前近代東アジア史【3】秦漢帝国

1.秦の統一と皇帝支配の樹立

(1)秦の統一 (前221年 都;咸陽)

  • ①孝公…前4世紀半ば、法家の商鞅の変法により什伍の制・郡県制の実施
  • ②政…法家李斯を用いて東方の6国を滅ぼし前221年に中国統一 
    • →諸国の「王」よりも上位の存在であるとして「皇帝」を名乗る(始皇帝)

(2)秦の内政と外政

  • ①内政
    • a.地方統治政策
      • 封建制では・・・世襲の諸侯に各邑を支配させる! → 直接統治できず分権的!!
      • 郡県制では・・・中央から地方に官僚を派遣し、全領域を直接統治する!(中央集権的)→始皇帝は中国全土に郡県制を拡大!法律と官僚制により全領域を直接統治!
    • b.規格の統一
      • 地域ごとに異なっていた度量衡・文字(小篆)・車軌・貨幣(半両銭)を統一。
    • c.思想統制
      • 焚書・坑儒…儒者始皇帝の改革に批判的であるとの理由から医薬・占い・農業以外の民間の書物を焼き(焚書)、儒者数百人を穴埋めにして殺した(坑儒)。
  • ②外政
    • a.北…VS匈奴!→ 匈奴は遊牧国家を築いて強大化!
      • 討伐に将軍:蒙恬を派遣し、戦国時代に趙・燕・秦が建設した長城を修築。
    • b.南…華南征服・ベトナム遠征
      • 桂林郡(広西)・南海郡(広東)・象郡(北ベトナム)を設置。

(3)秦の滅亡と漢の建国

  • ①滅亡の要因…急激な改革・度重なる外征・大土木工事
  • 陳勝呉広の乱…始皇帝の死後起きた農民反乱。徴発された農民を率いて陳勝呉広が挙兵。半年で鎮圧されたが、これを契機に各地で反乱が起こり、劉邦項羽が台頭してくる。
    • →スローガン「王侯将相いずくん種あらんや」(陳勝のことば)
  • ③垓下の戦い…前202年、漢の劉邦と楚の項羽が雌雄を決した戦い。「四面楚歌」の故事で有名。項羽は自決し、劉邦の天下統一が決定的となった。
  • ④漢の建国…劉邦が帝位に就き(高祖)、長安を都として建国。

2.漢帝国の盛衰

(1)前漢 (前202~後8)

  • ①建国期…匈奴への従属と秦の教訓 → 内政・外政ともに国力の充実をはかる。
    • 内政:郡国制…郡県制と封建制を併用する。都周辺の直轄地には郡県制。遠隔地には諸侯に領土を与える封建制
    • 外政:和親策…冒頓単于に大敗し、毎年多額の貢納を支払う屈辱的な関係を強いられる。
  • ②6代景帝
    • 呉楚七国の乱…景帝の抑圧政策に対し、諸侯が反乱を起こすが短期間で鎮圧される。これを契機に中央から官僚が任命されるようになり中央集権化が進む。
  • ③7代武帝
    • a.外政…積極的な軍事行動を実施
      • 北・西:VS匈奴
        • 衛青・霍去病に匈奴を攻撃させる → 甘粛地方を奪い敦煌郡など河西4郡を設置。
        • 長騫を大月氏に派遣 → 同盟は失敗したが、西域事情が判明!
        • 長騫を烏孫に派遣 → 同盟に成功し、西域経営に協力した。
        • 汗血馬を求めて李広利を大宛(フェルガナ)に派遣
      • 東:衛氏朝鮮を滅ぼす → 楽浪郡など朝鮮4郡を設置。
      • 南:南越を平定 → 南海郡・日南郡・交趾郡など9郡を設置。
    • b.内政
      • b-1.経済 ☆対外戦争の負担による財政難を解決するための諸政策
        • 塩・鉄・酒の専売…中国大陸は面積の広大さに対して海岸線が短いので塩が貴重。
        • 五銖銭…漢は当初民間の貨幣鋳造を認めたが混乱が生じたので、正当通貨を作る。
        • 均輸法…各地の特産物を貢納させ、不足地域に転売する物価調整法。
        • 平準法…物価が低いときに物資を買い入れて、上がったときに売り出す物価安定法。
      • b-1'.財政政策の結果…重税や労役によって小農民は没落。小農民を支配下におさめて大土地経営を行う豪族が台頭した。
      • b-2.儒学の官学化:董仲舒の献策で五経博士を設置。
      • b-3.官吏登用法:郷挙里選…優秀な人材を地方で選び地方長官が中央に推薦する政策だが、豪族の子弟が多く推薦され官僚となる弊害が生じた。
  • 前漢の衰退と滅亡
    • 宮廷内で宦官と外戚が対立 → 外戚の王莾が皇帝の位を簒奪!
    • 地方では豪族の大土地所有制が進展 (←哀帝の限田策も失敗!)

(2)新(8~23) ※王莾の建てた王朝

    • 政策:儒学を重視、周の政治を理想とする復古主義 → 失敗
    • 滅亡:農民反乱「赤眉の乱」(18~27)が勃発し、その過程で滅亡。

(3)後漢(25~220) 都;洛陽

(4)漢代の社会と中国古典文化の成立

(4)-1.漢代の社会状況
  • ①中華王朝の基本型
    • 「家族経営の小農民を基盤とする社会を、皇帝が儒教の理念に基づいて官僚を用いて支配する」
  • ②農業生産力の向上 ← 戦国時代以来の牛耕や鉄製農具が普及。農業技術が改良される。
  • ③産業の発達
    • a.国内商業の発達   ← 絹・製鉄・製紙
    • b.他地域社会への影響 ← 西方へ輸出された絹・東方に伝わった銅鏡
    • c.商人への規制    ← 王朝は農業中心を建前とするため
(4)-2.豪族の伸張
  • ①大土地所有による大規模農業経営
    • 広大な土地を買い集めた豪族は没落した農民を奴隷や小作とし、耕牛や農具を使わせて土地開発を進め、私兵をも養って、地域社会に確固たる勢力を作る。
  • ②政府の豪族対策
    • 限田策…前7年に発布された土地所有制限法。土地と奴隷の所有に制限をかけようとしたが、実効力を持たなかった。
  • ③地方豪族の中央政界進出
    • 郷挙里選武帝が制定した官吏登用法。優秀な人材を地方で選び、地方長官が中央に推薦した。しかし豪族の子弟が多く推薦されて官僚となる弊害が生じた。
(4)-3.儒教イデオロギーの国家統治利用
  • ①秦代以来…法家思想 ← 実際の統治は法と官僚制による
    • ※王朝の支配が安定化してくると・・・王朝支配を正当化するイデオロギーが求められる。 → 儒学は皇帝権力を正当化する天命思想を持ち、上下の秩序を重んじる。
  • 儒学の官学化…董仲舒儒学の官学化を武帝に進言!
  • 訓詁学の発展…漢代に始まった経書(五経)理解のための注釈を加える学問。前漢に官学となった儒学に対し、典拠となる経書の正しい注釈が必要となる!
    • ※馬融と鄭玄がすぐれた業績を残す。
(4)-4.漢代文化史
  • ①製紙法…後漢蔡倫が紙を作る技術を改良。105年に紙を和帝に献上した。
  • ②漢字の整備…秦代の隷書が漢代で広く使われる。後漢末には楷書が作られる。
  • ③歴史書紀伝体…本紀(帝王の年代記)と列伝(帝王以外の人物史)を中心に記述を行う。
  • 暦法太陰暦を基本としながら2~3年に一度閏月をはさむことで補正する太陰太陽暦