西園美魚シナリオ メモ

結局、自己存在の肯定理由は女の子の存在、異性とのまぐわい。つまりは他者との絆に回帰されてしまうのか・・・コミュニケーションで自己肯定とはフランクフルト学派ハーバーマスちゃんもびっくりだ。

 

西園美魚は孤独による自己肯定を試み、もう一人の自分を空想具現化。そのもう一人の自分により、本来の自分を孤独化しようとした。だが、孤独で自己肯定するのは単なる逃げでしかなく、他者との関わりの中で己を見出す強さを知る。最後には、自分が自分であることは、もうひとりの自分を打ち消すことでないことを直感し、理樹と接吻を交わす。理樹との情交の中で自分の存在を肯定してもらった美魚は理樹とともに歩み始める。

 

彼らには異性との自己肯定に失敗した武者小路実篤『友情』を詠んで欲しいもんだね。少女による自己肯定に失敗した主人公は、精神的な芸術活動に没頭しようと決意、というところまでかかれるのだけれどね。必読だろ?ついでに異性や2次元による自己肯定について詳しく知りたい人は、東浩樹さんや本田透さんの書いた新書がオススメ。新書だからわりと読みやすいし。

 

私ゃ、テクストを読みながらアレコレ妄想するのが好きなんですけど、美魚シナリオで思ったことが次のようなもの。


理樹の通っている学校は記憶と現実の狭間である特殊次元空間というとはもう明白かと。もしかしたら、それは特殊でもなんでもなくて日常的にどこにでも起こりうることかも、ということもなきにしもあらず。