雑録

古代における朝貢(3世紀と5世紀の相違点)

生徒が3世紀の朝貢と5世紀の朝貢をごっちゃに覚えてしまっているので整理のためのメモ。


東アジアの伝統的な国際体制は冊封体制といいました。中国の王朝に周辺諸国朝貢し、その見返りとして称号を受けて地域的支配者として封じられ返礼の品を受け取るのです。


ふむふむ。けど弥生時代朝貢倭の五王の時代の朝貢の性質は異なるというのね。


弥生時代朝貢はどんな感じだったかな?


弥生時代倭国は、国内が小国分立状態だったわね。そのため他の小国より優位な立場に立つ必要があったのだわ。卑弥呼が有名で「親魏倭王」の称号を得たとかいうわ。


一方で倭の五王の時代はどうだったろう?


えーっと当時の倭国ねー・・・。倭の五王は5世紀でしょ?4世紀は文字史料がないので「謎の4世紀」と言われているけど、前方後円墳の広まりからヤマト政権の国内統一の様子が分かるのね。だから倭の五王は国内統一のために冊封を利用したのではないことが分かるわね。


当時の倭国朝鮮半島に進出していたため、半島諸国と争っていたのだよ。だから朝鮮半島南部の支配権の承認を得ようとしていたんだね。中国の権威を利用し、半島南部における倭の立場を有利にしようとしていたんだ。


なるほどなるほど。つまりまとめると、3世紀の頃の朝貢の目的は国内統治という国内的なものだけれど、5世紀の頃の朝貢の目的は朝鮮半島南部における優位性の獲得という国外的なものだったということね。