【感想】学園アイドルマスター「有村麻央」親愛度11-20話を読んだ。

理想の自分と現実の自分の相克に苦悩する有村麻央の自己肯定感を巡る話。
弱い自分も、振り返りたくない過去も、全部自分であり自分で自分を好きになれた。
有村麻央は歌劇の男役に憧れ、王子様になりたいと願い子役時代はバリバリ活躍した。
だが第二次性徴と共に容姿や体型は可愛らしくなっていき王子様ではいられなくなる。
そんな麻央に対しPはカッコイイとは心の所作であり可愛いの中にもカッコイイはあると説く。
自分を受け容れたことで麻央は花開くが、N.I.Aでは麻央に怨恨を抱く敵が襲い掛かってくる。
それが白草四音であり彼女は天才の姉と比較され続けて性格が歪んでしまったのである。
麻央に対して誹謗中傷を繰り返すが自分の弱さを受け容れた麻央には効果はいまひとつであった。
自分を好きになれない四音はファンを楽しませるというアイドルの根本をも忘れ自滅する。
四音撃破後には莉波√と同様に突如現れた月花と対戦して勝利しN.I.Aで優勝を果たす。
今後の麻央√では、白草四音の救済シナリオが挿入されそうな感じであった。

有村麻央は白草四音の救済者となり得るか

麻央の子役時代に対して怨恨を抱く白草四音

麻央√の基本路線は莉波√とほぼ同じ流れを取る。すなわち①白草四音が悪質な嫌がらせをして黒歴史が抉り出される→②精神的に成長して過去を乗り越えて自分を受け容れる→③四音の姉(月花)に対するコンプレックスが提示される→④突如月花が現われて四音のターンを強制終了させラスボスバトルとなる(分かりやすいチャート方式)。

麻央√と莉波√の違いは、莉波√では四音が「姉」という存在そのものに怨恨を抱いているのに対し、麻央√では劇団時代の過去が扱われたということ。今回の麻央はN.I.Aにおいてカッコイイ演出とカワイイ演出を交互に取りながらミニライブをすることで話題作りをする方針を取る。そんな中、麻央の存在を疎ましく思う四音が嫌がらせをしてくるのである。麻央は歌劇の男役に惚れ王子様になりたいという憧れを持った。子役として名をはせたが、第二次性徴により可愛らしい容姿になったため、男役としての需要は無くなった。それでも麻央は王子様にこだわったため初星学園の3年間芽が出ずにいたが、Pにより本当のカッコイイとは何かを知ったため開花したのであった。

JK3になってようやく芽吹いた麻央に対し、四音は醜く足掻く姿が疎ましいとケチをつけてくるのである。四音は麻央が子役時代の「有村あきら」であったことをネタにしながら「リトルプリンス」を揶揄して過去を抉り出そうとする。だがPのおかげで自己肯定感を得ていた麻央は、過去を乗り越え、そして受け容れていた。中性的な魅力が無ければ王子様に成れないとでも?カッコイイとは心の所作。カワイイの中にもカッコイイは体現できる。麻央は可愛い自分を肯定したことで王子様を表現することが可能となっていたのである。

そのため、四音は無理して王子様のように振る舞うことを揶揄する象徴として「リトルプリンス」という用語を使うのだが、麻央には効果が無く撃破される。四音は才能のカタマリである姉の月花に絶えず比較され精神を病んでいたようだが、N.I.A編では描写されず。おそらく今後四音について語られるとするならば、莉波√では姉との確執、麻央√では劇団を諦めた理由が描かれ、彼女のトラウマ救済がなされるのかもしれない。

四音撃破後は莉波√と同じく月花介入により四音の掘り下げはカットされ、ラスボスバトルへ。月花を下すと、その力が認められることになる。麻央は体力を使い果たしたため、Pにお姫様抱っこをされて介助されることになる。自分を好きになれて自己肯定感を得た麻央は「リトルプリンス」を「星の王子様」の原題へと読み替えてトップスターを目指していく。

有名だった麻央の子役時代
四音が麻央にダル絡みしてくる理由
自己肯定感を持てるようになった麻央
サポカ「いつか、きっと花開く」参照
Pにお姫様抱っこされる麻央
リトルプリンスを肯定できた麻央
自分を受け容れて変わっていくということ
少女救済の原理