前近代中央ユーラシア史 遊牧帝国の興亡

1.中央ユーラシア世界の環境と社会

(1)中央ユーラシア世界の環境

  • ①中央ユーラシア世界とは? → ユーラシア大陸内陸部、ヨーロッパとアジアにまたがる広域世界。
  • ②自然
    • 森林…寒冷なシベリア。狩猟牧畜民が分散し国家を形成せず。特産品は貂の毛皮。
    • 草原
    • オアシス…砂漠でも雪どけ水による河川や地下水で耕作可能。農耕・牧畜及び交易・手工業の拠点
  • ③気候…巨大な乾燥地帯。季節及び昼夜の気温差が大きく、年間降水量が少ない厳しい環境。

(2)中央ユーラシアの社会

  • 天山山脈-シル川ライン
    • 以北…モンゴル高原から南ロシア草原地帯にいたる広大な草原地帯 → 遊牧民が展開
    • 以南…乾燥地帯 → オアシスに都市や農村が形成。
    • 草原地帯とオアシス地帯の交流……遊牧民や隊商の活動 → 物品・文化が行き交う
  • ②中央ユーラシアの東西と南北
    • 東西…草原地帯とオアシス地帯は東西交通路の役割を果たす。
    • 南北…北の遊牧勢力と南のオアシス勢力が交易と衝突。
  • ③地域世界かつ超広域世界
    • 一つの地域世界の側面…草原の遊牧社会&砂漠の中のオアシス社会
    • 超広域世界としての側面…東アジア・南アジア・西アジア・東欧と重なり合い結びつける。

2.遊牧国家とオアシス国家

(1)騎馬遊牧民

  • ①遊牧…羊・ヤギ・牛・ラクダなどの家畜群とともに草地をかえて定期的に移動する牧畜。
  • ②馬…戦車の牽引→騎乗の風習→騎馬遊牧民の出現(前9~前8世紀ころ)
  • ③騎馬と騎射…機動力+軍事力でオアシス地域や農耕社会に対して圧倒的優位に立つ!
    • →火器が発達する18世紀までの2500年間世界史を動かし続ける。

(2)遊牧国家の成立

  • ①遊牧社会の弱点…備蓄がないため長期災害に弱い+家畜からは穀物・金属製品は得られない
  • ②オアシス国家の弱点…各オアシス国家はそれぞれが孤立+生活人口に限界
  • ③オアシス民・遊牧民・国際商人の協力 → 遊牧国家の成立!!
    • ※オアシス民は農産品・手工業産品・交易品。遊牧民は畜産品・交通手段・安全保障。国際商人は遠距離交易

(3)有能な指導者と流動的な集団

  • ①統率力のある指導者の出現 → 急速に国家を形成
  • ②指導者の死亡及び出身部族の衰退 → 別の指導者・部族に従い新たなまとまりを形成
  • ③指導者に求められる実力主義&集団の柔軟性という特質は遊牧国家の成長の原因かつ崩壊の原因

3.遊牧国家の成立  スキタイと匈奴

(1)スキタイ 史上最初の遊牧国家

  • ①前7世紀、黒海沿岸に形成。オリエント世界にも侵入して勢力を誇る。
  • ②スキタイ文化…独特の武具・馬具や動物意匠の装身具を特徴とする → 騎馬遊牧文化の基礎となる。
  • ③エピソード
    • ヘロドトスによると、スキタイは遺体を裂いて内蔵を除去し、代わりに香草を詰めて縫い合わせた。その実例がアルタイ山中から発見されている。

(2)匈奴 中央ユーラシア東方最初の遊牧帝国

  • ①強大化 → 前3世紀末、冒頓単于のもとで急速に勢力を拡大。東胡を併合し月氏を駆逐。
  • ②対中国関係
    • a.戦国時代以降 → しばしば中国に侵入 → 趙・燕・晋は長城を作って対抗
    • b.秦との戦い → 始皇帝は長城を修復し将軍蒙恬匈奴に派遣して攻撃。
    • c.漢との関係 → 劉邦を撃破…前200年漢を撃破し、事実上属国化する。
    • d.漢の武帝による反撃
      • 将軍;衛青・霍去病を派遣。
      • 長騫を西域諸国へ派遣して同盟策を展開。
      • 李広利を大宛に派遣して汗血馬を求める。
      • オアシス地帯を奪って西域経営。
  • ③東西分裂(前54)
  • ④南北分裂(後48)

(3)【草原の遊牧国家】と【農耕地帯の王朝】の「形成」と「盛衰」の連動性

  • 西方:スキタイ  ⇔ アケメネス朝ペルシア
  • 東方:匈奴帝国  ⇔ 秦漢帝国

4.匈奴の解体と遊牧民の南下

(1)匈奴の解体

(2)鮮卑の台頭

(3)中央ユーラシアの三分(柔然・高車・エフタル)

  • 柔然
    • 特徴:5~6世紀にモンゴル高原を支配した騎馬遊牧民とその国家。
    • 建国:当初は鮮卑に従属していたが、5世紀初めに社崙が自立。鮮卑華北に建国した北魏に対抗した。→君主の称号として「可汗」(カガン)が用いられる。
    • 滅亡:内紛で弱体化し、6世紀に突厥によって滅ぼされる。
  • ②高車 (丁零→高車→鉄勒)
    • 建国:前身は丁零。5世紀末に柔然から自立。モンゴル高原西方で勢力を広げる。
    • 衰退:6世紀に柔然とエフタルに挟撃されて衰退。後身は鉄勒。
  • ③エフタル

5.突厥帝国

  • ①建国…6世紀半ば、突厥柔然の可汗を倒し、新たにモンゴル高原の覇者となる。
  • ②発展
  • ③東西分裂(583) ← 広大な領域には王族が派遣され統治したため独立性が強い。
    • a.東突厥
      • 第一可汗国…隋末の混乱の主導権を握り唐の建国を支援したが、唐の太宗;李世民に反撃され降伏(630)。
      • 第二可汗国…680年頃復興するが744年にウイグルに滅ぼされた。
    • b.西突厥
      • 中央アジア方面を本拠地としたが、7世紀半ばに唐に敗れ(657)、8世紀半ばに分裂、滅亡した。

6.ウイグル吐蕃

(1)ユーラシア東方 → ウイグル吐蕃・唐が並び立つ時代!

(2)ユーラシア西方 → アヴァールとブルガールが東ヨーロッパに侵入!

7.トルコ人の西方移動とユーラシアの変動

(1)ウイグル崩壊後の世界で

  • 840年ウイグル滅亡 → トルコ系遊牧集団の移住開始 → 10世紀にはオアシス地帯にも住み着く
    • 従来は代官の派遣による統治だったが・・・→→ 遊牧民による直接支配の開始!!

(2)トルコ人の西方移動

  • ①トルコ化
  • イスラーム
    • 8世紀初め…ソグド地方までイスラーム勢力が進出
    • 9世紀以降…イラン系住民、トルコ系遊牧民の改宗が進む
      • →奴隷軍人や部族集団の形で西アジアに流入!!自ら王朝も開きイスラーム世界の軍事・政治に大きな影響

(3)歴史的意義

8.征服王朝

(0)唐末五代の変動

(1)遼(モンゴル系契丹族)

  • 耶律阿保機…カガンに即位してキタイ帝国(遼)を起こし、後梁に対抗して皇帝を称す。
  • ②領域拡大;西方ではウイグル滅亡後のモンゴル高原に侵攻。東方では渤海を征服。
    • 燕雲十六州 …現在の北京などの長城付近。936年、契丹後晋の建国を援助した代償として獲得。
    • 澶淵の盟 (1004)…宋と遼の和議。宋の弟となることで毎年銀10万両、絹20万匹を得る。
  • ③内政の特徴
    • 征服王朝 …北方民族として本拠地を保ちながら、中国内地をも支配した王朝のこと。
    • 二重統治体制…遊牧狩猟民と農耕民に分けて統治した遼や金の国家体制。遼では北面官が部族制を敷き、南面官が中国的な州県制を敷く二元制度をとった。
  • ④文化
    • はじめはウイグル文化。のち中国文化を吸収し、仏教を受け入れる。
    • 契丹文字ウイグル文字と漢字の双方から影響を受けている。完全には解読されていない。
  • ⑤西遼(カラ=キタイ)
    • 宋と手を結んだ金の攻撃でキタイ帝国は滅亡。王族の耶律大石が中央アジアに逃れ、カラ=ハン朝を倒して建国。

(2)西夏(チベット系タングート族)

  • 李元昊…1038年に皇帝を称して国号を大夏とするが宋からは西夏と呼ばれる。
  • ②中継貿易…東西交易路をおさえて中継貿易で栄える。
  • ③慶暦の和約(1044)…宋に臣下の礼を取ることを代償に毎年銀5万両・絹13万匹・茶2万斤を得る
  • ④文化…仏教が盛ん。漢字の構造にならった西夏文字を作り、仏典翻訳をした。

(3)金(ツングース女真族)

  • 完顔阿骨打…金の初代皇帝。宋と提携して遼(キタイ帝国)を討伐している途中で病死した。
  • ②遼(キタイ帝国)の征服…金は宋と結んで遼を攻略し、1125年に滅ぼした。
  • ③靖康の変…遼攻略後、様々な違約を犯した宋を金が滅ぼした(北宋の滅部)。首都開封陥落。徽宗や欽宗など3000人余りが金に連行され、皇女たちは洗衣院(センセイイン)に入れられた。
  • 紹興の和議…金と南宋が結んだ和約。淮河を国境とし、金は南宋から臣下の礼と歳賜をうけた。
  • ⑤二重統治体制…女真人や契丹人などには旧来の部族制に基づく猛安・謀克という元来の軍事・社会組織を維持。華北では宋の州県制を継承した。
    • ※1猛安=10謀克=3000戸
  • 女真文字完顔阿骨打の命令で、契丹文字と漢字を基にして作られた。