀にイスラーム勢力に破壊された。
- グプタ美術 → アジャンター石窟寺院:断崖に掘られた仏教寺院で、明確な輪郭線や鮮やかな色彩を特徴とする壁画が残されている。
- ⑥滅亡…5世紀後半から衰退し、550年頃エフタルの侵入で滅亡。
5-4.ヴァルダナ朝 (606頃?~647頃?) 都:カナウジ
- ①建国…ハルシャ=ヴァルダナが建国。一代限り。宗教・学芸を保護し、王は詩人としても有名。
- ②唐との交流…玄奘(『大唐西域記』)が訪問。 ※王朝滅亡後には義浄(『南海寄帰内法伝』)も。
- ③滅亡…王の死後、内紛。北インドは小王国分立へ
6.ラージプート時代
8~13世紀、北インドの各地の王が正統性を主張するためクシャトリヤの子孫を意味するラージプートと名乗ったので、こう呼ぶこともある。
(1)みつどもえの戦い…8~9世紀、インドの覇権を巡りみつどもえの抗争が繰り広げられるが覇権には至らず。
- ①プラティーハーラ朝…ハルシャ王の後、ガンジス川中流域を支配。最盛期には北インドの大帝国を形成。
- ②パーラ朝…ベンガル北部に興りガンジス下流域を支配した。密教的仏教が盛ん。
- ③ラーシュトラクータ朝…デカン西部を支配。エローラ石窟のカイラーサ寺院はシヴァを祀って有名。
(2)地方王朝の分立…10世紀以降、諸勢力が分立して各地に地方王朝を打ち立てた。
- ①地方の発展 ※単なる分裂ではなく地方の発展!
- 地方王朝の王家は後進地域の新興土豪 → 支配の正当性を確保するためヒンドゥー寺院を建立(チャンデーッラ朝のカジュラーホ寺院など) → ヴァルナ制とヒンドゥー教がインド世界のすみずみにまで普及。
- ③インドにおける仏教の衰退
- パーラ朝で密教が盛んになりチベットに密教が伝わるが、徐々に独自性を失いヒンドゥー教に組み込まれた。
- ④ジャーティーの形成
- 【背景】後進地域の開発とヴァルナ制の波及が分業の発展と世襲化を促す!!
- ジャーティーとは?
- 伝統的な職業と結びついたインドの社会階層。「生まれ」を意味し、約3000ある。同一ジャーティーでなければ結婚や食事は出来ない。各ジャーティーはいずれかのヴァルナに属する。