近現代東アジア史【3】台湾(中華民国国民政府)の歴史

1.中国に組み込まれる以前の台湾

  • ①台湾への人類の居住
    • 台湾には5万年前から人類が住み始め、16世紀までにオーストロネシア語族の先住民が各地に居住するようになった。明代に後期倭寇の根拠地になり漢人の移住が増加。
  • ②秀吉と台湾
    • 高山国は中国福建省の対岸の島(台湾)。秀吉は南方経営を志し、1593年に貿易商原田孫七郎を介して高山国に入貢を促したが、失敗に終わった。
  • 徳川家康と台湾
    • 家康は朝鮮との国交回復には成功するが明とは失敗。明と貿易ができなかったので朱印船貿易を展開し、台湾・マカオ(ポルトガル領)・東南アジアに派遣し、現地の中国商人と交易した。
  • ④オランダと台湾
    • オランダは明末の混乱に乗じて台湾を占領。1624年にゼーランディア城を建設。1661年に鄭成功に攻略され追放された。

2.清朝に組み込まれる台湾

(1)清朝VS鄭氏台湾

  • ①鄭氏台湾
    • 鄭氏台湾とは1661-1683の間、鄭氏の下で清との戦いの根拠地になっていた時期を指す。鄭成功のオランダ勢力駆逐後、子の鄭経らが三藩の乱に連動して反抗を続けたが、康煕帝の攻撃により帰順した。
  • 康熙帝の対外政策
    • 遷海令…1661年、清朝が沿岸住民を移住させた法令。鄭成功の勢力を孤立させるために広東・福建両省を中心とする沿岸の住民を強制的に内陸に移住させた。
    • 三藩の乱…1673年、康煕帝が三藩の廃止を決定すると、雲南呉三桂・広東の尚可喜・福建の耿継茂らは反旗を翻した。鄭氏台湾・朝鮮・ベトナムなどの周辺地域をまきこんだ大動乱となったが、鎮圧された(1681)。
  • ③台湾制圧後
    • 海禁解除…台湾制圧後、清は民間商船の出航と外国商船の来航を認めて、各貿易港の税関に管理させた。→互市貿易
    • 海関…開港上に設置された税関。海禁政策の解除に伴い1685年に4海関(上海・定海・厦門・広州)が設置された。民間貿易の徴税を任務とし、清朝の大きな財源となった。
    • 対ヨーロッパ…乾隆帝時代に広州1港に限定(1757)。特定の商人組合「公行」に貿易を管理させる。

3.東アジアの主導権を巡る日清抗争

  • 台湾出兵(1874)…台湾での琉球漂流民殺害事件をめぐる日清間の対立を背景とした、明治政府初の海外派兵。イギリスの調停により、清が日本の義挙(正当な行動)と認める形で解決した
  • 清朝の台湾直轄化(1885)…清朝福建省から分離して台湾省を設置。
  • 日清戦争下関条約(1895.4)
  • 台湾民主国…台湾の郷紳層は台湾が独立して列強から承認されれば日本の台湾領有を阻止できると考え、台湾民主国を建国した。大将軍劉永福は台南で抗日戦を指導するが戦局が悪化し大陸へ逃亡した。

4.植民地台湾

  • 台湾総督府の統治
    • 日本が台湾を植民地統治するための行政機構。1895年下関条約批准後、台湾総督府が設置され、台湾総督には律令制定権や軍事権などの絶大な権限が与えられた。
    • 1897年~1917年…旧慣尊重政策にもとづき、土地調査を実施し、産業インフラを整備、植民地教育を行った。
    • 1918年~1935年…内地延長主義にもとづき、本国の法律を台湾に適用し、同化政策を推進した。
    • 1936年~1945年…皇民化政策を実施、日本語常用や神社参拝を強要し、台湾住民を戦時動員した。
  • ②カイロ会談(1943.11)
    • 米英中で対日処理方針を定め、カイロ宣言を出す。→満州、台湾の返還、朝鮮独立、無条件降伏まで戦い抜くことが決められる。

5.台湾における中華民国国民政府

(1)国共内戦における国民党の敗北

  • 1945
    • 9.2 日本降伏文書調印…日本降伏後、国民党の腐敗・独裁に批判。統一の在り方を巡り国共対立
    • 10.10 双十協定…国民党と共産党が結んだ停戦協定。国内和平・内戦回避などに合意した。
    • 11 国共内戦開始…停戦協定が結ばれていたが国民党はそれを破り、米の支援を受けて攻勢。
  • 1946
    • 1 国共停戦協定→政治協商会議…米前参謀総長マーシャルの介入で停戦し、国共両党および少数党派、団体の代表が重慶に集まり開催した会議。平和に基づく建国の方針を確認した。
    • 7 国共内戦本格化:国民党が停戦協定を破棄
      • ①国民党の動き…総兵力でまさり、アメリカの支援も受けて軍事的に圧倒的優位。だが国民党幹部が腐敗し、深刻なインフレが生活を圧迫したため民衆は反発。米国からの借款・援助は米国資本に中国市場を開放したので民族資本家は不満を抱き支持を失った。
      • 共産党の動き…新民主主義を提唱。半植民地・半封建の性質を持つ中国社会において、当面の革命は資本主義を目指すブルジョワ民主主義革命でもなく、社会主義をめざすプロレタリア革命でもない。帝国主義勢力や封建勢力からの解放が必要で共産党労働者階級が指導しながらも、農民階級や他の民主主義勢力と協力して革命を進めるという新しい形の革命を唱える。
  • 1947
    • 1 中華民国憲法…南京に遷都した国民政府が国共内戦の最中に施行。
    • 2 二・二八事件…台湾で国民政党政権に対して大規模な蜂起が発生→鎮圧
    • 10 中国土地法大綱…地主の土地所有を廃止し、農民に耕地を与える土地均分化を徹底。土地を獲得した農民は内戦を地主に対する戦いとみなし、人民解放軍にぞくぞくと加わる。
      • 人民解放軍は47年半ばから反攻開始。49年末までに中国全土を解放。
  • 1949
    • 9 人民政治協商会議…勝利を目前にした共産党が北京で開催。共産党の他、民主諸勢力、中小ブルジョワジー、知識人を代表する様々な党派の代表が集まり、新国家の体制について協議した。
    • 10.1 中華人民共和国成立…新中国の統治方針 → 漸進的な社会主義への移行
    • 12 中華民国台湾移転…蔣介石政権。安保理常任理事国となるが71年に国連から追放される。

(2)冷戦期におけるアメリカの台湾政策の転換

(3)主要な台湾総統

  • 蔣介石(1950-75)
    • 国共内戦に敗れたのち、中華民国中央政府を移転し、台北を臨時首都とした。移転後も「大陸反攻」を呼号し、全中国を代表する正統政権と主張した。全中央政府機構を台湾において維持、大陸地区選出の国会議員は非改選としたため万年議員化した。他方、台湾社会に定着するため農地改革や地方公職選挙を実施した。
    • 60年代、輸出指向的経済発展政策に転換、経済成長で本省人中間層が台頭し、民主化要求が高まった。
  • 蔣経国(1978-88)
    • 政治改革に着手。禁止されていた反国民党勢力による野党の民主進歩党結成(86年9月)を容認したほか、戒厳令解除や台湾住民の大陸訪問解禁などを実現した。
  • 李登輝(1988-2000)
    • 蔣経国の死去により総統に就任。国会の全面改選、総統・副総統の直接選挙などの民主化を推進。中台関係では「二国論」を主張し、台湾海峡が緊張するなか、96年3月に初の総統直接選挙で総統に当選した。
  • その後