0.人間の尊厳
- 真の意味での自己の尊厳とは何か。
- 人間の尊厳が軽視されると起こる問題点
- 人種・民族差別、他者の人格・生命の軽視
- 人間の尊厳が過度に強調されると起こる問題点
- 人間中心主義…自然を単なる操作対象となる
- 自己中心主義…他者への配慮を欠く
1.自己肯定の精神
1-1.ルネサンスとヒューマニズム
(1)ルネサンス(文芸復興)…本来は「再生」を意味する。
1-2.新しい人間観[ピコ]
- ピコ=デラ=ミランドラ『人間の尊厳について』
2.宗教観の転換
2-1.真の信仰へ [ルター]
(1)腐敗した教会と聖職者への批判
(2)ルターの宗教改革
- a.教会批判から始まる宗教改革
- b.ルターの主要思想・業績
- 信仰義認論…罪からの救いは教会の説く善行にあるではなく、神への信仰のみであるという考え方。
- 聖書中心主義…信仰の拠り所は教会にあるのではなく、聖書のみにあるという考え方。
- 万人司祭主義…信仰を持ち聖書を拠り所とすると神と直接対話ができ、信仰者は全て司祭となるという考え方。
- 職業召命観…職業を神によって召された使命として考える思想。ルターは職業に神の召命としての意義を与えた。カルヴァンは世俗的職業は神の栄光を実現するために人間が奉仕する場であるとして、より積極的に意義づけた。
- 聖書のドイツ語訳…聖書の一部特権階層の独占を解放。教会や司祭によって救済にあずかるという中世的な宗教観を覆す。
2-2.内面からの信仰[カルヴァン]
(1)予定説
- ①罪からの救済は、教会でも個人の信仰でもない。救済はすべて、神の意志によって定められているのであり、ある者には永遠の生命が、ある者には永遠の滅亡が予定されている。
- ②では人はこの世においてどう生きれば良いのか?
- ③勤勉に働くことが人間の救い
(2)カルヴィニズム
- 信者は神の予定のもとで自分が選ばれていることの確証を得るために禁欲的に職業に励み、自己を神の意志を実現する道具として自覚する。そのため、労働によって得た富は正統であり、神聖なものとなる。金銭蓄財の肯定。
(3)M.ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
- 予定説のもとで人々が救いの証を得るために、神の栄光をあらわす世俗的な職業に励み、禁欲的な生活を送って利潤を蓄積したことが、資本の形成につながり、近代資本主義の精神を生む要因になったと分析。
3「人間の偉大と限界」
3-1.モラリストの想い
3-2.私は何を知るか[モンテーニュ]『エセー』
- ユグノー戦争の勃発
- 何がこのような悲惨な事態を生み出すのか?→答え「人間とは何か」「自己とはなにか」という問いかけが欠如しているため。(これにより不遜さ、精神敵対だ、独断や偏見、不寛容が生じる)
3-3.考える葦[パスカ]『パンセ』
(1)考える葦
- 「人間は自然のうちでもっとも弱い一茎の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」
- →人間は自然のなかで最も弱い存在である。しかし、考えるということ、自分の悲惨さを知っていることに人間の偉大さがある。
(2)中間者
(3)「気晴らし」
- 人間は死、孤独、無知など自己の飛散さから目をそむけ、遊びや娯楽や戦争などに熱中して気持ちを紛らわせようとする。しかし、自己から目をそむけて気晴らしに逃避してもやがては倦怠にとらわれて絶望うや悲哀に落ち込む。
- 「気晴らし」をするのではなく、キリスト教を信じ神の愛によってみじめさをみつめる
- 存在の根源的不安定さを直視
- 神の愛を信じることに人間本来の在り方。