ぼっち・ざ・ろっく! 振り返り特番「ごとうふたりのおねえちゃんかんさつにっき」の感想・レビュー

妹から小馬鹿にされるヒキヲタキモニート陰キャコミュ障根暗ぼっち後藤ひとりの巻。
妹の辛辣なナレーションがウリ。
三者視点で再構成された映像はまるで後藤ひとりの足跡を辿る伝記映画のようで魅力的に映るのだが妹は塩対応。
初オーディションでの脚バーンと初ライブにおけるギターソロによる覚醒シーンはファンなら必見ではある。
肥大化した承認欲求をネットに垂れ流すだけであった後藤が仲間の為に弱さを乗り越えていく姿はおススメ。
後藤の存在を許してくれた結束バンドだからこそ後藤がその実力を発揮できるという構図がいいよね。

5歳という幼少期の無邪気さからくる姉に対する辛辣なコメント

「おねえちゃんかんさつにっき」はじまるよ!
  • 妹から見ると姉への蔑視が割と酷い
    • この特番では主人公後藤ひとりの妹:後藤ふたりの視点で姉のこれまでの足跡が語られるという構成になっている。後藤ふたりは5歳にしてナチュラルに姉を見下しており、幼児の無邪気さからくる人を小馬鹿にしたような態度は、後藤の自己肯定感を低める要因にもなっていた。友達がおらず学校以外には家から一歩も出ず押し入れに引き籠ってギターを練習するだけのうんこ製造機の姉。そんな姉は後藤ふたりにとって自分よりも下位の存在であり「幽霊」と蔑むのも当然だったのかもしれない。特に中学時代の姉がどんなに惨めな存在であったかは、幼少期のふたりには刻み込まれていった。フツーに考えると帰宅部なら16時には家に着くと考えられ、そこから毎日6時間練習というと食事や風呂を除いても23時くらいまでは押し入れで過ごすというのは相当なものであった。そんな姉が高校に入り、これまでのヒキヲタキモニート生活から脱却し、陰キャコミュ障根暗ぼっちという性格と向き合いながら、バンド活動をして成長していく姿はこれまでの認識を改めさせるものであった。

  • ぼっちちゃんにとって承認欲求が自分一人のものから自分を受け入れてくれたバンド全体へと広がる
    • これまで後藤ひとりは評価してくれるものがネットにしか存在せず、そこに音楽を垂れ流すことに慰みを見出していた。しかしながら現実世界でチヤホヤされたいという深い欲望を抱いており、これを満たすために絶えず練習を重ねてきた。だが現実は厳しく、衆目があると自分の力を1ミリも発揮できず、尚且つ他人と合わせることをしてこなかったのでバンドとなるとその能力は地の果てに落ちてしまったのであった。
    • そんな後藤ひとりの居場所となったのが結束バンドであり、彼女を受け入れてくれた初めての場所だったのである。「ぬるま湯」の中で揺蕩うことにより少しずつ他者との人間関係を学んでいった後藤ひとり。だが後藤を育んだ結束バンドに「ぬるま湯」だからこその試練がやってくる。それはライブのオーディションであり、お友達ごっこの楽器遊びなら放課後お遊びタイムで充分だと切って捨てられてしまうのだ。結束バンドを「ぬるま湯」のままでいられなくしたのが他ならぬ虹夏の姉星歌というのもエモい。
    • ここでこれまで自分のことしか考えていなかった後藤ひとりが自分の居場所を守るため、仲間の為に立ち上がっていく姿が涙をそそる。いつだって後藤は結束バンドの危機的状況において覚醒し、ピンチを救ってきた。初オーディションでこのまま終わらせたくないと脚バーンした時も、初ライブで冷えた空気を変えるためにギターソロした時も、全ては結束バンドのためであったのだ!

  • アニメ1期の物語全体における位置づけ
    • この後藤ひとりの結束バンドのための原動力というのは、アニメ2期でのテーマとなる。文化祭ライブを経て、後藤だけ業界で評価されるようになるが、結束バンド自体は酷評されてしまう。そんな中、後藤は結束バンドを大切にしており、バンド全体の存在証明をするため未確認ライオットに挑むことになるのだ。後藤が結束バンドを生かしているのではなく結束バンドの中でしか後藤は生きられないのであり、そのために虹夏・喜多・山田が成長するという構図になっている。そうするとアニメ1期は後藤ひとりの成長物語と言え、アニメ2期は結束バンドの存在証明の物語になると言えそう。
結束バンドの結成と初めてのオーディション
台風ライブと高1の夏休み
文化祭ライブがアニメ1期のクライマックス
皆で見よう!最終回!

ぼっち・ざ・ろっく!感想まとめ

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アニメ