前近代東アジア史【8】明

1.明の成立とユーラシア東方

(1)明の成立

  • ①14世紀の危機 → 天災・疫病が続発。東アジア社会のも深刻な打撃。各地で政府の支配揺らぐ。
  • ②紅巾の乱(1351~66)
    • 元末に白蓮教などの宗教結社が起こした農民反乱。紅い頭巾を目印にしたことに由来。指導者の韓山童の処刑後、引き継いだ子の韓林児らにより、地方豪族を巻き込んだ大農民反乱に発展。
  • ③明の建国 ☆明は江南からおこって中国を統一した初めての王朝
    • 朱元璋…貧農出身の流浪僧。紅巾の乱に参加して頭角をあらわす。群雄をおさえて南京で帝位に就き、明を建国。元の大都を占領し、遊牧勢力をモンゴル高原に駆逐した。
    • 北元…元の残存勢力が建てた国。明に追われてモンゴル高原中国東北部に退いていたが、明から再三にわたる追撃を受けて滅亡することになる。

(2)洪武帝(朱元璋)の統治

  • 漢人による皇帝支配体制の再建 → 儒教を重んじ小農民が基盤となった社会に皇帝が君臨
  • ②中央統制
    • 皇帝権力の強化…中書省とその長官である丞相を廃止。六部などの中央官庁や地方官を皇帝に直属。
      • ※六部は唐代には尚書省が管轄していたが、元代に尚書省が廃止されたので、中書省が管轄していた。
    • 明律・明令
    • 一世一元の制…一人の皇帝が一元号を用いる。皇帝による時間支配。
    • 官僚登用 → 秩序を重んじる朱子学を官学化
  • ③地方支配
    • 民戸と軍戸…民衆を職業別の戸籍に区分。農民・商人・手工業者などの一般の家は民戸とされ里甲制の基盤として税役を負担。兵役を負担した家は軍戸とされた。
    • 里甲制…1381年に全国で実施された村落行政制度。1甲=10戸。1里=110戸(10甲+富裕な10里長戸)。輪番で租税の徴収や賦役黄冊の作成、治安維持などを行わせた。
      • →明代後期に里甲制は解体に向かい、清代には各戸の直接納税が原則となる。
    • 六諭…1397年に洪武帝が民衆教化のために発布した6カ条の教訓。里老人が毎月6回唱えて回った。儒教道徳を徹底することで里甲制を補完し、従順な民衆の育成を図った。
    • 魚鱗図冊…土地台帳。課税の基礎資料として土地の形状・面積・所有者などが記された。名称の由来は区画図が魚の鱗のように見えることから。
    • 賦役黄冊…戸籍・租税台帳。洪武帝の命により、里甲制の施行と同時に作成された。各戸の家族構成・田畑・財産などが記された。名称の由来は台帳の表紙が黄色だったことから。
  • ④軍制
    • 衛所制…明の兵制。1衛=5千戸所=50百戸所=5600名。長官は指揮使。全国で300衛以上。
    • 息子たちを各地に王として配置
    • ※里甲制や軍制においてはモンゴルを継承する側面もあり。

(3)靖難の役(かつての教科書では靖難の変)

  • ①2代皇帝;建文帝
    • 諸王抑圧策…洪武帝は自分の息子たちを各地に王として封じていたが、2代建文帝は側近の進言により諸王の勢力を削ぐため領地を削減する。
  • ②靖難の役
    • 建文帝の諸王抑圧策に対し、北京一帯の王として封じられていた燕王朱棣が「皇室の艱難を靖んずる」と唱えて挙兵。4年におよぶ戦いが繰り広げられる。建文帝は南京陥落後消息不明。
  • 永楽帝の統治…燕王朱棣が永楽帝として即位。
    • a.内政
      • 皇帝を補佐する内閣大学士の設置(事実上の宰相復活)
      • 南京から自分の本拠地であった北京に遷都。
      • 大編纂事業…類書『永楽大典』、注釈書『四書大全』『五経大全』『性理大全』→四書五経の注釈により思想統制
    • b.外政

(4)土木の変

  • フビライ直系断絶後のモンゴル
    • a.オイラト…モンゴル西部のチンギス家ではない首長が統率する遊牧部族の連合。
    • b.韃靼…チンギス家王族をいただく東方のモンゴル所部族。
  • ②エセン=ハンVS正統帝
    • エセン=ハン…オイラトの指導者。モンゴル勢力を統合し、中央アジアから中国東北地方にいたる領域を支配下におさめる。土木の変で明軍を破る。
    • 土木の変…1449年。正統帝が親征を行うが土木堡で捕虜となる。明軍は壊滅したが、正統帝は無条件で解放された。
  • 万里の長城
    • 土木の変以後、明は守勢にたつようになり、長城を補修・新築。長城の補修・新築は古来行われてきたが、現存する長城は明代に修築されたものがほとんど。→万里の長城が境界となる。モンゴルの遊牧世界と中国の農耕社会が分離された。

2.明の海禁とアジア海域

(1)前期倭寇(14Cを中心に活動した海賊・私貿易集団)

  • 日本の鎌倉幕府衰退→海商・武士団など自立的な地方勢力が独自行動→海上や沿岸で襲撃・略奪

(2)対外関係管理体制

(3)朝貢の歴史的意義とその後の展開

  • 歴史的意義
    • 皇帝の権威を高めて、海外物産を入手する。
    • 永楽帝による鄭和の南海大遠征 → 海禁を維持しながら国家独占の朝貢貿易をすすめる。
    • その後…経費が増大して財政を圧迫 → 明の対外政策は消極化

3.明後期の経済・社会の発展

(1)産業の発展

  • ①16世紀→農村で商品作物の生産や手工業が発展。国内の遠隔地商業が盛ん。財貨が集まる都市が繁栄。
  • ②産業
    • 長江下流域江南デルタ…16世紀には開発し尽くされる。新品種の導入や肥料の使用。二毛作。※稲作中心地は長江中流域に移る「湖広熟すれば天下足る」
    • 稲作困難地域…桑・麻・綿花などの商品作物栽培。絹織物・綿織物などの家内制手工業の発達。 
    • 農業限界地域…商業に特化。内陸部出身の山西商人・徽州(新安)商人→沿海部の福建商人は海禁を破って海上交易。
    • 会館・公所…同郷・同業の商人や職人が、進出した各都市に建てた施設。親睦・互助・遠距離商人集団の活動拠点としてネットワーク形成に大きな役割。

(2)銀貿易による世界の一体化

  • ①世界商品:陶磁器(赤絵)・生糸 →日本・イスラーム世界・ヨーロッパにまで輸出される。
  • ②アジア海域貿易:ヨーロッパ向け東南アジア産香辛料輸出・日本向け中国産生糸輸出
  • ③銀の流入:ヨーロッパや日本には中国に対してめぼしい輸出品が無く銀が対価として使用される。

(3)明代の社会

  • ①一条鞭法…銀経済に対応。複雑化していた租税と徭役を銀に換算して一本化して納入させる。
  • 格差社会…農村は租税・労役の負担に苦しみ、繁栄する都市との格差が広がる。
  • ③郷紳…科挙合格・官僚経験を持つ地域の指導的立場の有力者。

4.明代文化史

(1)文芸

  • 四大奇書
  • ②戯曲
    • 牡丹亭還魂記…湯顕祖の著作。夢に見た書生に憧れて死んだ娘が再生して、書生と結ばれる。

(2)衣食

  • ①衣:麻から綿へ。(※保湿性に優れる)
  • ②食:茶の陰陽や陶磁器の使用の一般化

(3)学問 →科挙試験のための学問として形式化した朱子学への批判!

  • 朱子学陽明学の共通目的:人間なら誰にでも生来備わっている 人としてあるべき道徳(理) への到達。
    • 朱子学の手段…学問や修養に励むことで理へと到達することができる。
    • 陽明学の手段…人には本来、理が備わっているのだからその心のままに実践すること(知行合一)を説く。

(4)実用書

  • 本草綱目【李時珍】…薬物・医学解説書。旧来の薬物書を整理し、1898種類の薬物を石・草・虫など60類にわけて薬効を解説
  • ②天工開物【宋応星】…産業技術書。中国の伝統的な生産技術を18部門に分け、豊富な図版を用いて生産工程を解説している。
  • ③農政全書【徐光啓】…農業技術及び農業政策書。田制・水利・農器・樹芸・蚕桑など12部門からなる。綿・絹などの商品作物の詳解やヨーロッパの知識や技術が導入されている点に特色がある。
  • ④崇禎暦書【徐光啓・アダム=シャール】…暦法書。清代に修正されて「時憲暦」となる。

(5)明代イエズス会宣教師

  • ①フランシスコ=ザビエル…スペイン出身。インド・東南アジアにおける布教活動ののち1549年に日本に初めてキリスト教を伝える。中国本土上陸を目前に広州湾内で病死。
  • ②マテオ=リッチ…イタリア出身。1583年にマカオに入り、イエズス会による中国布教の礎を築く。伝統文化の尊重と科学技術の紹介に重点を置いた伝道で信頼を獲得した。
    • 坤輿万国全図…マテオ=リッチの指導で刊行された中国最初の漢訳世界地図。
    • 幾何原本…古代ギリシアの数学者エウクレイデスの漢訳。徐光啓とマテオ=リッチが共訳。
  • ③アダム=シャール…ドイツ出身。明末の中国で徐光啓と共に『崇禎暦書』の作成や大砲の製造に従事。清にも仕えて暦作成に貢献し、天文台長官についた。

5.16世紀の経済活況と政治・社会変動

(1)明の貿易統制に対抗する動き

  • ①背景…16世紀国際貿易の繁栄 → 明の周縁部で規制を破って貿易の利益を得ようとする!
  • ②北虜南倭
    • 北虜:韃靼最盛期の族長アルタン=ハーンが北京を包囲(庚戌の変)。
      • ※アルタン=ハーンは黄帽派の指導者にダライ=ラマの称号をおくったことでも有名。
    • 南倭:後期倭寇…明の海禁政策に反発する人々を主体とし、主に中国東南沿岸地域に来襲。
  • ③貿易統制の緩和 →1570年前後に政策を転換
    • 北方:アルタン=ハーンと講和して交易に応じる
    • 南方:海禁をゆるめて民間貿易(互市)を認める(※日本を除く)。

(2)新興勢力の台頭

  • ①背景…貿易の活発化による政府の統制の崩壊 → 利益を求めて競争激化 
  • ②新興勢力
    • a.北方
    • b.東シナ海海上勢力が再編される。
    • c.日本(織豊政権~江戸初期)
      • 強固な家臣団を編成し領域支配を広げる戦国大名の登場。
      • 鉄砲を取り入れ貿易港・銀山を掌握して日本の統一を果たす。
      • 秀吉は倭寇を禁止し、自ら海外へ進出することをはかって朝鮮出兵を行う(文禄・慶長の役/壬辰丁酉の倭乱。日本は当初は優位であったが、李舜臣の水軍や明の援軍に苦戦)
      • 徳川家康…朝鮮との国交回復には成功するが明とは失敗。明と貿易ができなかったので朱印船貿易を展開し、台湾・マカオ(ポルトガル領)・東南アジアに派遣し、現地の中国商人と交易。

(3)明の滅亡

  • 万暦帝(位1572~1620)
    • a.内閣大学士;張居正が検地と一条鞭法の全国的施行や官僚の統制強化を進める → 地方から反発
    • b.豊臣秀吉朝鮮出兵に援軍を送り、財政難となる。※cf.万暦の三大征(寧夏播州・朝鮮)
    • c.女真族を統一したヌルハチとのサルフの戦い(1619)で明の大軍は惨敗
    • d.東林党(顧憲成が開いた東林書院出身の正義派) VS 非東林党(宦官に買収された官僚)
  • ②崇禎帝(位1627~1644)
    • a.東林党・非東林党の政争を抑え、宦官;魏忠賢を排除し、徐光啓を用いて財政再建に努力。
    • b.女真族の強大化に対抗するため軍事費が膨張。
    • c.軍事費のための新税を設けねばならず、相次ぐ飢饉で社会は疲弊。
    • d.各地で起こった暴動・反乱の一つである李自成の乱を前にして崇禎帝は自殺し北京は陥落した。
  • ③清の順治帝の北京入城
    • a.呉三桂万里の長城の東端「山海関」で清と対峙していたが、李自成の乱で明が滅ぶと清に帰順。山海関を開いて北京進撃の先導を努めた。