1.トルコ人の進出と王朝建設
☆マムルーク…トルコ人などの奴隷を指すアラビア語(※黒人奴隷はザンジュ)。奴隷軍人とて軍の主力となることが多く、独自の王朝を建設していった。
(1)エジプトにおけるトルコ系王朝
トゥールーン朝(868-905)
- ①建国:アッバース朝によりエジプト総督代理として派遣されたトルコ系軍人イブン=トゥールーンが自立して建国。
- ②滅亡:その後再びアッバース朝に支配され滅亡。
- ①建国:アイユーブ朝のマムルーク軍団出身者が建てた政権。
- ②滅亡:モンゴルを撃退したが、オスマン帝国のセリム1世に滅ぼされる。
ガズナ朝(962-1186)
- ①建国:サーマーン朝のマムルークが建国。北インドに侵入し略奪を繰り返した。
- ②滅亡:ゴール朝に首都ガズナを奪われ滅亡。
(3)中央アジアにおけるトルコ系王朝
カラ=ハン朝(940?-1132?)
- ①建国:中央アジア初のトルコ系政権。サーマーン朝を滅ぼした。
- ②滅亡:カラ=キタイ、ホラズム朝の攻撃を受けて滅亡
ホラズム朝(1077-1231)
- ①建国:1077年、セルジューク朝のマムルークが中央アジアで自立
- ②膨張:セルジューク朝からイランを奪い、1215年にはゴール朝を滅ぼしてアフガニスタンも支配
- ③滅亡:チンギス=ハンに攻略され1231年に滅亡
(4)西アジアにおけるトルコ系王朝
- ①建国:1038年トゥグリル=ベクが中央アジアで建国 → 西方へ移動
- ②バクダード入城:1055年、イラン系シーア派のブワイフ朝を打倒
- ③スルタン制の開始:トゥグリル=ベクがアッバース朝カリフから政治・軍事の支配者としての称号スルタンを授かる。
- ④スンナ派の回復…マリク=シャーに仕えたイラン人宰相のニザーム=アルムルクが主要都市にニザーミヤ学院を設立。ファーティマ朝に対抗してスンナ派神学を確立。
- ⑤ビザンツ帝国を圧迫…1071年、マンジケルトの戦いでビザンツ皇帝を捕らえる→十字軍の遠因となる。
- ⑥衰退と滅亡…内紛で小王国に分裂 → 1194年に滅亡
2.十字軍・モンゴルとの対立
(4)カイロの繁栄
- ①地中海-インド洋間の交易ルートの変化
- ②カーリーミー商人
- ③アズハル学院
4.サハラ以南のアフリカにおけるイスラームの拡大
(1)サハラ以南の西アフリカ
- ②マリ王国 (1240-1473)
- 建国:1240年、マンディンゴ人が建国 → 支配階級がイスラーム教受容
- 都市:トンブクトゥ…ムスリム商人が居留し、交易・文化の中心として繁栄
- 最盛期
- 14世紀前半:マンサ=ムーサ王…メッカ巡礼を行う (※大量に金を使用し相場混乱!)
- 14世紀後半:イブン=バットゥータが来訪(※『三大陸周遊記』で有名な人物)
- 滅亡:ソンガイ王国に滅ぼされる。
(2)東アフリカ
- ①東海岸部
- 10世紀以降、インド洋貿易の発展で赤道以南の海港都市が発展
- スワヒリ文化…原住黒人のバントゥー語とアラビア語が混在してスワヒリ語が発生→商業用共通語
- ②内陸部
- 大ジンバブエ遺跡…巨大な石造建築の遺跡。「ジンバブエ」とはショナ語で「石の家」の意味。遺跡からは交易によるインド産ガラス玉や中国産陶磁器などが出土している。
- モノモタパ王国…ザンベジ川流域を支配。内陸部の鉱産資源とインド洋貿易によって繁栄。
5.インド・東南アジアにおけるイスラームの拡大
(1)インド
- ③デリー=スルタン朝…デリーを首都にした5つのイスラーム王朝が興亡。
- 奴隷王朝(1206-1290)…マムルーク出身のデリー駐屯司令官アイバクが建国
- ハルジー朝(1290-1320)…トルコ系。地租の金納化など経済改革を行う。南インドを征服。
- トゥグルク朝(1320-1414)…トルコ系。デリー=スルタン朝で最大版図。ティム-ルにより滅亡。
- サイイド朝(1414-1451)…トルコ系。ティムールからパンジャーブ地方の統治を委任された地方長官が建国。
- ロディー朝(1451-1526)…アフガン系。パーニーパットの戦いでバーブルに敗れる
(2)東南アジア
- ①マラッカ王国(14C末-1511)…マレー半島南西の港市国家。15C半ばに支配階級がイスラーム教に改宗し、東南アジアのイスラーム化の拠点となる。
- ②アチェ王国(15C末-1912)…スマトラ島北部の港市国家。ポルトガルのマラッカ占領後、これに対抗するイスラーム教徒の貿易拠点の一つとなり胡椒取引で栄えた。
- ③マタラム王国(1580’s-1755)…ジャワ島中部~東部を支配したイスラーム王国。農業用盆地を有して米の輸出で栄えた。