前近代東アジア史【7】モンゴル帝国・大元ウルス

1.モンゴル世界帝国の出現

(1)モンゴル諸部族の統合

  • モンゴル高原の様子
  • ②テムジンの登場
    • 1206年、モンゴル民族を統一し部族長会議クリルタイにおいてチンギス=ハンとなる。
    • 千戸制(千人隊)…軍事行政組織。全遊牧民を1000戸単位に編成した。
    • ウルス…当時のモンゴルは現代の感覚のような土地や領域が明確化した国家意識は薄い。そのため、ユーラシア中央部に展開された遊牧民を中心とする国家をモンゴル語ではウルスと呼ぶ。

(2)モンゴルの征服活動

  • ①チンギス=ハン
    • VSナイマン…10~13世紀初め、アルタイ山脈付近に王国を築いていた遊牧トルコ系部族。ネストリウス派キリスト教を信奉しウイグル文字を使っていた。1204年に即位前のチンギスに敗れたが、西遼を乗っ取って継続した。しかし1218年にチンギスの侵攻を受けて滅亡した。
    • VSホラズム=シャー朝…アム川下流のホラズム地方に成立したトルコ系イスラーム王朝。モンゴルの使節を殺害ししたため、1220年にチンギスの侵攻を受けた。
    • VS西夏李元昊建国のチベット系タングート族の国家。1227年、チンギスに征服された。
  • ②オゴタイ
    • VS金…ツングース女真族。チンギスの侵攻に耐えるもオゴタイの親征で1234年に滅亡。
    • カラコルム建設(1235)
    • バトゥの征西(1236~42)
      • ワールシュタットの戦い…現ポーランド領リーグニッツでバトゥがドイツ・ポーランド連合軍を破った戦い。死体(ヴァール)がでてきた町(シュタット)という俗説がある。
  • ③グユク
    • プラノ=カルビニが教皇インノケンティウス4世の命で偵察と布教のために1246年にカラコルムへ来る。
  • ④モンケ

2.陸上・海上の帝国となるモンゴル帝国

(1)大元ウルスの形成

  • 華北進出…フビライが末弟アルブリケを倒し、華北進出を始める。
    • 1264年 現在の北京に遷都し、のち大都と名付ける)
    • 1266年 ハイドゥの乱(~1301)…大ハン位をめぐる争い
    • 1271年 国号を元と改称する。

(2)モンゴル帝国の実態 → 大元ウルスを中心とするチンギス一門のウルスの集合体

  • 大領土の中に地方政権(ウルス)がつくられ、それらが大ハーンのもとにゆるやかに連合する形式。
  • 大ハン位をめぐる相続争いが起こるときも。Ex.上述したハイドゥの乱…ハイドゥとフビライの相続争い。
  • 地方政権
    • オゴタイ=ハン国【西北モンゴル】…現在の学説ではなかったことにされている。
    • チャガタイ=ウルス(チャガタイ=ハン国)【中央アジア】…チンギスの次子チャガタイとその子孫たちの政権。14世紀半ばから東西に分裂し、西からティムールがでて大帝国を築く。
    • ジョチ=ウルス(キプチャク=ハン国)【南ロシア】…ジョチ家のバトゥ建国。14世紀前半に全盛期。イスラーム文化需要。ティムールに圧迫され衰退し、モスクワ大公国の自立後、分裂解体。
    • フラグ=ウルス(イル=ハン国)【西アジア】…トゥルイ家のフラグが建国。同じトゥルイ家のフビライの大元ウルスを宗主として仰いでいたが、ガザン=ハンの時にイスラーム化した。

(3) 対南宋・日本編

  • 1274年 文永の役…1回目の日本遠征。元・高麗の遠征軍が8代執権時宗の日本と戦う
  • 1276年 臨安占領…南宋の首都;臨安を占領。南宋は滅亡する。
  • 1279年 厓山の戦い…南宋の残存勢力を撃破する。
  • 1281年 弘安の役…2回目の日本遠征。高麗の東路軍と旧南宋の江南軍が日本を襲撃。

(4)その他の地域への征服編 → ※もともとの目的は征服ではなく、通商の拡大と交易路の確保

  • ベトナム…陳朝がモンゴル及び元の侵攻を撃退。民族意識を昂揚させ独自の文字チュノムを作る
  • チャンパー…第一次遠征は暴風雨で失敗。第二次遠征は途中ベトナムの抵抗にあい挫折。
  • ビルマ…パガン朝に破られる。しかしパガン朝はこれを機に地方政権が台頭し、衰退。
  • ジャワ…シンガサリ朝に侵攻。政争に利用され新たにマジャパヒト王国が興隆

3.モンゴル帝国の統治体制

(1)帝国の中枢 → 世襲と実力とのバランスのとれた多元的で開放的なしくみ

  • 世襲…創立以来従属してきた遊牧部族の子孫、早くから服従した勢力の尊重。
  • 実力…出自・宗教・言語にかかわらずさまざまな集団・個人が登用 →帝国の支配層は全てモンゴル

(2)言語

(3)統治 →徴税と治安維持がメインで従来の社会や経済には干渉せず。

(4)各地方ウルス

  • 支配者であるモンゴル側がトルコ化・イスラーム化して統治下の社会に根を下ろす。

4.元の東アジア支配

(1)経済

  • ①交易網…モンゴル帝国の広域的な交易網の中に、中国が組み込まれる
    • a)陸路交易
      • 駅伝制…支配地域の主要街道に一定の距離ごとに宿駅を設け、宿泊施設や交通手段を提供し、旅行者・物資、情報を運んだ制度。モンゴル帝国でチンギス=ハンによりジャムチ(漢字で站赤と表記)の名で創設された。
    • b)海路交易
      • 港湾都市の発達
        • 杭州南宋では臨安。マルコ=ポーロはキンザイの名で紹介。
        • 泉州…唐初からムスリムが来航。アラブ人が多く居住。元代第一の港。ザイトン。
        • 広州…古くから南海交易の拠点として栄える。広東省港湾都市
      • 大運河(補修)…隋代の大運河を基に広げたもの。フビライは旧来の大運河を補修させ、さらに新運河も建設した。
      • 海運…江南から海岸沿いに山東半島に至り、さらに海路北上して大都に至る海上輸送路。大運河が泥によって埋没し円滑さを欠いたので海運が開かれた。
  • ②貨幣
    • a)銅銭・金・銀
      • ⇒使用されなくなった銅銭は日本などに流出することになり、貨幣経済の発達を促す結果となる。
    • b)交鈔…金および元における紙幣の名称。
      • 主要通貨説…多額の取引や輸送に便利であったため元の主要な通貨となったという説。
      • 補助通貨説…銀の補助通貨であり納税・俸給・軍事調達などに限られていたという説。

(2)ユーラシアを旅した人々

  • ①東西交通路の整備 ⇒ 東西文化の交流が盛ん。
    • 使節
      • プラノ=カルピニ…教皇インノケンティウス4世の命によりモンゴルの偵察と布教を兼ね、1246年カラコルム到着。
      • ウィリアム=ルブルック…仏王ルイ9世の使者として十字軍への協力と布教の命を受け派遣される。1254年に4代モンケに謁見。
    • 旅行家
      • マルコ=ポーロ…ヴェネツィア生まれの商人。17年間フビライに仕えたとされる。西洋人の東洋への夢をあおった『世界の記述』は有名。
      • イブン=バットゥータ…モロッコ生まれのイスラーム教徒。各地を経て元末の大都に至る。『三大陸周遊記』(『旅行記』)で有名。
  • モンゴル帝国におけるカトリック布教

5.文化

(1)文芸

  • ①戯曲は元曲として重要な地位をしめる。
    • 『西廂記』【王実甫】…宰相の娘と書生との恋愛がテーマ。封建的社会の圧力と戦う男女の恋愛結婚物語
    • 『琵琶記』【高則誠】…士大夫階級の批判がテーマ。出世して都で栄華な生活を送る夫と故郷で貞節な生活を送る妻とを対比した。
    • 『漢宮秋』【馬致遠】…前漢王昭君の故事の劇化。匈奴との和親政策の犠牲となった女性の悲劇を題材とした。絶世の美女だったが画工に賄賂を贈らなかったので肖像画を醜く描かれ、匈奴へ送る嫁として選ばれてしまった。
  • ②小説…『水滸伝』、『三国志演義』、『西遊記』の原型 → 明代に『金瓶梅』を加えて四大奇書

(2)中国とイスラームの文化交流

  • イスラームから中国への影響
    • イスラーム天文学を取り入れる
      • 郭守敬『授時暦』※江戸時代の日本の暦 渋川春海の『貞享暦』にも影響
    • 工芸
      • 染付磁器…青花磁器ともいう。イランのコバルトブルーの顔料による絵付けの技術。
  • ②中国からイスラーム世界への影響
    • ラシード=ウッディーン『集史』…イル=ハン国が国家事業として編纂したペルシア語の歴史書
    • 元代の画法がイランで発達した細密画(ミニアチュール)に影響。

6.モンゴル帝国の解体

  • ★14世紀にはいってからユーラシア全域において天災がおこりモンゴル政権が動揺。
  • チャガタイ=ハン国(チャガタイ=ウルス)
    • 分裂抗争の中からティムールが頭角をあらわす。イル=ハン国統治下のイラン・イラクにまで領土拡大。
  • ②キプチャク=ハン国(ジュチ=ウルス)
  • イル=ハン国(フラグ=ウルス)
    • チンギスの血統が途絶えた後、ティムールに滅ぼされる。
  • 元朝(大元ウルス)
    • 放漫財政や内紛で元の統治がゆるむ
    • 交鈔の乱発+専売制度の強化+飢饉
    • 紅巾の乱(1351~66)…元末に白蓮教などの秘密結社がおこした農民反乱。頭角をあらわした朱元璋が南京を都として明を建国し洪武帝として即位した。
    • 北元…洪武帝の北上にともないモンゴルは大都を放棄しモンゴル高原に退いた。

7.モンゴル帝国による世界の一体化 13~14世紀 ユーラシア大交流圏の成立と危機

  • 大航海時代の原動力 ← ヨーロッパ人に「豊かなアジアへのあこがれ」を抱かせる
  • ②14世紀の危機 →1310年頃から約60年間北半球で寒冷な気候が続き、各地で不作や飢饉。
    • 農業生産力の低下、ペストの流行、盗賊・反乱の発生によるモンゴル帝国の解体
    • 日本…南北朝の動乱倭寇の出現 ⇒ ユーラシア交流ネットワークの一時的な壊滅
  • モンゴル帝国の遺産
    • 効率的な統治組織・多様な住民構成 →オスマン・ムガル・清・ロシア
    • 15世紀の鄭和の南海大遠征、ヨーロッパ人による「新大陸の発見」